2話
私は少女の魂を回収し、保管する場所へ入れた。
そこは白い空間だった。壁も床も天井もなく、ただ白い。
私もそこに入れる。魂と会話ができた。
最初は恨みをぶつけるためだった。
「どうして、私の代わりに流れてきたの」
「どうして、私の居場所を奪おうとするの」
私の胸の奥のざわめきの捌け口にしてやろうと思っていた。
「ここ、寂しい。……殺風景だね」
少女はぽつり、と言った。
私は、何も返せなかった。
責められると思っていた。
泣き叫ばれると思っていた。
恨まれる準備をしていた。
けれど、どれも来なかった。
少女はゆっくりと私を見た。
「ここ、あなたの場所?」
問いかけだった。
断罪じゃない。
ただ、知ろうとしている声。
「……そう」
喉が乾いていた。
なぜか、言葉がうまく出ない。
「私が、作った」
作った。というより、閉じ込められた結果できた場所だ。
でも訂正する気にはなれなかった。
少女は、小さく頷いた。
「きれいだね」
その感想に、私は戸惑った。
きれい?
ここは、何もないだけだ。
意味も、匂いも、時間もない。
ただの空白だ。
「ずっとこのままだと、少し怖いけど」
少女はそう付け足した。
胸の奥が、わずかに痛んだ。
——私も、同じことを思っていた。
でも、それを言葉にしたことは一度もなかった。
私は、少女を見た。
「……どうして、抵抗しなかったの」
気づけば、口に出していた。
少女は少しだけ目を伏せた。
考えている、というより、
思い出している顔だった。
「しても、同じだから」
あまりにも静かな答えだった。
「生まれたときに、もう決まってたの」
その言い方は、諦めというより、
整理された事実のようだった。
私は、何も言えなかった。
怒りも、悲しみも、
うまく湧いてこない。
ただ、自分の中の何かが、少しだけ崩れた。
少女は、今度は私のほうをじっと見た。
「あなたは……違うね。
まだ、怒ってる」
言い当てられて、息が詰まった。
私は視線を逸らした。
怒っている?
違う。
私は、役目を守っただけだ。
ここにいる理由を、失わないために。
それだけだ。
……それだけのはずだった。
少女は、少し近づいた。
足音はしないのに、距離だけが縮まる。
「私、キクっていうの」
名乗った。
まるで、これから一緒に遊ぶみたいな調子で。
私は、答えなかった。
答える理由がなかった。
けれど沈黙のままなのも、落ち着かなかった。
「……雛」
小さく言う。
それが自分の名前だと、
久しぶりに思い出した気がした。
キクは、その名前を繰り返した。
「雛」
確かめるみたいに。
形をなぞるみたいに。
その呼び方が、
石碑の文字よりも、ずっと現実に感じられてしまった。
「ねえ、雛」
キクは白を見回す。
「ここに、何か置いてみない?」
「……何を」
「なんでも」
少しだけ笑った。
「景色とか」
私は、答えられなかった。
景色は私の記憶だ。
私しか知らないものだ。
ここに足す意味なんて、ない。
ないはずなのに。
なぜか、拒めなかった。
私は手を伸ばした。
白の中に、
山の匂いを落とす。
湿った土。
細い風。
それだけのはずだったのに、
空間に奥行きが、急に生まれた。
キクの目が、柔らかく細くなる。
息を吸う。
「生きてる匂いがする」
その言葉を聞いた瞬間、
胸の奥で、何かがほどけた。
ここは、死んだものを置く場所なのに。
初めて、
生きている感じがした。
「ねえ、これ……雛の知ってる場所?」
キクが訊く。
私は頷いた。
「山しか……知らないから」
言ってから、少し恥ずかしくなった。
ここに閉じ込められてからも、
結局、私はその中でしか生きていない。
でもキクは笑わなかった。
代わりに、しゃがみこんで土に触れた。
「やわらかいね」
指で確かめる。
本当に触れているみたいに。
「これ、雛が覚えてる感触なんだ」
私は答えなかった。
でも否定もできなかった。
キクは立ち上がると、
今度は白のほうを振り返る。
「じゃあ、今度は私の番。
私の知ってる景色、置いてもいい?」
拒む理由が思いつかなかった。
次の瞬間、
白の奥に色が落ちた。
最初に現れたのは、光だった。
点々と浮かぶ、小さな灯り。
揺れて、滲んで、消えそうで消えない。
続いて、
知らない匂いがした。
油と、煙と、
どこか甘い匂い。
ざわざわ、と
人の気配のような音が混ざる。
私は思わず後ずさった。
「……なに、これ」
キクが言う。
「夜の町」
白だった場所に、
道が生まれていた。
まっすぐじゃない。
少し曲がって、
どこへ続くのか分からない形。
「人は?」
思わず聞いた。
「いないよ」
キクは首を振る。
「いるように見えるだけ」
それは、山とは違う静けさだった。
私はその違いに、息が詰まった。
「雛は、こういうの知らなかったでしょ」
キクが少しだけ得意そうに言う。
私は頷いた。
知らない。
こんな世界、考えたこともなかった。
「怖い?」
そう聞かれて、
少し迷ってから答える。
「……怖い」
「そっか」
キクは、あっさり受け止めた。
「でも、慣れるよ」
そして、
私の隣に立つ。
「一緒なら怖くない」
その言い方が、
妙に自然で。
私は反論できなかった。
それから、
少しずつ景色が増えた。
山の奥に、小さな道ができた。
町の灯りが、山の影に混ざった。
本来、混ざるはずのないものが、
ここでは同じ場所に並んでいた。
「これ、変じゃない?」
私が言うと、
「変でいいよ」
キクは笑った。
「ここ、外と違うんだから」
その言葉を聞いたとき、
私は初めて気づいた。
ここは、
死んだ場所じゃない。
生を持ち込む場所なんだ。




