ソロモン諸島の日本軍は帰還する 1945年8月22日
ニューギニア島の戦いに終わりが見えたころ、ニューブリテン島とブーゲンビル島では、オセアニア地域の勢力図を根底から覆す「秘密の潮流」が音もなく動き出していた。
ラバウルを包囲し、ガゼレ半島の付け根で日本軍を封じ込めていたオーストラリア軍第5師団の陣地に、奇妙な静寂が訪れた。
昨日までジャングルの各所に配置されていたオーストラリア軍の哨戒兵の姿が、一人、また一人と消えていく。司令部と日本軍第8方面軍との間で秘密裏に交わされた「休戦、および撤収に関する協定」。それは、連合軍という枠組みを無視し、オーストラリアが選んだ選択であった。
「撤収作業を急げ。日本軍には話がついている。一発も撃たれることはない」
指揮官たちの低い号令の下、オーストラリア兵たちは武器をまとめ、数年間に及んだ泥濘の生活に別れを告げた。監視所から見えるラバウルの高地では、同じように武器を置いた日本兵たちが、去りゆくオーストラリア軍の列を黙って見送っていた。そこには敵意ではなく、過酷な島で生き残った者同士の、言葉なき連帯感すら漂っていた。
---
島の北部、中央、南部で激しい掃討戦を続けていたオーストラリア第2軍団もまた、その「刃」を鞘に収めた。泥まみれのジャングル。昨夜まで日本軍第17軍と血で血を洗う近接戦闘を演じていた最前線に、オーストラリア軍と新・太平洋艦隊の2機の航空機からそれぞれの軍に通信筒による停戦の連絡があった。そして、白い旗を持ったオーストラリア軍の使者が現れたのは、夜明け前のことだった。
「これ以上の流血は、我が国にとっても、諸君らにとっても無意味だ」
極秘協定に基づき、オーストラリア軍は実働部隊の大部分を海岸線へと後退させた。彼らは陣地を放棄し、自国へ帰っていく。それまで飢餓と戦いながら防衛線を死守していた日本兵たちは戦いから解放された自由と共にそれを見送った。オーストラリア兵たちは、本国へ帰投するための輸送船が待つ港へと向かいながら、一度も振り返ることなく、緑の地獄を後にした。
---
夕闇が迫る海。ブーゲンビルやニューブリテンの港から、オーストラリア軍を乗せた日本軍の輸送船団が静かに錨を上げた。
「俺たちは帰れるんだ。オーストラリアへ」
甲板に並んだ兵士たちは、遠ざかる島々の影を見つめていた。公式記録には残らない、歴史の闇に葬られるべき「秘密の撤退」。しかし、彼らにとって重要なのは大義名分ではなく、生きてオーストラリアの土を踏めるという、シンプルで力強い事実であった。
オーストラリア軍が去った後の陣地には、主を失った掩体壕と、静かに波打つ空の薬莢だけが残された。秘密協定によって、ソロモン諸島の広大な領域は一夜にして「非戦闘地帯」となり、それは同時に日本軍にとっての「帰還の拠点」へと姿を変えた。この二つの巨大な島では、一足早く、そして奇妙な形で戦争が幕を閉じようとしていた。オーストラリア本土へ向かう船団の航跡は、南十字星の下、ただ白く輝いていた。
1945年8月22日。激動する南太平洋の島々で、この土地の真の主である者たちが、静かに、しかし確かな眼差しで歴史の転換点を見つめていた。
---
ラバウル近郊、ガゼレ半島の深い緑に覆われた高台。そこには、密林の陰に溶け込むようにして、この地に生きる原住民たちの姿があった。彼らは精霊のように息を潜め、眼下の海岸線で起きている信じがたい光景を凝視していた。昨日まで森を震撼させていた豪州軍のトラックの轟音が遠ざかり、代わりに訪れたのは、不気味なほどの静寂だ。
「白い兵隊(豪州兵)たちが、海へ消えていく……」
長年、彼らの大地を戦場に変え、空を焼き尽くしてきた「外来の者たち」が、まるで何かに追われるように船へと乗り込んでいく。その後ろ姿を見送る彼らの瞳には、恐怖でも歓喜でもなく、ただ深い困惑と、自分たちの土地に再び訪れようとする「別の主」への警戒心が宿っていた。
---
ブーゲンビル北部の海岸線。波打ち際の茂みに身を隠し、一族の長老と若者たちが、沖合に停泊する輸送船を遠くから見守っていた。彼らの中には、かつて「コースト・ウォッチャー(沿岸監視員)」として豪州軍に協力し、日本軍の動向を伝えていた者もいた。しかし今、彼らが命を懸けて助けたはずの豪州兵たちは、何の別れも告げず、夜の闇に紛れるようにして島を去ろうとしている。
「嵐が去っていく。だが、後に残るのは何だ?」
若者が呟く。彼らの視線の先、豪州軍が放棄したばかりの野営地には、すでに山から下りてきた日本兵たちの影が動いていた。飢えて死にかけていたはずの日本兵たちが、今や堂々と大地を踏みしめ、去りゆく船を静かに見送っている。彼らにとって、この数年間の戦争は理解しがたい「神々の争い」のようなものだった。しかし今、その一方が去り、残された一方が再びこの島を統治しようとしている。その奇妙な交代劇を、彼らはただ、石像のように動かず、歴史の証人としてその目に焼き付けていた。
---
豪州軍の輸送船が水平線の彼方へ消え、その航跡が波に呑まれて消えるまで、彼らはその場所を動かなかった。鉄の鳥が空を舞い、巨大な筒が火を噴く時代。その「嵐」の中で、彼らは常に傍観者であり、犠牲者であった。しかし、主たちが去り、あるいは入れ替わるこの瞬間、島に流れる時間は、再び彼らの祖先が知る古いリズムへと戻りつつあった。日豪の秘密協定で決まった「撤退」。それを最も冷徹に、そして静かに見届けていたのは、文明の利器を持たぬ、この大地そのもののような人々であった。
彼らが密林の奥へと姿を消したとき、ブーゲンビルとニューブリテンの海岸には、ただ打ち寄せる波の音と、新しく主となった日本軍の軍靴の音だけが響いていた。オーストラリア軍の船団が水平線の彼方へ消え、静寂が戻ったのも束の間だった。島々の真の主である原住民たちは、密林の奥からさらなる驚くべき光景を目撃することになる。昨日までこの大地に根を張り、死を覚悟して「農耕」や「陣地構築」に励んでいた日本軍が、今度は自らその地を離れる準備を始めたのだ。
---
ラバウル近郊、かつて見渡す限りの菜園が広がっていた平地。高台に潜む原住民たちの目には、奇妙な光景が映っていた。第8軍司令官今村大将の命により、血の滲むような努力で育て上げられたトウモロコシや芋の畑。日本兵たちは、その実りを収穫するのではなく、手入れの行き届いた農具を静かに置き、代わりに手入れの行き届いた小銃を肩に担ぎ直していた。
「見ていろ。あの『穴に潜む者たち(日本兵)』が、日の当たる場所へ出てきた」
長老の呟き通り、地下要塞に何年も籠もっていた第8軍の数万の将兵が、隊列を組んで港へと向かっていく。彼らの足取りは重い撤退ではなく、何か新しい、巨大な使命に向かうような力強さに満ちていた。自分たちが耕した大地を一度だけ振り返り、感謝を捧げるように一礼して去っていくその背中を、原住民たちは無言で見守っていた。
---
ブーゲンビル北部の海岸線。つい先日まではオーストラリア軍の砂浜を、今度は日本軍の縦隊が埋め尽くしていた。原住民の若者たちは、密林の縁からその様子を凝視していた。日本兵たちが、オーストラリア軍が残していった食糧で活力を取り戻し、整然と移動を開始している。海岸には、どこから現れたのか、日の丸を掲げた大型の輸送船や大発(上陸用舟艇)が次々と接岸していく。
「白い兵隊が去り、黄色い兵隊も去っていく。この島に、誰もいなくなるのか?」
若者の問いに答える者はいなかった。日本兵たちは、自分たちが築いた家や、戦友たちが眠る墓標に最後の手向けをし、次々と船に乗り込んでいく。彼らが目指すのは、もはや「防衛」ではなく、遥か北方、あるいは東方の海で待つ「決戦」の地であることを、原住民たちは肌で感じ取っていた。
夕暮れ時、ブーゲンビルとニューブリテンの港からは、数えきれないほどの船影が沖へと滑り出していった。あれほど激しく、あれほど長くこの地を焼き尽くした「戦争」という名の嵐が、潮が引くように去っていく。後に残されたのは、丹精込めて育てられた作物が揺れる無人の畑と、空っぽになった巨大な地下壕、そして主を失った無数の陣地。原住民たちは、船のエンジン音が完全に聞こえなくなるまで、その場を動かなかった。
二つの大国が去り、島は再び、太古からの静寂へと戻ろうとしていた。しかし、彼らは知っていた。水平線の向こうでは、まだ止まない嵐が激しさを増していることを。彼らはゆっくりと立ち上がり、かつて自分たちのものだった、そして今、再び自分たちのものとなった大地へと、慎重に足を踏み出し始めた。




