連れ去られた少女 3
絶望した少女は、死に場所を求めて彷徨っていた。
もう、ほんの少しでもこれ以上苦しみを味わっていたくない。まったく痛みを感じずに、即死したい。それができる場所を探し、ふらふらとうろついていた。
時は真夜中。
星明かりが照らす大自然の中に、少女は迷い込んでいた。見渡す限りの暗闇。健常な人間ならば、そのあまりの闇の深さに、酷い恐れを感じてもおかしくないのだが、少女にはそんなこと関係が無かった。
自分の心にも、闇が住んでいる。絶望という名の、どこまでも暗い闇が。
やがて、歩き続けた少女は、素敵な死に場所を発見する。
彼女が見つけたのは、世界の果てを見るような、高く、大きな崖。地平線が、遥か先に見える。それは、暗い大地と明るい星空を半分に割るように、ずーっと伸びていた。
高いところは嫌いではなかった。
ここなら、文句無しで死ねる。死ねるはず。
少女は、ひゅおおおっと、風が吹き荒れる崖下を覗き込む。暗くて先が見えなかった。まるで、死というモノを象徴しているかのように。
満天の星空に包まれ、その人生を終える。
悪くない。
最後の最後で、少しだけ粋なことをしてくれるではないか、と少女はほんの僅かに笑みを零した。
そして少女は、重力の制約から解き放たれるべく、そのガリガリにやせ細った両足に力をこめた。
ふわっ、と体が浮く。
あとは、大地に引っ張られるがままに、つかの間の浮遊感を愉しめばいい。
――はずだった。
「待ちなさい!!!」
そんな少女の首根っこをすんでのところで何者かが引っ掴む。そのまま、少女を地面に力づくで投げ倒した。
「お前は、何をしているのかわかっているのか!」
その男は、怒りのまま少女を怒鳴りつける。
少女は、その男を見たことがあった。自分を連れ去り、愛する弟の命を奪った、シュマンという組織。その、幹部の座に君臨する男だ。
その幹部の男は、命は大事だとか、未来には希望が残ってるかもしれないだとか、綺麗事ばかり口にしてくる。
少女には、何一つ響いてこなかった。
――どうせこいつも、自分の名前を呼んではくれないのだから。
「おい、聞いているのか!?」
幹部の男は、一向に反応する気配の無い少女に苛立っている様子だ。声の限り叫び、鼻息を荒くし、喧しく少女を呼ぶ。
「レウィ=ディース!!」
その名を。
少女を少女たらしめる、最後に残された要素を。
少女は、ハッと幹部の男を見やる。自分の名前を勝手に付け変えたはずのシュマン。その幹部が、何故その名を口にしている。
「何だよその目は。大体、我輩は名前を変えるってのに納得してはいねえんだよ。名前ってのは、一つ一つがそいつを表す大切なモンだろうが……まあ、立場上お前の名を公けに言うわけにはいかねえんだがよ」
男は、片目を瞑って頭をぽりぽりと掻く。そして、瞳を閉じて頭を下げてくる。
「まあ、なんだ。お前の気持ちは良く分かる。弟の件は、残念だったな。シュマンの人間として、謝る。悪かった」
――悪かった?
ふざけるな。
弟の命が、ラウィの人生が、そんな言葉なんかで終わって良いはずが無い。
許されるはずがない。
許せるはずがない。
ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな――ッ!!!
ゴッ!! と、レウィの瞳から輝く光が吹き出す。神術と呼ばれる力。自分が連れ去られてしまった原因。
自分とラウィを引き裂いた、忌まわしい力。それを、レウィは振るう。
レウィの神術による攻撃をモロに受けた幹部の男は、盛大に血を流し、その場に膝をつく。
「が、はッ……へ、へへっ。これくらいやられても、文句は言えねえよな……お前の弟は、痛みを感じることすら、できなくなっちまったんだから、な……」
ごぶっ、と。男の口から赤黒い塊が吐き出される。肩で息をし、それでもレウィを真っ直ぐ見すえてくる。
「なぁ、この力を活かさねえか……? シュマンの目的は知ってるだろ?」
レウィは、無言のまま立ち上がる。そして、幹部の男を睨み続けた。
「孤児の救済、だ……アルカンシエルの、野郎どもの、せいで大量に発生しちまった子供達の保護が、第一だ。お前は、それをこなせる力を持ってる。力を、貸して欲しい」
幹部の男は、苦悶の表情を浮かべながらも、決して倒れない。強い意志を秘めた瞳で、レウィをなおも見つめてきていた。
「もちろん、我輩がこんな事を言える立場じゃねえのもわかってる。お前の弟を奪っておいて、それでも協力しろなんて虫の良い話だってわかってる! でも! お前がいることで救われる命があるんだ! お前のような思いをする子供たちを、少しでも減らすために立ち上がってはくれないか!?」
レウィは、男の胸のあたりを蹴飛ばす。
その攻撃に、幹部の男は流石に耐えきれず、尻餅をついてしまう。口からは、だらだらと赤い液体が流れていた。
その痛々しい姿を見て、それでも誰かのために我が身を削って懇願する姿勢を見て、レウィは少しだけ心が揺れる。
ラウィなら、あの子なら何て言うだろうか。
レウィは大体わかった。可愛い弟の言いそうなことなど、手に取るようにわかる。
『かわいそうだから、助けてあげてよ、レウィ姉ちゃん』
そう言うに決まっている。
かわいそうだから、とかいっちょまえに言っておきながら、肝心なところは他人任せ。まったく。心優しく、それでいてわがままな子である。
フッ、と。レウィは口元を緩ませる。
――そう言えば、あの日以来、初めて笑ったかもしれない。
自分は、ラウィのお姉ちゃんだ。ラウィの世話をして、助けてあげ、理想のお姉ちゃんであり続けた。
その事実は、絶対に変わらない。
たとえ、ラウィがもうこの世にいないのだとしても。
ラウィが慕ってくれた、姉である自分。ならば自分は、最期の時まで、お姉ちゃんらしく生きて死ぬ。ラウィに誇れる、自慢の姉であり続けるために。
レウィは、幹部の男の手を取った。その突然の行動に幹部の男は面食らったようだが、すぐにレウィの手を握り返してきた。そしてレウィは、自分が傷つけた男を無理やり立たせ、頭を下げる。
シュマンの理想に協力するわけではない。自分はあくまで自分の思いに従って行動する。それがシュマンの利益にもなるなら、別に好きに使ってくれて構わない、と。
もはや、レウィは自分の名などどうでも良くなっていた。どうとでも、好きに呼べば良い。そんなものは、所詮ただの記号だ。
自分は、特定の『誰か』である必要は無い。
自分は、ラウィが慕う、姉なのである。それだけで、生きていける。その、永久に変わらない事実を誇りにして、これから生きていく。
――自分のような不幸な子供を、助けてあげて欲しい。
たとえラウィがそう言ってなくても、ラウィが考えそうなことをやってあげたい。不幸な運命にある小さな存在を、守る。そして、無くす。誰も、そんな理不尽なものに涙を流さなくて済むように。
何度でも言おう。
だって自分は、ラウィのお姉ちゃんなのだから、と。




