表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雛代の箱庭  作者: N
3/5

3話

ある日、

私は石を拾って川に投げる真似をしていた。


音は鳴らない。

でも、昔の癖だった。


「それ、なに?」


キクが覗き込む。


「遊び」


「……それが?」


「それしか、なかったから」


言ってから、

また少し恥ずかしくなる。


キクはしばらく考えて、


同じように石を拾う真似をした。


「じゃあ、それも遊びにしよ」


ぽい、と投げる。


音の代わりに、

キクが「ちゃぽん」って言った。


私は思わず笑ってしまった。


「なにそれ」


「音、ないから」


真顔で言う。


「代わりに言えばいいかなって」


くだらないのに、

おかしくて。


もう一度、投げる。


「……ちゃぽん」


今度は、私が言った。


キクが笑った。


気づけば、

白はほとんど見えなくなっていた。


景色が増えたからじゃない。


二人で使う場所が、できたからだった。


白がほとんど見えなくなった頃、

キクがふと空を見上げて言った。


「ねえ、雛」


「なに?」


「ここ、ずっと同じだね」


言われて、気づいた。


空は明るいまま変わらない。

影も動かない。

風も、時間も、どこにも進んでいない。


「……そうだね」


私はそれまで、

変わらないことに安心していた。


でもキクは、

少しだけ首を傾げる。


「外ってさ、変わるんだよ」


「変わる?」


「暑くなったり、寒くなったり。

匂いが変わったり、音が変わったり」


私は知らない。


山の記憶はあっても、

季節を“楽しむ”記憶はなかった。


ただ過ぎるものだったから。


「じゃあ」


キクが私のほうを振り向く。


「作ろっか」


「……作る?」


「うん。せっかく雛、なんでもできるんでしょ?」


その言い方が、少しだけ楽しそうで。

私は、断る理由を探せなかった。


最初に作ったのは、春だった。


キクが言う。


「花、咲かせたい」


「どんな花?」


「……雛の知らないやつ」


困った。


知らないものは作れない。


だから、

山に咲いていた小さな花を思い出して、

少しだけ色を増やした。


白。

薄い桃色。

名前のない花。


「これでいい?」


キクはしゃがみ込んで、しばらく見ていた。


それから、ひとつ頷く。


キクは花びらを一枚取って、

私の髪に挿した。


「春だから似合うよ」


「……分からない」


理由になっていないのに、

なぜか納得してしまった。


次に作ったのは、夏だった。


「水、増やそう」


川を広げた。

流れを少し速くした。


キクは迷いなく足を入れる。


「冷たい!」


私は温度を変えてないことよりも、品のあるキクが初めて年相応の子供っぽい声をだしたのを驚いた。


そして、手で水をすくって、

私にかけた。


「ちょっと……!」


驚いた拍子に、私もやり返す。


気づけば、

二人で水をかけ合っていた。


濡れる感覚なんて本当はないのに、

袖を払う真似をして笑っていた。


「夏ってこういうの!」


「子どもみたい」


「今さらでしょ」


笑い声が、

初めてこの場所に響いた気がした。



三つ目に作ったのは、秋だった。


空を高くした。


雲を薄くして、

風の音だけを少し長く残す。


キクは縁側に座って、

何も言わず外を見ていた。


私も隣に座る。


沈黙が続く。


でも、それは嫌な沈黙じゃなかった。


「静かだね」


キクが言う。


「……うん」


それだけで十分だった。


誰かと同じ方向を見ていることが、

こんなに落ち着くなんて知らなかった。



最後に作ったのは、冬だった。


「火、いるよね」


必要ないのに、

囲炉裏を作った。


火を灯す。


揺れる光だけが、

ゆっくり動いていた。


キクが手をかざす。


「ほら、冷えてる」


そう言って、

私の手を包んだ。


作った火より、そっちのほうが温かかった。


それから二人は、

何度も季節を繰り返した。


同じ春を、違う春にした。

同じ夏を、少しだけ長くした。


本当の時間は流れていないのに、

ここには確かに「過ごした時間」が積もっていった。


白しかなかった場所は、

もうどこにもなかった。


景色が増えたからじゃない。


二人で過ごした記憶が、

空間を埋めてしまったからだった。


ある日、縁側に座っていると、キクが畳の上に櫛と紐を並べていた。


「雛、こっちおいで」


「……なにしてるの?」


「遊ぶの」


遊ぶ、と言いながら、

やけに真剣な顔をしている。


私は言われるまま、キクの前に座った。


すると、キクは私の後ろへ回る。


衣擦れの音が、すぐ近くでした。


「動かないでね」


指が、髪に触れる。


……思っていたより、ずっと優しかった。


絡まったところを引っ張らない。

ほどくみたいに、なだめるみたいに、

何度も指で撫でてから櫛を通す。


さら、と小さな音がした。


「雛の髪、やわらかい」


「そう?」


「うん。触ってて楽しい」


そんな理由で触られていることが、

少しくすぐったかった。


キクは髪を持ち上げて結び始めた。


迷いがない。

結ぶたびに指が確かめるように止まって、

また動く。


「今日はね、いろんな髪型試したい」


「そんなにあるの?」


「いっぱいあるよ。外ではみんなやってた」


私は何も知らなかったから、

ただ任せるしかなかった。


最初は高い位置でまとめられた。


「できた」


「……これ、なに?」


「うさぎ」


「うさぎ?」


「耳みたいでしょ」


言われて想像したら、

変で、思わず笑ってしまう。


その瞬間、キクの手が止まった。


「雛、笑うと崩れる」


「だって変だよ」


「変じゃない」


言いながら、

もう一度、結び直す。


さっきより丁寧に。

ほどけないように、確かめるみたいに。


「……今度は?」


「似合う」


「見えないよ」


鏡を見ようと立とうとすると、

キクが、私の肩に頬を寄せた。


「私が見てるからいいの」


距離が近すぎて、

少しだけ息がくすぐったい。


でも、離れようとは思わなかった。


「次、雛の番」


今度はキクが前に座る。


キクは自分の髪をほどくと黒髪がそのまま背中に流れた、

触っていいのか少し迷った。


「……触るよ?」


「うん」


許されたので、そっと指を入れる。


「……すごい」


「なにが?」


「髪、きれい」


そう言うと、キクが少し笑った。


「雛に触られるから、ちゃんとしてる」


意味が分からなくて、

でも聞き返せなかった。


「ここを三つに分けて」


キクが手を添えて教えてくる。


そのまま、

私の手の上にキクの手が重なった。


一瞬、動けなくなる。


温かい。


ただそれだけなのに、

胸の奥が変に静かになる。


「……雛?」


「ご、ごめん」


慌てて編もうとして、

失敗する。


するするとほどけた。


キクが笑う。


「もう一回」


今度はゆっくり、

教えられた通りに指を動かす。


途中で何度も崩れて、

そのたびにやり直して、

二人で笑って。


やっと結べた頃には、

最初の形なんてどうでもよくなっていた。


「できた」


「うん」


キクは自分の髪を触って、

嬉しそうに目を細めた。


「これ、雛がやったやつ」


誇らしそうに言う。


そんな顔をされると、

失敗ばかりだったのに、

ちゃんとできた気がしてしまう。


その日から、

髪を結うのは遊びになった。


今日はどんな形にしようか、と相談して。

うまくいかなくて笑って。

ほどけても気にしなくて。


景色を作るのとは違う、

もっと小さなこと。


でもその小ささが、

なぜかいちばん楽しかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ