大日本国家戦争遂行機関 1 構成図
大日本国家戦争遂行機関
天皇陛下
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国家戦争遂行機関代表
内閣総理大臣、鈴木貫太郎 責任者
補佐 外務大臣、東郷茂徳 国際政治戦略、外交、諜報の提言と補佐
日本軍総司令部&総合国家政治戦略企画機関
日本軍総司令部・総司令官:畑 俊六元帥陸軍大将
陸軍 陸軍省 陸軍大臣、阿南惟幾
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参謀総長・梅津美治郎 次長 秦彦三郎、河辺虎四郎(参謀本部は陸軍省に合流)
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北方防衛開放軍 南方戦線開放派遣軍 本国防衛軍
海軍 海軍省 海軍大臣・米内光政 ー 軍令部総長・豊田副武 軍令部次長・大西瀧治郎
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海軍総隊
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軍令部
新・連合艦隊司令部 遊撃艦隊 司令部 戦艦陸奥内にある。
新・太平洋艦隊司令部 司令部 呉鎮守府海軍総合司令部にある。
空軍
大本営航空総軍 太平洋戦争末期の1945年4月に本土決戦(決号作戦)を見据え、日本の航空部隊を統括するために新設された最高指揮組織。司令官は河辺正三。
菊水作戦成功後、海軍総隊も航空戦力の再編のために合流。新しく編成された航空機動艦隊艦載機部隊へ送るための空母艦載機搭乗者を増やす。
日本の航空機搭乗員の再配置や再武装のために尽力する。
航空戦力の積極的増強のため、搭乗員の育成も行う。
日本軍総司令部・総司令官:畑 俊六元帥大将
選出の必然性:全軍を統べる重石
畑元帥は、陸軍内でも数少ない「航空と機甲の連携」を理解する合理的思考の持ち主であり、支那派遣軍総司令官として広大な戦域を統率した圧倒的な経験を持っていた。
畑 俊六は、史実においても「陸軍最後の良心」あるいは「最も合理的な将軍」の一人として知られていた。彼が大日本国家戦争遂行機関・日本軍総司令官として、全軍を束ねる立場にふさわしい理由を裏付ける、興味深いエピソードをいくつか紹介する。
1. 「昭和の閃電」:航空・機甲戦への深い理解
畑は陸軍の中でも早い段階から航空機と戦車の連携に注目していた。
エピソード: 1930年代、陸軍航空本部長を務めていた際、彼は「これからの戦争は空を制した者が勝つ」と断言しました。当時、まだ歩兵中心だった陸軍内では異端の考えでしたが、彼は航空技術の向上とパイプ役としての調整に奔走した。
この合理的思考があったからこそ、旧来の反対を押し切って全軍に新たな戦略、技術、戦闘教義を導入する決断ができた。
2. 「支那派遣軍」での圧倒的な統率力
彼は日中戦争において、100万人を超える巨大な「支那派遣軍」の総司令官を務めた。
エピソード: 彼は非常に温厚で、部下に対しても声を荒らげることがほとんどなかった。しかし、作戦計画の不備や、兵站(補給)を無視した無謀な進撃に対しては、冷徹なまでに厳しい修正を命じた。
広大な戦域を統括した経験は、南洋、フィリピン、そして本土の各部隊を一つの巨大な「精密機械」として動かすための、最高レベルのマネジメント能力の裏打ちとなっている。
3. 陸海軍の「壁」を調整する人格者
日本の敗因の一つとされる「陸海軍の極端な不仲」に対し、畑は稀有な存在だった。
彼は海軍の将官たちとも個人的な信頼関係を築いており、海軍側からも「畑さんなら話が通じる」と評されていました。実際、彼がトップにいる時期は、陸海の協力が比較的スムーズに進んだと言われていた。
海軍総司令官と手を取り合い、「新・太平洋艦隊」と「北方防衛開放軍」を完全に連携させる、「統合司令部」として、成立させる唯一のキーマンだ。
4. 「実務の鬼」としての冷徹さ
彼は派手なパフォーマンスを好みませんが、数字と事実を極めて重視しました。
畑は常に手帳(畑日誌)を携帯し、戦況や補給の数値を細かくメモしていた。感情的な精神論で報告に来る参謀に対し、「で、その根拠となる数字はどこにあるのかね?」と静かに問い詰める姿は、周囲を震え上がらせた。
「総合国家政治戦略企画機関」が導き出す未来とソ連軍を粉砕するために必要な物を見極める司令官としての資質がある。




