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待たせたな!  作者: 僧籍
第五部 悪鬼・羅刹

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モンゴル征伐 10-5 徳王(デムチュクドンロブ)

モンゴル人民共和国が日本軍によって占領された。

日本軍は北京から徳王(デムチュクドンロブ)を招き、新しい政府の首班に指名し『モンゴル民族連合王国』の建国を宣言した。


---


時を遡る


徳王(デムチュクドンロブ)


熱い砂塵が、厚和(フフホト)の主席府の窓を叩いていた。

1945年8月11日。机の上のラジオからは、ソ連軍の参戦と、それに応じるように北の国境を越えてきた外モンゴル人民共和国軍――チョイバルサンの軍隊の進撃を告げる悲鳴のような電信が響いていた。徳王(デムチュクドンロブ)は、大理石の灰皿に吸い殻を押し付け、深くため息をついた。その瞳に映っているのは、眼前の破滅だけではない。自らの理想のために、あらゆる勢力を利用し、そして裏切られてきた果てしない「見果てぬ夢」の軌跡だった。


始まりは1930年代の初頭、彼がまだ三十代の若き王公だった頃だ。


「内モンゴルを、漢民族の植民地にしてはならない」


その一念で、彼は中華民国の蒋介石に高度な自治を直訴した。だが、南京の蒋介石が返してきたのは、甘い言葉の裏にある引き延ばし工作と、内モンゴルを切り刻んで中国の省へ編入しようとする冷酷な官僚政治だった。


「蒋介石は我々を同じ人間とは見ていない。ただの防波堤だ」


中央への絶望が、徳王を別の道へと突き動かした。そこに近づいてきたのが、満洲を呑み込み、さらに西へと触手を伸ばす日本軍――関東軍だった。


「毒を以て、毒を制す」


徳王は決断した。日本の近代的な武力と資金を利用し、中国から独立する。そしていつの日か、共産主義の軛(くびき)に繋がれた北の外モンゴルを解放し、チンギス・ハーンの全モンゴル民族を一つに統合する大帝国を蘇らせる。それが彼の密かな、そして最大の野心だった。1939年、日本の後ろ盾で「蒙古聯合自治政府」の主席に就任した。フフホトの王宮で、彼は国家元首として畏怖された。1941年には東京へ渡り、昭和天皇に拝謁し、満開の桜の下で日本の高官たちから歓待を受けた。だが、その栄華は砂の城に過ぎなかった。実権はすべて、背後に立つ日本人最高顧問たちが握っていた。モンゴルの馬は徴発され、鉄や石炭、羊毛、その他の資源は低価格で買い叩かれ、労働力も徴発されて、草原は日本の戦費調達のために疲弊していった。


「私はただの、着飾った操り人形ではないか」


太平洋戦争の戦況が悪化するにつれ、日本軍の締め付けは強くなった。徳王は自らの宮殿で、事実上の幽閉の身となった。日本にも、絶望した。そして今、その日本が崩壊しようとしている。


「主席、自動車の用意ができました。駐蒙軍司令部のある張家口へ向かいます」


側近の李守信の声に、徳王は我に返った。荷物はほとんどない。ハーンの末裔としての誇りと、わずかな書類だけを鞄に詰め、彼はフフホトの街を後にした。車窓から見える草原は、夕日に赤く染まっていた。張家口へ向かう特別列車の中で、彼は最後の賭けに出ていた。北から進軍してくる外モンゴルの最高指導者、チョイバルサンへ向けた秘密の親書だ。


『同じモンゴル民族として、今こそ南北の壁を壊し、統一の国を作ろう』


血の繋がった同胞ならば、自らの大粛清で三十万人もの血を流した「モンゴルのスターリン」であっても、民族の悲願には応じてくれるはずだ――。


しかし、張家口に到着した徳王を待っていたのは、暗闇を切り裂くような絶望の手紙だった。北からの返答は、冷徹な現実を突きつけていた。チョイバルサンは動かない。いや、動けないのだ。その背後にいるモスクワの独裁者、ヨシフ・スターリンが、中国との地政学的な取引のために内モンゴルを切り捨て、外モンゴル軍に「進軍を止め、撤退せよ」と厳命したという。さらに、延安から浸透してきたウランフ率いる中国共産党の工作員たちは、徳王の支持者たちを「封建主義の残党」「日本の犬」と呼び、容赦なく引き剥がしていた。


「チョイバルサンも、スターリンの操り人形に過ぎなかったか……」


徳王は乾いた笑いを漏らした。モンゴル民族の血よりも、共産主義の利害と大国のパワーゲームが勝ったのだ。ソ連にも、外モンゴルの同胞にも、そして新たな赤き中国(中国共産党)にも、彼の居場所はなかった。


1945年8月中旬。

日本軍の敗残兵と避難民でごった返す張家口から、さらに南へ向かう列車に、徳王は身を沈めていた。窓の外の景色が、見慣れた広大な草原から、漢民族の古い泥の壁へと変わっていく。列車が滑り込んだのは、古都・北京(北平)の駅だった。


真夏の熱気と、敗戦の混乱に揺れる北京の街。かつて彼を裏切った蒋介石の国民党政府が、再びこの街を支配するために南からやってこようとしていた。駅のホームに降り立った徳王は、群衆の中で立ち尽くした。北を見上げても、そこにはスターリンとチョイバルサンの冷酷な拒絶しかない。南を見つめても、そこには蒋介石と毛沢東という、内モンゴルを呑み込もうとする二頭の巨獣が牙を剥いている。


四方を完全に囲まれていた。富も、軍隊も、信じるべき同盟者も、何一つ残っていなかった。すべての政治勢力に絶望し、ただ一つの「モンゴル」という見果てぬ夢の残骸だけを抱えて、徳王は北京の濁流の中へと、一歩を踏み出した。


---


北京で暮らし始めた徳王の元に日本人達がやってきた。日本の使命を持つ官僚たち。スーツに身を包んだ加瀬俊一、大来佐武郎、そして青木一男。彼らが描くのは、銃後ではなく「未来」の設計図だ。彼らはブルネイ帝国での仕事に一区切りをつけ、ここ北京へモンゴルの新しい世界を作るために徳王のもとへ訪れたのだった。

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