第三十話
雪だ。
雪が降って来た。
どうりで寒いはずだ。
俺達は見つめ合ったまま互いに踏み込めるわけもなく膠着状態でいた。
その間もう今日は渡らない信号が何度も赤になり青になった。
そんな俺達を避ける様に白い雪が静かに舞う。
「雪、降ってきましたね」
「そうですね」
天気予報はなんて言っていたのだろう。
でもこれはきっと空からの助けだ。
このまま見つめ合うのは許されないと。
「それじゃあ、また」
「はい」
ちーちゃんさんは頭を軽く下げた。
俺はちーちゃんさんに背を向け歩き出す。
スーパーはまだやっているが、俺はいつもコンビニで明日のパンと弁当を買って帰る。
数百メートル行ったところで振り返るとちーちゃんさんは白い雪が舞う夜に立ち尽くしたまま俺を見ていた。
嫌、俺を見ていると言うのは語弊がある。
今のは願望に過ぎない。
でも、何故ちーちゃんさんは今だ帰ろうともせず、こんな寒い夜に佇んでいるのだろう。
家に帰りたくないのだろうか。
それとも誰かを待っているのだろうか。
ちーちゃんさんの黒いコートと白いマフラーが、目に焼き付いている。
初めて見た寂しそうな、所在なさそうな、消え失せてしまうような横顔。
今だ。
今しかない。
今夜しかない。
今日君を摑まえなかったら、もうこの雪が、この黒い夜に突如現れた白が君を連れ去ってしまう。
ちーちゃんさんは歩き出した。
白い雪を引き連れる様に。
俺は走り出した。
視界を遮る様に、ちーちゃんさんと俺を隔てる様に降る雪がなければ、きっと俺は走れなかった。
俺は走った。
ちーちゃんさんは少し歩いたところにある信号を渡ってしまっていた。
俺は赤になった信号で立ち止まる。
呼び止めようとしたが、名前がわからない。
ちーちゃんとは呼べない。
だって彼女から聞いたわけじゃない。
名前をまだ知らない。
君のこと何も知らない。
でも今わかる。
このまま君を帰してしまえば、今日の君の続きに明日は会えない。
あの店では会えないんだ。
あの切り取られた完璧な完成された空間では決して会えない。
本当の君とは。
あの店にいるちーちゃんさんが偽物っていうわけじゃない。
あれだって本当の君だ。
でも違うんだ。
だって今日知ってしまった。
あんなに弱くて震えるような君を。
本当に守りたいと思ったんだ。
この世界にいる君じゃなく、君がいる世界でもなく、君を。
唯君だけを。
名前も知らないけれど。
信号が変わったら。
君を摑まえ、名前を聞く。
唱えるためじゃなく、呼ぶために。




