ソヴィエト軍の越境 1-7 朝鮮半島
1945年8月。朝鮮半島は、北からの陸上戦力、東からの海軍戦力、そして内側からの蜂起という、逃げ場のない袋小路の中に叩き落とされた。ソ連軍の誇る二つの方面軍と太平洋艦隊が連動し、半島の息の根を止めるべく殺到する。
満州東部での戦線を突破したソ連第1極東方面軍の主力は、間髪入れずに図們江を渡河し、半島の北門を打ち破った。T-34/85戦車の戦列が、半島の険しい山道を物ともせず南下。咸鏡道の防衛線を粉砕し、工業都市や交通の要所を次々と「赤く」塗り替えていった。日本軍の国境守備隊は、通信を遮断され、背後から迫る機甲部隊によって次々と包囲・殲滅されていく。
陸路の進撃に合わせ、ソ連太平洋艦隊が日本海(東海岸)沿岸を攻撃していく。 羅津、清津、元山。海からの艦砲射撃が沿岸のトーチカを粉砕。混乱する日本軍の眼前に、艦隊から吐き出された海軍歩兵部隊がなだれ込む。陸路を南下する第1極東方面軍と呼応し、沿岸部を完全に封鎖。海への脱出を試みた避難民の希望は、ソ連艦艇の放つ冷酷なサーチライトによって打ち砕かれた。
松花江で凄惨な蹂躙を繰り広げたソ連第2極東方面軍は、満州西部・北部を制圧した後、そ の矛先を半島の西北部へと向けた。半島を砲艦、装甲艇、水上機などが配備した、ソ連海軍「アムール川小艦隊」と歩兵部隊が、鴨緑江の下流部を制圧。半島を西側から締め上げ、満州と朝鮮の連絡を完全に遮断した。北からの第1、西からの第2方面軍による「ハサミ撃ち」により、半島北部の中心地・平壌は炎の中に沈んた。
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ソ連軍による三方向からの圧倒的な軍事圧力、この外部からの破壊に呼応するように、半島の「内側」で最悪の爆発が起きた。潜伏していた朝鮮共産党軍による、一斉蜂起である。ソ連軍という巨大な後ろ盾、そしてその圧倒的な進撃の報は、地下に潜んでいた共産主義者たちにとって「審判の時」を告げる合図となった。
「同志たちよ、時は来た! 圧制者を破砕せよ!」
武装した共産党軍は、ソ連軍から密かに供給された武器を手に、主要都市の通信網と官公庁を瞬く間に制圧した。政治的中枢である京城は、わずか数日でその機能を喪失。街には「赤」を象徴する旗が翻り、昨日までの秩序は瓦礫と共に崩れ去った。彼らの進撃は止まることを知らず、その矛先は半島の最南端、釜山をも飲み込もうとしていた。「赤」に染まったのは地図だけではない。農村から都市に至るまで、大地は流された血で染まっていた。
「親日派を、地主を、宗教家を、そして小日本(日本人)を一人残らず処刑せよ!」
共産党軍が掲げた「土地改革」の美名の下で繰り広げられたのは、法も慈悲もない暴力による社会構造の解体であった。数十年をかけて築かれた地域共同体、教育機関、信仰の場は、「旧弊の根絶」の名の下に火を放たれた。街角や広場には急造の「人民裁判所」が立ち並んだ。扇動された群衆の前で、知識人や地主たちが次々と引きずり出され、一発の銃声、あるいは剥き出しの暴力によってその命を断たれていった。蓄えられた食糧や財産は「人民の所有」という名目で没収され、その実態は武装集団による組織的な強奪に他ならなかった。
半島に住む日本人民間人にとって、そこは逃げ場のない「二重の地獄」であった。一方には、不凍港と利権を求めて南下し、目につくものを手当たり次第に奪い去るソ連軍の兵士たち。もう一方には、怨嗟を燃料に同胞さえも手に掛ける共産党軍の粛清。
「……息を殺せ。見つかれば終わりだ」
かつての活気は消え失せ、瓦礫の影や深い山中に身を潜める避難民たちは、闇夜に響く叫び声と銃声に、ただ震えることしかできなかった。そこにはもはや、大日本帝国の庇護も、国際法による救済も届かない。
半島の最南端まで到達した「赤」の波は、大陸の末端を完全に覆い尽くした。ソ連軍の暴虐の傍らで、共産党軍による血の祝祭は続き、かつての平穏な暮らしは、歴史の断層へと突き落とされた。燃え上がる京城の夜空を見上げ、生き残った者たちは悟った。これは単なる戦争ではない。一つの時代が、その根底から物理的に抹殺されていく工程なのだと。半島は今、巨大な鉄格子の内側にある。瓦礫の中に潜む島崎のような兵士たち、泥水をすすって生き延びる節子のような民間人たち、彼らの心に灯っているのはなにか?
ソヴィエト軍の越境 終




