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お化けの前でチキンラーメンを作ること

 お化けはゆっくりと、ゆっくりと、僕の部屋のなかに入ってきた。本当はもっと早く動けるのだけれども、僕を怖がらせるために、あえてゆっくりと近づいてきているような気がした。


 お化けは僕の枕元に立った。それから僕の布団の上に、のっそりとのっかってきた。見た目よりもさらに、ずっしりとした重みがあった。砂袋が乗っかってきたような感触。呼吸するのも、少しつらくなる重さだ。お化けは僕の上に馬乗りにになって、勝ちほこったかのように僕を見下ろしてきた。


 僕は悲鳴を上げようとした。でも、それは声にならなかった。口をあけて、それでおしまいだった。


 僕の家は熱心な仏教徒だったので、僕も子供の頃からお経を暗誦していた。だからその一節を心の中でとなえてみた。しかし、まったく効果はなかった。お化けはそんな僕をあざ笑うかのように、眼を三日月のように細めた。


 お化けはその顔を、僕に近づけてきた。たくさんの眼が、僕の顔の目の前まで近づく。たくさんの目は、じっくりと僕の瞳の奥を見すえた。僕の心のなかを探ろうとしているように見えた。そしてその中にある一番弱いものを見つけ出して、面白半分に叩き壊そうとしているように思えた。そういった種類の悪意に満ちた視線だった。


 僕は恐怖のあまり、なにもすることができなかった。落ち着け。冷静にできることを考えるんだ。そんな言葉が頭の中をループしたけれども、何ら名案は浮かばなかった。


 その代わりに、自分にできることなんて何もないことに気がついた。そもそも体の動かない僕には、ただ今起こっていることを見届けるしかできなかった。


 ようやく僕は腹をくくった。


 そうだ。どのみち自分は死のうと思ってたんだ。例えこのお化けに殺されることになったとしても、特に問題になるようなことはない。自殺だろうと、他殺だろうと、死さえ成し遂げることができれば、あとは手段でしかないのだ。殺したいなら殺せばいい。


 そう思った僕は、お化けの眼をまっすぐに見つめ返した。お化け全体ではない。お化けの個々の眼に対して、その奥底にどんな感情がひそんでいるのか、それをのぞきこんだ。


 すると、いろんな種類の眼があることに気がついた。僕が怖がるのを面白がっている眼。蔑む眼。驚いたことに、中には憐れむ眼もあった。


 僕はあることに気がついた。その眼たちは、何かに似ていた。TVを見るひとの眼にそっくりだった。受動的に娯楽を享受するときの眼。そんな眼をしていた。


―そっか。僕は彼らにとっての、TVなんだな。


 そう気づくと、僕はすっと肩の力が抜けた。TVを見ている人なんて、怖がる方がどうかしているからね。


 するとね。急にお腹が減った。お腹がぐーって鳴ったんだ。僕は立ち上がり、お化けを押しのけた。僕の身体はもう動けるようになっていたし、お化けだってもうあまり怖くはなくなっていたんだ。


 そして、僕は次に何をしたかっていうと、お化けを無視して、台所に向かうことにしたんだよね。


 僕の部屋は真っ暗だった。電気をつけても、つかなかった。でも、何の問題もないことに気がついた。ここは僕の家なので、どこをどう歩けば、台所に行けるかなんて、電気がなくったって分かる。例えどんな深い暗闇に包まれていようと、問題なんかないんだ。


 だから僕は、手さぐりで台所に向かった。一階に降りるゆるやかな階段。僕はその段数だって記憶している。手すりにつかまりながら、するするとおりていく。


―トン…トン…


 後ろからお化けがついてくる音がする。でも、なぜだろう。まったく怖くはなかったんだよね。


 僕は台所につく。手さぐりで、戸棚の中からチキンラーメンを取り出す。そして同じように、手探りで戸棚からお鍋をとりだして、水道で水を入れて、ガスコンロに火を入れる。ガスコンロの青白い光が、僕とお化けの二人をぼんやりと照らす。


 お湯がわくと、僕は鍋の中にチキンラーメンを入れる。冷蔵庫から玉子を取り出して、その上にのせる。僕とお化けは、それが茹であがるのをぼんやりと眺めている。


 ラーメンができあがると、僕はそれをどんぶりに入れて、机の上に置く。椅子に座り、それを食べる。その様子を、少し離れたところでお化けが見ている。食べ終わる。お茶碗を洗う。するとお化けはもう、そこにはいなくなっていたんだな。彼らにとっての自分は、とてもしょうもないTVだったんだろうね。


 僕はお化けを追い払うことに成功したようだった。でもそのことで、心の中の暗雲がきれいさっぱり晴れたかというと、もちろん、そんなに単純な話ではない。生きるということが、そんなにシンプルな話ではないことは、君はすでに知っているはずだよね。僕の心の中には、常にあの時の光景があったし、どれだけ楽しい気持ちのときでも、それを思い出すだけですぐにでも高いところから飛び降りて、死にたい気持ちになれた。心の中にあの光景があるだけで、僕は自分にいかなる種類の自信を持つことはできないと思ったし、残念ながらそれは、今でもあんまり変わってないんだよね。僕たちは、死ぬまで終わってくれないことを、いつでもおっぱじめてしまうリスクと常に隣り合わせているのかもしれないね。


 それから僕がどうしたかというと、自殺するのはひとまず中止することにしたんだよね。中止というから延期。延期の理由は、お化けを追い払ったことで、自信が少しだけついたから。もうちょっとだけがんばって生きてみよう。もうちょっとだけ。その繰返しで、ずるずると今にいたっているんだよね。


 というのが、僕とお化けが出会った話のあらましになる。僕はいろいろあって、お化けに会いはしたが、お化けから目をそらさず、チキンラーメンを食べるという日常にしがみつくことで、なんとか生きながらえた。もがきながらも生きていこうと思って、実際にそれをした。し続けたし、今でもし続けている。話してみればなんてこともない。ただ、それだけの話だ。


 お化けのこと、信じられるかい?


 まあ、信じても、信じなくてもいいんだ。それでも僕はお化けに会ったのは確かなわけだし、君もこれからおそらく、お化けに出会うことになる。僕がしたかったのは、たったのそれだけの話だ。


 君と話せる機会はあと何度あるだろう。あんまり多くはない気もするし、意外とたくさんある気もする。分からない。なにしろ君の時間はとても早く進んでいて、僕なんかはすぐに振り落とされてしまうだろうし、すぐに古くなって、おんぼろな過去になってしまうだろう。それはそれで仕方ないことなんだよね。そんなことを考えていたらね。つい話したくなってしまったってわけ。


 まあこの話に一つだけつけくわえるとするのなら、もしこの先君がお化けに出会うようなことがあったとしても。たかだかお化けなんかに負けるんじゃないよってことかな。


 面白かった?

 いや、面白くても面白くなくても、僕はこの話を君にしたかったんだよ。

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