10-7 母親の愛
「襲われたって……まさか……?」
「……そのまさかですよ、サッチ」
目を見開いて呟くサッチに、レーナは声をかける。
人間は、弱い種族だ。一部の個体は『神術』を行使できるが、大多数はそれを持たない。
その二つある固有能力のうち、一つを初めから持っていない者が大勢いる。
残ったもう一つの固有能力は、高い繁殖力。
それが仇となり、望まない子を産むことになってしまう人々が、決して多くはないが、確かに存在してしまっているのだ。
フィエロというこの女性も、その被害者の一人なのである。
か弱い人間の女性が、その何倍も大きい体躯の巨人に組伏せられれば、もう逃げることなど叶わない。
半巨人ユリウスは、そうして生まれてしまった子供なのだ。
フィエロは、貼り付けたような笑みで続きを話す。
「本当に、お気になさらずに。もう吹っ切れておりますので。ところで、巨人という種族の固有能力は知っておられますか?」
「ええ、把握してます」
レーナは、フィエロの身に降りかかった悲劇についての言及を止めた。本人が吹っ切れたと言っているのだ。わざわざ傷をほじくるわけにはいかない。
「異常な愛郷心……生まれた場所を守ろうとする、狂おしいほどの執念。そういう事ですか」
「そうです。ユリウスは、巨人の血を強く受け継いで生まれました。なので、自分たちを追い出したはずのジャンマド村を、本能のままに守っているだけなのですよ」
大きい図体には似合わない、繊細で漢気に満ちた本能。固有能力。
レーナは納得がいった。自分たちがジャンマド村に入ろうとした瞬間、ユリウスが飛びかかってきたワケを。
彼は、ただ守ろうとしていただけだったのだ。見知らぬ存在から、自分が生まれた場所を。
村長や村人たちが恐れているという、半巨人であるユリウスの突然の暴動。
それも、同じ事なのだ。野盗や、猛獣から村を守っていただけだったのだろう。
レーナは、ユリウスと初めて遭遇した時にその可能性を考えてはいた。しかし、わざわざ依頼に『人間』を指定してきた村が巨人の故郷だとは思えなかった。
しかし、村長の話を聞いて、ユリウスが半巨人だと知った時から、八割確信していた。
この、悲しいすれ違いから生まれた、討伐任務の真相を。
(……偉いなぁ)
レーナの率直な感想だ。
ユリウスという半巨人。母親であるフィエロの年齢から考えると、彼はまだ本当に幼い子供なのだろう。
それも、人間より五倍成長が遅い巨人の血が流れている。それを加味すると、きっとやっと二本の足で歩けるようになったくらいなのかもしれない。
確かにそれは、本能かもしれない。呼吸をするように、当たり前の事として行ってきたのかもしれない。
それでも彼が、誰にも認められなくても、理解されなくても、村を守っていた事に変わりはない。
――自分なんかとは違って。
自分は、確かに努力はしてきた。
でもそこには、自分の意志など無かったのだ。
誰かに認めてほしくて、誰かに気づいてほしくて。
そして、結局は誰も守る事が出来なかった。
そんな空っぽな自分とは違い、ユリウスの行動は尊敬出来るものだった。
「……やっぱりな。そんな気はしてたよ」
サッチがおもむろに呟く。レーナは彼女に問い返した。
「何でですか?」
「アタシもこないだまで、こいつと一緒だったからだよ」
そういえば、とレーナは思い出す。
サッチも二年ほど、村人に理解されないまま、それでも孤独に故郷の村を守り続けていたと。
そんな彼女を救ってくれたのが、ラウィなのだと。なるほど、サッチがラウィを慕う理由が、よくわかった気がする。
「サッチの時はどうやって解決したんですか?」
「アタシの場合は、明確な黒幕がいたからな。そいつをラウィが排除してくれたんだが、そしたらトントン拍子に解決してったよ。運もあったけどな」
サッチが、ふと硬い床からその腰をあげる。そのままフィエロの背後で遊んでいるユリウスの元へ歩いて行った。
「う、うぅあぁ?」
鼻水を垂らしてサッチを見下ろすユリウス。言われてみれば、その表情はあどけない。先ほどの敵意に満ちた顔とは大違いだった。
「よお、さっきは蹴って悪かったな」
「あうあー!」
キャッキャっとはしゃぐユリウス。その声はやたら野太くて幼さは感じなかったが、顔だけは無垢そのものである。
サッチが、手を伸ばしてきたユリウスをなだめながらレーナに問いかけてきた。
「でも、こいつは言葉を話せねえみたいだな。ガキだからか? それとも巨人ってのはそういうモンなのか?」
「両方、ですかね。巨人の知能はゴブリンと同じくらいです。そこまで高くないですが、話は一応通じるはずですよ」
「そうか。どうするかね。アタシらがこの事を話しても信憑性に欠けるからな。フィエロ、アンタが言うよりかはマシだと思うが」
そう。問題は、この事をどう村長や村人に説明するかである。
ユリウスは、村を守っていた。しかし村長の依頼は、「暴れる半巨人の排除」である。村を守ろうが、害が無かろうが、そんな事は関係ない。
ユリウスが村に現れるだけで、きっとジャンマド村の住人たちは怯えてしまうのだろう。
「……私は、この子を愛しています。たとえ望んで産んだ子ではなくとも、私の子です。だから、ユリウスを育ててきました。愛情を注いで」
フィエロが、目を細めて悲しそうな顔で呟く。
「でも……」
その瞳は、涙で潤んでいた。
「私は、この子を産んではいけなかったのでしょうか……?」
すがるように。
そうではないと、否定して欲しいかのように。
そして事実、その通りだった。
サッチが、フィエロの発言に語気を荒げた。
「そんなわけあるかよ……ッ! アンタが一番自信持てよ! こんな優しいやつを産んだ事を、誇れよ! 私はユリウスの母親ですって、胸を張れよッッ!!」
拳を握って、強く言い放つ。その大声に、ユリウスがびくっと肩を竦めていた。
「アタシには、両親はいない。昔殺された。そん時に気付いたんだよ。アタシは両親が好きで、両親もアタシの事を想ってくれてたんだなって」
「……」
「だから、アンタもそうしてやれよ。いいや、そうであってくれよ。嘘でも、そんな事言わないでくれ……でないと、アタシは、泣けてきちまう……」
サッチは、顔を歪ませながら消え入りそうな声で呟く。
本当に、この黒髪の少女は優しすぎる。
どうして、ここまで他人の事を想えるのか。
そしてその気持ちが、今のレーナには少しだけわかった。
レーナも、母親を二ヶ月ほど前に亡くしているのだ。
大好きだった母親。病気でガリガリにやせ細った体で、それでも自分に心配をかけまいと笑ってみせた母親。
そんな母親から、産まなければ良かったなどと言われてしまっては、レーナはきっと正気を保てない。
嘘でも言ってほしくない。レーナの意見は、サッチのそれと同じであった。
「……はい……はいっ、ありがとうございます……!」
フィエロの、その美しいとも言える金髪の下から覗く瞳は、既にぐちゃぐちゃに濡れていた。
レーナも、目尻に浮かんだ涙をふき取ると、一つの決断を下す。
「とにかく、この事を村長に話しましょう。可能性はゼロじゃありません。そのあと、これからの事を考えましょう」




