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待たせたな!  作者: 僧籍
第二部 南方戦線に取り残された同胞の救出を誓う

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53/113

オーストラリアとの捕虜返還交渉団の出発

1945年8月2日、ブルネイ飛行場。


南洋の強烈な陽光が、滑走路のアスファルトを熱し、視界の先をゆらゆらと歪ませていた。その陽炎かげろうの向こう側に大きな双発機があった。


C-47「スカイトレイン」。


世界中の空を駆け抜け、あらゆる戦線を支えてきたその傑作輸送機の機体色は、馴染み深いオリーブドラブの迷彩ではなく、全体が純白に塗装され、主翼と胴体には鮮やかな緑色の十字が描かれていた。


それは、敵対する両軍が一時的な信義のもとに認めた、停戦と交渉の使者――「緑十字機」であった。


「エンジン始動!」

号令と共に、2基のツイン・ワスプ・エンジンが重低音の咆哮を上げた。白く塗られた双発の機体、翼に描かれた「緑の十字」が、ブルネイの空へ飛び立った。



---


プロペラが低く唸りを上げ、白いC-47が飛行している。

機内のキャビンには、交渉団の実務者たちと共に、三人の男たちが深く腰掛けていた。エンジンの振動が伝わる椅子の上で、外交官・加瀬俊一は、膝の上に置いた革鞄の鍵を静かに開けた。


カチリ、という小さな金属音は機外のエンジンの音に紛れる。


鞄の中に収められているのは、単なる「捕虜交換における書類」ではない。それは、数百万の血が流されたこの海域に、全く新しい秩序を打ち立てるための壮大な設計図――「南洋連盟構想」の草案であった。


独白:アジアの未来図

加瀬は眼鏡の縁を指先で軽く押し上げ、もう一度、自分たちが作り上げたものを確認する。書類の一枚一枚には、彼が「総合国家政治戦略企画機関」の精鋭たちと共に、不眠不休で練り上げた理念と計画が刻まれている。


(……松岡さんは誤った情勢の判断に躓き、東條さんは希望と思考の硬直性に誤った。だが、私は『静かな知性、開かれた心』をもってこの海を繋ぎ止める)


彼の脳裏には、三つの柱が明確に打ち立てられていた。


環カリマンタン連合:

マレー半島、スマトラ島、スラウェシ島、そしてこのカリマンタン島。これらを一つの緩やかな連合国家として独立させ、日本と対等かつ友好的な同盟を築く。支配ではなく、経済と文化による連合国。


海洋国家の盟友

南に横たわる大国オーストラリアを「敵」と呼ぶ時代は終わった。彼らを同じ海に生きる「対等な海洋国家」と再定義し、かつての日英同盟を凌駕する強固な貿易・友好関係を再構築する。


緩衝地帯の創設

ジャワ、ニューギニア、ソロモン諸島。これら紛争の火種となりやすい地域に速やかに現地政府を樹立させ、完全なる独立を支援する。それこそが、大国同士の直接衝突を阻む「平和の防波堤」となるのだ。


対等なる取引への覚悟

窓の外、眼下にはマングローブの緑と、宝石のような南支那海が広がっていた。数日前まで、この美しい景色を背景に烈風改とリベレーターが殺し合っていたとは信じがたい静けさだ。


加瀬は自身の覚悟を再確認するように、唇を固く結んだ。


「これは、単なる(いくさ)ではない」


誰に聞かせるでもなく、彼は心の中で呟いた。

これは、この地域を支配した国々に対して、新たなる汎文明独立主義の、「アジア自立」を成し遂げるための、命を賭した対等な取引なのだ。


純白の機体は、南の空へと機首を向けた。

緑の十字を背負ったその翼は、銃声の止んだ戦場に、言葉という名の新たな武器を運ぼうとしていた。


****



山下奉文大将:武人の決意


その対面に座る山下奉文大将は、随行する参謀たちと共に軍事地図を広げていた。彼の役割は、この和平案がけっして追い詰められた弱者の「逃避」ではないことを、オーストラリア軍部に知らしめることにあった。


「我々は、新太平洋艦隊の編成を終えつつある。……だが、これ以上の流血はアジアの疲弊を招くだけだ」


山下は、ニューギニアやソロモンに残る米軍残存勢力に対し、徹底的な打撃を与える準備が整っていることを、兵力と共に説明する用意があった。呉で修理を終えた「大和」や、帰還艦隊の空母群という圧倒的な武力、そして、新太平洋艦隊、彼は相手に日本の意志を突きつけようとしていた。


機体後部のキャビン。そこには、エンジンの低振動に身を任せ、静かに座る一人の男がいた。


オーストラリア空軍の指揮官、クライブ・コールドウェル大佐である。


彼の膝の上には、一冊の重厚なファイルが置かれていた。そこには、カリマンタンの密林で死線を彷徨い、日本軍の手によって奇跡的に生還した部下たち、総勢425名の名簿が綴られている。そしてその隣には、彼ら自身が自筆で記した「日本軍による人道的救護」の記録――食糧の分与、医療処置、そして武人としての礼遇――が、動かぬ証拠として添えられていた。


---



「生きた証言」の重み


コールドウェルはゆっくりと顔を上げ、前方の席に座る二人の日本人に視線を向けた。


「山下将軍、加瀬さん。私は、あなた方の国の提案を理解している。……そして、この戦争がこの地域で最悪な段階に入ろうとしているか、ということもな」


その声は掠れていたが、不思議な説得力を伴って機内に響いた。かつて空中で火花を散らした敵同士。しかし今、彼らは同じ純白の翼に揺られ、ひとつの目的地を目指している。


「私の任務はシンプルだ。425名の部下を、生きて家族の待つ家へ帰すこと。ただそれだけだ。だが、そのためにはひとつ、やらねばならんことがある」


コールドウェルは鋭い眼光を、南方へと続く水平線の彼方へ飛ばした。


「ダーウィンの司令部の上層部に、今すぐこの殺し合いを止めるべきだという事だ。私が連れ帰る部下たち自身が『生きた証言』となり、私の言葉を裏付けるだろう。この地域の次世代のための提案を受け入れるために」


宿敵から「同伴者」へ


コールドウェルにとって、この飛行の目的は奇想天外で驚嘆するものだった。かつての宿敵が操る機体で、自国の土を踏もうとしている。


だが、彼の手にある名簿の重みが、その心を繋ぎとめる。

復讐でも、憎悪でもない。互いの尊厳を認めた者だけが到達できる。


「山下将軍……。あなた方が兵力で彼らを震え上がらせるなら、私はこの名簿で彼らの良心を揺さぶってみせよう。……豪州も、いい加減に目を覚まさねばならん」


コールドウェルは、隣の座席に置かれた自身の飛行服の肩章を指先でなぞった。

425名の命。それは、加瀬が描いた「対等な国際関係」という机上の空論に、生々しい人間としての血を通わせるための最後のピースであった。


---




機体中央、エンジンの重低音がキャビンを揺らす中で、大来佐武郎は一枚の巨大な「海図」を広げました。


そこには、従来の一国完結型の工業化プラン(傾斜生産方式)とは全く異なる、広大な海を一つの「工場」に見立てた壮大な設計図が描かれていました。


「動く生産ライン」:海洋ロジスティクス連合


大来は、日本から東南アジア、そしてオーストラリアを結ぶ無数の航路を指でなぞりました。


「加瀬さん、山下大将。我々が提示するのは、特定の国に工業を集中させる旧来のモデルではありません。この広大な海そのものを巨大なベルトコンベア、すなわち『動く生産ライン』へと変貌させる、海洋国家群としての新秩序です」


大来の構想は、各国が自らの得意とする資源や中間財を供給し、それらをこれから開発する、高度な船舶運用能力によって、「あるべき所から、必要な所へ」、淀みなく循環させる仕組みでした。


「オーストラリアの鉄を、スマトラのエネルギーで溶かし、日本の精緻な部品と組み合わせる。これらが綿密なスケジュールに基づいた船舶輸送によって、一つの巨大な生産有機体として機能するのです。一国でもこの輪から外れれば、全体の豊かさが損なわれる。この『相互依存』こそが、いかなる条約よりも強固な平和の担保となります」


通貨バスケット:実体経済の鏡

大来は、先ほどの数式を修正し、各国の「運送能力」と「資源供給量」を反映させた通貨指数のグラフを提示しました。


「だからこそ、通貨は特定の国に依存してはならない。我々が導入する通貨バスケットは、この海を流れる物資の総量、すなわち実体経済そのものを価値の裏付けとします。オーストラリアが石炭を出し、マレーがゴムを出し、日本が船を出す。その活動の合算が通貨の価値を決めるのです。彼らにとって、この連盟に参加することは、自国の資源に『世界で最も安定した価値』を与えることを意味します」


海洋国家としての「連帯」

大来の眼鏡の奥に、確信の光が宿りました。

「大陸国家のような独裁的支配は、この広大な海には馴染みません。我々は、綿密な輸送ネットワークによって結ばれた、運命共同体としての海洋国家群オーシャン・コミュニティを構築する。……オーストラリア側にはこう言いましょう。『君たちの資源は、我々の船という血管を通って、アジア全体の血になる』と」


純白のC-47は、南磁極の指し示す方角へと、力強く翼を広げていく。

やがてレーダーに映るであろうダーウィンの街。そこには、軍事的威圧、外交的策略、そして「人道」が三位一体となって降り立とうとしていた。


****



緑十字機の離陸:ダーウィンへの航跡



機内には、加瀬が描く「未来の地図」、山下が示す「軍事的現実」、そしてコールドウェルが背負う「425名の命」が同乗している。


雲を抜け、進路を南へと定めたC-47。

それは、かつて爆撃のために辿った航路を、今度は「平和の軍使」としての歴史的な飛行だった。


「これよりポートダーウィンへ向かう。我々の目的は、勝利でも敗北でもない。アジアの共存である」


C-47と共に護衛機のムスタングの編隊、随伴の百式司令部偵察機が飛ぶ。 

当初、B-17でしたが、推敲していると昔見た映画を思い出して、こんなにたくさんの人は乗せられないことに気づきC-47に改変しました。

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