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09.私は蚊帳の外で

 

「それにしても今日は冷えるよねぇ。ちょっとあの店であったかい飲み物でも注文して暖を取りましょうよ。あ、もちろん僕の奢りですから安心してください」


 殿下は意外と押しが強いのね。

 温和な見た目とは裏腹な積極性に私は逃げる機会を逸してしまう。断りの言葉を出すにもどう言えば殿下の気分を害さずにいられるか、或いはお付きのアガサ様の眉間の皺がこれ以上深くならないか。

 殿下の斜め後ろには相変わらず側近のアガサ様が控えていて、私を害虫のように見ていらっしゃる。本能的に察していらっしゃるのかしら。私がやんごとなき方に近付いていい人間ではないと。


「もしかして夫君以外の男と相席するのに戸惑っているなら安心して下さい。アガサも一緒ですから疚しくはないでしょ? ねぇアガサ」


 頷かない私の意図をそれっぽく解釈した殿下が突然話を振ったことで、アガサ様は渋面をより険しくして私を見やった。


「……エステラ様はあなたと一緒にいられる時のアイエネス様の様子を聞きたいんです」


 深々と沈痛の面持ちで息を吐き、アガサ様は「だからどうですか」と仕方なさそうに誘って来た。忠臣なのだなと思った。

 二人がかりで誘われてはより言葉選びに窮した私は、首の弱い人形みたいにかくんと頭落ちるように頷く。

 私の困ったところは、人と関わるのが怖いくせに人を突き放せないことだ。

 バレるリスクを高めるだけと知りながら人と関わり、そして転々と居住を変える愚かしさは一度記憶をなくしても治らないのね。

 そうして私はこの前行ったパブに向かう。

 暖かくなって来た頃に戻って来た寒で、確かに暖かい飲み物は魅惑だ。こんな時でも、こんな時だからこそ一度鋭気を養って逃走する力を蓄えるのも大事よ。浅ましいけれど育って来た環境がタダ飯を逃すのを許さない一面もある。

 まさか私なんかに財布扱いされてるとは思ってもいないだろう、やんごとなきお方は私をエスコートし、扉を開いて待ち構えている。そんなことをさせては申し訳ない気持ちでいっぱいだけれど、身分の貴賎なく自然と行えるのはお育ちか、元々の性格か。

 固辞をしても失礼なのよね、きっと。

 会釈して殿下の脇を抜けて扉を潜ろうとして視界が傾ぐ。扉の境が溶け、固まって氷状になった地面に足を取られたのだ。あっと思うのと同時に殿下が私を支えようと身を乗り出すのを見た。

 ダメ。食べてしまう。

 一瞬で戦慄した時、後ろから私を支えて殿下の手から私を救ったのは、いえ、殿下を私から救ったのはアガサ様だった。


「……申し訳ありません、エステラ様。少しわたくしと彼女の二人だけでお話をさせてくれませんか」


 私を背中から支えるアガサ様が殿下に窺いを立てる。殿下は「何故今?」という顔を見せるけれど、何を思ったか満面の笑みを浮かべ「女同士の話なんだね」と知ったようなそぶりで頷いた。殿下は私とアガサ様を店内に入れようとしたけれど、アガサ様が固辞し、逆に殿下の方を先に入店させた。——主を寒空の下で待たせるわけにもいかないものね。

 しかし気になるのはアガサ様の方だ。私に触れて無事な訳ない。直に触れた訳ではないけれど、接触して害がなかったことなどない。原因が私とは気付きにくいだけで、倦怠感とかあるはずだ。酷い時は吐いて倒れる人もいた。

 先を歩くアガサ様の様子を見る。足取りに不安はない。むしろ浅い雪上を進む速さにほっとして、私は連れ込まれた場所が路地裏であるということに警戒心を怠っていた。

 空が暗くなって来た。吹雪く前に個々から離れないとなどとぼんやり考えていると、背中に呼吸を遮るような衝撃と、首筋に熱を持った鋭い痛みが走る。


「お前は……計画を狂わせた挙句、エステラ様に危害を加えようと……よくもっ……」


 一体どうしたという豹変に、私はただ目を丸くするだけ。

 私は民家の石壁に背中を押し付けられ、首筋にナイフを突き立てられている。

 それでも私が冷静を保てたのは向けられた視線が浴び慣れた殺意と畏怖と侮蔑の色だからだ。

 ああ、この人は“私”を知っている人なのか。

 アガサ様は叫び出したい怒りを喉元で堪えているような、絞り出す低い声で彼女は吐き捨てる。


「ほんと使えない。ターゲットに現抜かした挙句、任務放り出して記憶喪失になってまで生き延びてるとか、あまりにも生き汚い……」

「ターゲットって、もしかして貴方が依頼人?」

「まさかそれも忘れていたの? なんて呑気な暗殺者かしら」


 呆れて鼻で笑われたが、この人は生真面目な固い表情カオ以外も見せるのだと感心してしまった。というのも、私は以前にも彼女と会っている。その事実をたった今思い出したからだ。

 そもそもアンの掃除婦の話を持ちかけたのは彼女だった。何処から噂を聞いたのか冬を越せる仕事を探していた私を見つけ出し、彼女はある依頼をした。

 アンの暗殺と言う仕事を。


『簡単でしょ? 触れるだけでいいのだから。それに彼の予言にも穴があるらしいのよ。己とまだ命名もされてない赤子の未来は読めないってんだから、名無しの掃除婦の動きも殺される己の運命も分からず殺される。貴方の力も裁けるものじゃないわ。勿論、受けてくれれば貴方の今後の生活に不足ない報酬を与えると約束しよう』


 そんな力の使い方もあるのだと目から鱗と同時に反吐も出た。けれど断れば私の命も危ういと察せたので拒否権などない。表にはアガサ様が関わったと言う記録なしに、私は通年のように一冬の掃除婦としてあっさり雇われた。

 そして彼女と私の計算違いは始まる。だから今に至るのだろう。


「どうしてアンを殺したいの」


 いつ食い込んでくるか分からないナイフを横目に、私はアガサ様に問う。

 アンの力は国にとって必要な筈。アンの死は国益の喪失ではないのか。

 私の目から見てもアガサ様の殿下への忠誠に不義はない。では殿下の方に動機があった? いいえ、私は悪意には敏感だ。殿下に悪意は見えなかった。あるとしたら恐ろしく隠すのが上手い人だけれど、アンは気を許しているようだったから除外してもいい。

 私は何を思い出していない。思い出せ。依頼を受けた時、彼女は期限を設けた筈だ。

 ——そう、期限だ。

 冬が明ける頃までに……崩御した先王の喪が明けるまで……。

 喪が明けたら何が始まる。国勢に強くはないけれど、国王の崩御は下々の民にまで届く。忌明けに新国王が決まるのだと騒いでいたのを私だって覚えていた。


「まさか貴方、アンに新王の宣託をさせない為に……?」


 そんな馬鹿げた理由だけで。

 怒りに震えればアガサ様は意にも介さぬ顔で壁に突き立てたナイフに力を入れる。


「エステラ様がわたくしの全てだ! 聡明なあの方を玉座に就かせるのが、わたくしのあの方に尽くせる最大の恩返しだわ! お前みたいな化け物に何が分かる! 化け物の分際で一時の色恋に浮かされて日和って化け物らしく振る舞えないで何を夢見ている!」

 

 壁に突き刺さったナイフが引き抜かれ、切っ先が向けられて私は死を覚悟する。

 出来れば意地汚く生き抜きたい信条ではあったけれど、アンに一度でも殺意を向けてしまった私への罰として受け入れよう。

 静かに目を閉じる。願わくばもう一度名前を呼ばれたかったと我が儘を願って。


「リサに手を上げるなアガサ!」


 都合のいい声が降り注ぐ。


「アン……」


 現れた、私の最愛のひと。

 涙が溢れた。自分から逃げ出したくせに、未練ばかり募らせた彼の姿を写しただけで私の涙腺は容易く決壊する。


「アイエネス……!」

「やっと尻尾を掴んだぜ、アガサ。お前の野望は潰えたんだ、諦めろ」


 そう告げるアンの言葉のあと、アガサ様は泣き出しそうに唇を歪めてナイフを落とした。アンに現場を押さえられ観念したと言うより、その後ろに殿下が控えていたからだろう。


「アガサ……どうしてそこまでして……」

「だってわたくしにはこれくらいしか貴方に報えないじゃないですか……!」


 悲痛な叫びの中にようやく彼女の中で“女”を見た気がして、私はアンを窺う。彼は肩に掛かった一つに束ねたおさげを無感情に払い、深く息をつく。


「あらかたの事情はもう視えている。エステラにも内容は筒抜けだ」

「そんな……話したのか!?」

「最良の選択だ」


 何の話をしているのだろう。

 事情を知らない私はただ傍観する。ただアガサ様は酷く絶望されていて、アンの後ろで殿下は申し訳なさそうにしている。


「アガサ、お前さんには同情する。顔馴染みだし、お前の気持ちはよく分かる」


 淡々と書類を読み上げるようなアンの言葉に割って入るように殿下が彼の肩を掴んだ。しかしアンは無情にも首を振って吐き落とす。


「罪は罪だ」


 彼らの事情に最初から最後まで外野だった私は、この時のこれがアンの、アイエネスのさいごの采配だと知る由もなかった。


 

 

 

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