第5話
「行ってきます!」
俺は運動着に着替え、スニーカーを履いて家を出た。
「気をつけてね!」
母さんは箒を手にしたまま玄関先に立ち、走っていく俺を見送っていた。
「まったく、急に運動するなんて言い出して……最近のこの子、本当に驚かされてばかりね」
母さんは玄関先でそんな独り言を呟いていた。
残念ながら、その言葉は俺の耳には届いていなかったけど。
俺は公園を走りながら、昨日の出来事を思い返していた。
***
昨日、課題が終わったあと。
俺は体力と魔力の関係について調べるため、図書館を訪れていた。
ただ課題をこなしただけなのに、息を切らすほど疲れてしまったことが、どうしても気になったからだ。
「やっぱり、体力と持久力は魔力量に直接影響するのか」
そう考えると、前世でゲームをしていた頃、攻略サイトが体力系のステータスを優先して上げるよう勧めていた理由にも納得がいく。
当時は、後半のステージが難しくなるから、体力を上げて長期戦に持ち込むためだと思っていた。
まさか、本当にこの二つが関係していたとは。
家にもこの手の知識が書かれた本はある。
ただ、どれも大まかな説明しか載っていなかった。
その点、図書館の本にはかなり詳しく書かれている。
「ん? トール君?」
声が聞こえ、俺は反射的に振り返った。
腰まで届く、艶のある真っ黒な長髪。
前世風に言うなら、いわゆる黒髪ロングってやつだ。
思わず目を奪われるほど整った顔立ちに、文句のつけようがないスタイル。
ルルアンにも負けない人気を誇り、本作では二番目に人気の高い女性キャラクター。
――ミルフィ・ドロシー。
なんで彼女がここに!?
しかも近い!
やっぱり、こんな至近距離で美少女を見ると目の保養になるな……。
……って、何考えてるんだ俺は。
とにかく落ち着け。
「あの、ドロシーさん。どうかした?」
「ううん。ただ、ここでトール君を見るとは思わなかったから」
意外……?
まさか!
このゲームでは、プレイヤーにいろいろなCGを解放させるため、様々な場所に特殊イベントが用意されている。
ヒロインとの好感度を一定まで上げた状態で特定の場所へ行けば、それに対応した好感度イベントが発生する仕組みだ。
俺は慌てて周囲を見回した。
だが、シス・ヴィノの姿はどこにもない。
「ふふっ、どうしたの? さっきからキョロキョロして。何か悪いことでもしたみたい」
「い、いや、別に……ははは」
まあ、そうだよな。
好感度イベントがこんなに早く起きるわけがない。
それに、トールとドロシーに何か特別なイベントがあったなんて、俺はまったく覚えていない。
「なるほど。魔法と体力についての本を読んでるのね」
ドロシーは少し身を乗り出し、俺が持っている本へ視線を向けた。
まずい。
この子が何をしようとしているのか、まったく分からない。
だからといって、そんなことを直接聞けるわけもなく、俺はその場で固まるしかなかった。
「さっきの課題、少し時間はかかってたけど……まさか全部当てるとは思わなかったわ」
なるほど……。
そういうことか。
「終わったあと、すごくつらそうだったから声をかけようと思ったの。でも授業が終わったらすぐに出ていっちゃったから、何をしてるのか気になって」
「いや、その……心配かけてごめん。ただ、ちょっと気になることがあったから、調べに来ただけなんだ」
「ふふっ、トール君って勉強熱心なのね!」
ドロシーは身体を起こすと、にっこりと笑った。
「それじゃあ、私はもう行くね。また今度、ゆっくり話しましょう。トール君」
ゲームで見た時と同じ、爽やかな笑顔。
思わず少し見惚れてしまった。
そりゃ人気も出るよな。
でも、これでようやく分かった。
どうして突然、ドロシーとの間にこんなイベントが発生したのか。
原因は――。
俺があの課題をクリアしたからだ。
あの課題は、元々ゲーム会社が用意したちょっとしたミニゲームに過ぎない。
でも満点を取れば、何人かのキャラクターの好感度が上昇する仕様になっていた。
ただ、あの時の俺は完全に忘れていた。
今の俺はシス・ヴィノじゃない。
ポート・トールなんだ。
その結果、課題をクリアしたことで、本来なら俺に向くはずのなかったドロシーの興味を引いてしまった。
***
回想はここまで。
走り終えた俺は、芝生の上に寝転がって休んでいた。
「どうやら……世界線が少しずつ変わり始めてるみたいだな」
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