自然体験学習
ゴールデンウイークに実家へ帰ったときのお土産に、中田先生へマサムラのシュークリーム(ベビーシュー)を買いに行った。
――ヤバい。たかがシュークリームを買うだけなのに、どうしてこんなに緊張しているんだろう。
一人暮らしの男性に十個は多いかな、と迷ったものの、マサムラのシュークリームは小ぶりだし、先生は甘いものが好きだと言っていた。
結局、シュークリーム五つと天守閣サブレ五枚の詰め合わせにした。
中田先生とは、同じ町営住宅に住んでいる。
駐車場から見上げると、先生の部屋には灯りがついていた。
私は思い切って呼び鈴を押した。学校で会うときとは違い、心臓が妙にバクバクしている。
ほどなくしてドアが開き、中田先生の顔がのぞいた。
「あの…連休に実家へ帰っていて、この一か月、本当にお世話になったので。ほんのお礼です」
そう言って箱を差し出すと、先生は優しく微笑んだ。
「ありがとう。甘いもの、大好きなんです」
「私も二年前はそうでしたが、上条先生も今はわからないことだらけで大変でしょう? 無理しないように、明日からまた頑張りましょう」
お土産を渡せたことが嬉しかったのか、受け取ってもらえたことが嬉しかったのか、それとも先生と話せたことが嬉しかったのか。
自分でもよくわからないまま、私は元気よく「はいっ!」と答えて部屋に戻った。
翌朝、学校でシュークリームのお礼を言われ、一日中口角が上がりっぱなしだったのは言うまでもない。
紗月と六月に会う約束は、私の吹奏楽部の発表や練習、紗月の保育園の保護者会の準備などで日程が合わず、七月に繰り越しになった。
六月には、中学一年生の“自然体験学習”がある。
“少年自然の家”を利用した一泊二日のキャンプだ。
初日はオリエンテーリング、モルック、カレー作り、キャンプファイヤーとプチ肝試し。
二日目は木工体験とマレットゴルフ。
支援級にも一年生がいるため、私と中田先生も同行した。
幸い天候に恵まれ、汗ばむ暑さの中、二日間を楽しむことができた。
アウトドア体験が多いこともあり、中田先生の活躍が目立った。
(というか、私はずっと感心しっぱなしだった。)
キャンプファイヤーでは、先生が生徒たちにマッチの擦り方を教えていた。
「マッチはこうやって持つんだ。怖がらないで、火薬の近くをしっかり。端を持つと折れちゃうからね。長く擦る必要はないよ。手首を使って、ちょっと力を入れて…こんな感じ」
シュッ、と軽やかな音がして、火が灯る。
生徒たちは「おおっ!」と声を上げた。私も一緒に声を上げてしまった。
「木の軸が燃えるまで少し時間があるから、持ち直して風に気をつけて…はい、こうやって火を移すんだ。じゃあ、やってみて!」
生徒たちは次々とマッチを擦り、キャンプファイヤーに火が灯っていく。
プチ肝試しも盛り上がり、消灯の時間を迎えた。
私は炊事場とキャンプファイヤーの火が完全に消えているか気になり、スマホのライトを点けて確認に向かった。
すると、ヘッドランプをつけた中田先生がすでにそこにいて、消火の確認と後片付けをしていた。
「あっ、先生にやらせちゃってすみません。私、気が利かなくて…」
「大丈夫ですよ。こういうのは慣れてるんです。自己紹介のとき、趣味は登山って言いましたよね?」
「はい、覚えています。それにしても先生、すごいですね。マッチにも正しい点け方があるなんて知りませんでした」
「今はマッチを使うことなんて、めったにないですからね。僕も普段はオイルライターですし。上条先生はインドア派ですか?」
「えっ? あ、ああ…アウトドアの経験はあまりなくて。でも今日は楽しかったです。またやってみたいというか…あの…」
(この流れで“今度、山に連れて行ってください”って言えたら…)
「ああ、二人ともここにいたんですか。消火の点検、ご苦労さまです。今から今日の反省と明日の打ち合わせをしますので、集まってください」
背後から教務主任のH先生の声がした。
「すみません。今行きます」
その夜は、“連れて行ってください”の一言を胸に残したまま眠りについた。
でも、あのままH先生が来なかったとしても、私は言い出せなかった気がする。
そんな複雑な気持ちを抱えたまま、自然体験学習は終わり、いつもの日常へ戻っていった。
校舎に戻ると、山から吹き下ろす初夏の風が、ほんの少しだけ私の背中を押してくれた気がした。




