4 佐伯中佐 2
1960年3月20日、春分の日。
満州東部の鉄路が集結する要衝都市・牡丹江の空は、どこまでも高く澄み渡っていた。
かつて、この地で佐伯中佐は日本人の避難民を置いて、撤退するしかなかった。
かろうじて生き残った避難民たちは泥まみれになりながら、撤退する佐伯たちの軍用トラックに群がり、狂ったように窓を叩いて泣き叫んだ。
「乗せてくれ!」「お願いだ、子供だけでも連れて行ってくれ!」
だが、佐伯に彼らを救う権限も、トラックの荷台に彼らを乗せる余白もなかった。
「民間人を乗せる隙間はない。振り払え!」
非情に徹して命じた自分の裂けたような声が、今でも耳の奥で、呪いのように鼓膜を震わせている。守るべき人々を置き去りにして、容赦なく泥を撥ね上げ加速するトラック。バックミラーに映る彼らの絶望と怨嗟に満ちた眼差しを、佐伯はただ、自らの感情を殺して見つめ続けるしかなかった。
かつて硝煙と黒煙に覆われ、凍てつく泥と血に塗れていたこの街は、今や見違えるような活気と熱気に包まれていた。「日・満・蒙 合同鉄道総局」の近代的な駅とモダンな建物が立ち並び、遠くからは最新鋭のディーゼル機関車が吐き出す鋭い汽笛の音が、春の明朗な空気に乗ってこだましている。
街の大通りには、満州戦役における戦没者を悼む慰霊行進と、あの未曾有の混乱期に命を賭して日本人を救った現地の人々を讃える「義勇的行動表彰式」の横断幕が掲げられていた。沿道を埋め尽くす日・満・蒙・朝の市井の人々は、手に手に春の花束を持ち、和やかな笑顔で言葉を交わし合っている。
その人波の少し後ろ、牡丹江駅を見下ろす高台の広場に、一人の男が静かにたたずんでいた。
かつて日本帝国陸軍の中佐としてこの地に立ち、現在は退役して「日・満・蒙 合同鉄道総局」の上級管理者、そして「国家安全保障情報局」の上級指揮官という重責を担う男――佐伯であった。
仕立の整ったダークグレーのスーツに身を包んだ佐伯の髪には白いものが混じり、その目元には幾重もの刻まれた皺があった。しかし、その眼光だけは、大陸の冷気にも似た鋭さを宿したままであった。
「……佐伯局長」
背後から静かに歩み寄ってきた部下が、声のトーンを落として報告を入れる。
「『報恩訪問団』の第一陣が到着いたしました。かつて1946年にこの牡丹江で避難民を隠し通した張老人のもとへ、当時助け出された山下ご一家が14年ぶりの再会を果たされたとのことです。……老人は鈴木貫太郎元総理と畑元帥の親書を額に入れて飾っており、『この恩義の証がある限り、我が一族は永遠に誇り高く生きられる』と涙を流しておられました」
「そうか……」
佐伯は深く短く頷いた。
1946年、ソヴィエト赤軍の侵攻と共産ゲリラの跋扈によって混迷を極めた満州・朝鮮の地において、日本帝国が発動した「白の報恩」。自らの命はおろか一族の存続すら危うい中で、人道と友愛の精神から日本人避難民を匿い、分け隔てなく糧食を与え、命を繋いでくれた現地の「義人」たち。
日本帝国は彼らに対し、国家的栄誉と絶対の安全保障を約束した。鈴木貫太郎内閣総理大臣と畑俊六総司令官の連署による感謝状は、治安維持当局に対する絶対の聖域命令となり、破格の生涯特別年金は彼らの一族に永遠の繁栄を約束した。各大都市に建てられた「義人の碑」には、その名が永久に刻まれている。
そして1960年の今、こうして国境や民族を越えた絆を結び直す交流ツアーが実現し、街には友愛の輪が広がっていた。
平和と感謝、そして希望。これ以上ないほどに美しく、輝かしい光の光景であった。
しかし――佐伯の脳裏に激しく点滅していたのは、その輝かしい「白の報恩」の裏側、自らの手で地獄の底へと突き落とした「黒と赤」の記憶であった。
(……白の報恩か。だが、その光を育む土壌を造るため、我々がどれほどの血を流し、どれほどの命を刈り取ったか)
1946年のあの日々。
混乱に乗じて日本人避難民を掠奪し、暴行し、共産勢力の手先となって無辜の民を売り渡した裏切り者たち。あるいは、戦後の秩序を根底から覆そうと潜伏していた赤色の煽動者たち。
彼らに対する日本帝国の回答は、慈悲なき徹底的な「大粛清」であった。
当時、現場の指揮を執っていたのが佐伯中佐であった。
佐伯は感情の一切を殺し、冷酷無比な鉄の意志で「赤のリスト」を処理し続けた。
「人を救う救済者には永遠の恩義を。だが、秩序を脅かす『かつて人であったモノ』には一切の容赦なき死を」
それが、佐伯が自らに課した「修羅の掟」であった。
もしあの時、佐伯が一切の躊躇を見せ、甘さや情けを残していれば、赤色の暴力は満州全土を呑み込み、この「白の報恩」どころか、何百万もの同胞と現地住民が血の海に沈んでいたはずであった。
自分は修羅になった。
冷徹な計算機となり、何百、何千という人間の命を処刑台へ送り送り、その返り血を全身に浴びてこの地に秩序を力づくで打ち立てたのだ。
戦後14年間、佐伯は一度たりとも己の判断を疑わなかった。しかし、同時に一度たりとも心から笑うことも、泣くこともできなかった。彼の心は、1946年の氷点下の牡丹江で、冷たく凍りついたまま止まっていたのである。
突如、広場にブラスバンドが奏でる力強い行進曲が鳴り響いた。
慰霊の行進が、牡丹江のメインストリートをゆっくりと進んでいく。
行進の先頭には、かつての戦火を生き延びた日・満・蒙の老兵たちと、胸に輝く国家感謝章を付けた現地の老義人たちが、誇らしげに並んで歩いていた。
沿道からは、地元の子供たちが駆け寄り、彼らに鮮やかなチューリップやアネモネの花束を手渡していく。
満面のエクボを浮かべて喜ぶ少女。その頭を優しく撫でる、かつて避難民を守り抜いた満州人の老人。その光景を、日本人の遺族たちが涙を拭いながら温かく見守っている。
そこにあるのは、血みどろの報復の連鎖を断ち切り、真の友愛と相互理解によって築き上げられた、揺るぎない「平和」そのものであった。
佐伯の視界が、にじみ始めた。
(……ああ、そうか)
佐伯は、己の胸の奥底で、14年間固く閉ざされていた氷の扉が、音を立てて砕け散るのを感じた。
己の手を血で染め、魂を削り取って下したあの非情な断罪。
血も涙もない「修羅」として下し続けた数々の決断。
そのすべての惨劇と激痛の果てに――今、この目の前に広がる、子供たちの笑顔と、国境を超えた平和が存在しているのだ。
自分が背負った業は消えない。処刑場に消えた人々の幻影が消えることもない。
しかし、あの地獄の選択は無駄ではなかった。己が泥をかぶり、悪魔となって打った杭があったからこそ、この美しく温かな世界が芽吹き、根を張ることができたのだ。
ポロポロと、大粒の涙が佐伯の頬を伝い落ちた。
風が吹き抜け、彼の濡れた頬を優しく撫でていく。
かつて銃声と悲鳴しか聞こえなかった牡丹江の風が、今は子供たちの歓声と春の匂いを運んでくる。
「……佐伯局長?」
異変に気づいた部下の島崎が驚いたように振り向く。
彼もかつてこの地で戦った者だ。
島崎は局長の姿にかつての自分を重ねた。
そこには、彼の元で働き初めて、一度も感情を見せたことのなかった鉄の男が、肩をかすかに震わせ、溢れ出る涙を隠そうともせずに立ち尽くしていた。
佐伯は静かに首を振った。
そして、溢れ出る涙を拭おうともせず、ただ目の前を通り過ぎていく平和な行進を、愛おしそうに見つめ続けた。
中佐はようやく、泣くことができたのだ。
「私は、ようやく……自分自身に対しての、判断と整理ができたのかもしれない」
呟かれた言葉は、行進曲の晴れやかな音色と、汽笛の音の中に優しく溶けていった。
1946年のあの日、止まっていた佐伯の時が、14年の歳月を経て、いま静かに動き始めた。牡丹江のうららかな春の光が、涙に濡れた彼の顔を、どこまでも温かく照らし続けていた。




