小動物系乙女、獅子頭
「きしさまぁ、お久しぶりですぅ。お元気でしたかぁ?」
小柄で華奢な乙女がニコニコと挨拶をすると空気が一瞬にして柔らいだ。
乙女の髪は若葉色で腰ほどまであり、毛先のみがゆるく巻かれいる。赤色の着物の裾には薄紅色の透かし模様が花のように散りばめられおり、頭にはモコモコとした凹凸のある桃色の帽子を被っている。
帽子の下にある小動物のようなどんぐり眼が上目遣いできしを見つめている。
殿方が見れば頬を緩めるであろう「可愛い」をぎゅっと濃縮したような乙女の後には、巨大な魚の妖怪であったものの形を留めていない凄惨な骸が、血の海の中で横たわっている。
至るところから骨が突き出た魚は、切り裂かれた腹から腸などの内臓がどろりと飛び出しており、地面を赤紫色に染めている。
内臓から出る生臭い匂いが辺りを包むが、きしは全く気にしない様子で「久しぶり、獅子頭」と朗らかに挨拶を返す。
- オランダ獅子頭 -
【頭にコブの脂肪が付いているのが特徴的な金魚。名前はオランダだが、オランダから来た訳ではなく、中国から長崎へ入って来た金魚である。オランダと付いているのは海外ブランドという箔を付けたい意図からである。琉金から派生した丸物金魚で、体長は最大四十センチになる大型種である】
「きしさまぁ、ししがしらぁ、お腹空きましたですぅ」
「うん、ご飯を炊いてあるから一緒に食べよう。さっき炊いたばかりだからホカホカだよ」
「わぁい。ししがしらぁ、うれしいですぅ」
食欲が失せそうなおどろおどろしい光景が広がっているが、二人は意に返さない様子であった。
きしがそっと妖怪の骸に刀を当てると、跡形もなく消え去り臭気も無くなった。
「あのね、あのね、ししがしらね、きしさまの作るご飯大好きですぅ」
「そっか、良かった。たくさん作ってあるからね」
刀を振り売り棒に収めるきしの手を後から獅子頭が指先でちょこんと握ると二人はきしの住む長屋へと歩き出した。
きしが住む部屋には布団や文机、小さな箪笥など必要最低限の物のみが置かれており、極めて簡素かつ質素であった。
きしはおひつから獅子頭の茶碗に白米を山盛りによそい、大根の漬物と豆腐とひきわり納豆が入った味噌汁、里芋の煮物、鮎の甘露煮を箱膳へ出した。
「いただきますぅ」
「召し上がれ」
獅子頭はご飯を勢いよくかき込む。
「ゆっくり食べなさい」
きしは空になった茶碗へまた山盛りのご飯をよそって獅子頭へ渡す。
「はぁい。あのね、あのね、きしさまぁ」
「何?」
「さっきぃ、お団子屋さんとぉ天ぷら屋さんを見つけたですぅ。連れてってくださいよぉ」
「分かった、ご飯食べたらお団子屋さんへ行こうか」
「んー! じゃ急いで食べるですぅ」
「ゆっくり食べなさい。団子屋は逃げません」
きしは獅子頭の頭を撫でながら微笑むと、獅子頭はひとなつっこく「ウヘヘ」と笑い、味噌汁を一気に飲み干し、鮎の甘露煮を丸呑みした。
人で賑わう江戸の町屋通り。
きしと獅子頭は、茶屋の前に置かれた縁台に腰掛けている。獅子頭は団子を両手に持ち満面の笑顔で頬張り、その頬は弾けんばかりに膨らんでいる。
「このお団子、もっちょりもっちょりしてて美味しいですぅ」
「良かったね獅子頭。喉に詰まらせないように気を付けるんだよ」
「はぁい。次は天ぷら屋さんに連れていってくださぁい」
「うん、分かってるよ。それより人が多いから、はぐれないようにね」
「はぁい」
獅子頭が差し出されたきしの手を握ると、二人は人混みの中を縫うように天ぷら屋へ向かった。
天ぷら屋の前では獅子頭はまたも両手いっぱいに魚やさつまいも、練り物などの天ぷらの串を持ってご満悦の様子であった。
「うへへ。ししがしらぁ、天ぷら大好物ですぅ」
獅子頭は飲み込む勢いで天ぷらを食べていく。
「獅子頭、そろそろ金魚に戻ったりしない?」
「しないです」
「そっか」
きしがおずおずと聞いた質問に、獅子頭はキッパリと答えた。
「きしさまぁ、次は鰻さんが食べたいですぅ」
きしはめっぽう軽くなった巾着の中味を確認する。
「ごめんね、獅子頭。こっちの通貨が無くなったんだ」
「ええぇ! 鰻さん食べたかったですぅ!」
獅子頭はパクパクパクパクと金魚が餌をくれと水面から顔を上げて行う所作のように口を開閉する。
「きしさまぁ、見ててくださいねぇ」
獅子頭は後ろを向き、そしてくるっと振り返るとおもむろに踊りだした。
「どした? 獅子頭、急に何してるの? 大丈夫?」
きしは心配そうに聞くが、獅子頭は手を上下に振ったりくるくる回ったりしながら適当な踊りを繰り返す。
「餌くれの舞ですぅ」
金魚が身体をくねらせて餌を欲しがるように獅子頭は拙い舞を一生懸命踊る。
「どうですかぁ? 可愛いですかぁ?」
「可愛らしいね獅子頭」
「私の可愛さに溺れそうですかぁ?」
「溺れそうだね獅子頭」
「じゃあ可愛い私に鰻を食べさせてくださぁい」
きしは、必死で餌くれ舞をする獅子頭を見て、よし働こう、日雇いで稼ごうと心に決めた。
「分かった獅子頭。明日日銭を稼いでくるから鰻を食べに行くの、一日だけ待ってくれないか? 鰻屋は明後日必ず連れていくから」
きしは金魚が売れない時期にも普請に就いて日銭を稼いでいることがある。
その際に「金に困ったらいつでも来い」と大工頭に直々に仰せつかっていた。
「わぁい!」
言ったそばから獅子頭はまた口をパクパクしだした。
パクパクパクパクパクパク。
きしは金魚のパクパクが苦手である。何か口に放り込まないといけない焦燥感に駆られるからだ。
「獅子頭、家にまだご飯があるよ。帰ってすぐ夕げにしよう。冷や飯だけどお茶漬けにして食べて、あと塩鮭と昆布の煮物も」
きしは言いながら獅子頭の手を引き、帰路を急ぐ。
夕げのあと、きしは文机に向かって和綴じの本の執筆を始めた。
よいしょと言いながら獅子頭はきしの膝の上に当たり前のように座り込む。
「えへへ」
顎を上げてきしを上目遣いで見やり、はにかむ獅子頭。
「こぉら。書けないだろ、獅子頭」
「きしさま、何書いてたんですかぁ?」
「これはね金魚そだて草。飼育本だよ。金魚を買ってくれたお客さんに配ろうと思って。水換えの方法とか餌やりのコツとか書いてるんだよ」
本の表紙には[金魚養玩草 堺 喜之]と書いてある。
「ふぅん。ししがしらぁ、字読めないですぅ」
「そうだっけ?」
「そですよぉ」
「明日、俺が働いている間、獅子頭を預かってくれる方に読み書きを教えて貰えないか聞いてみようか」
きしは帰路の途中、商人に自分が働いている間、子供を預かってくれるところがないか聞いていた。
「おれんとこで預かるよ、姐さんの坊主もいるし」
それは申し訳ないというきしに商人は快く答える。
「この前きしのあんちゃんに分けてもらった唐辛子のおかげでうちの金魚の病気が治ったからよぉ、気にすんな。困ったときはお互い様だ。またうちの金魚の調子が悪くなったら頼むぜ。あ、あとうちのお得意さんが金魚を客引きのために店の前で飼いたいって言い出してよぉ……」
商人はいかに金魚仲間を増やすべきかをきしに熱く語っていた。
唐辛子は金魚の睡蓮鉢に浮かべておくと病気に効くので、江戸庶民の間では主な薬浴用としてに用いられいる。辛そうではあるが……。
商人は子供のことについては何も気にしていない風を装い「あんちゃんも色々事情があるよな。まぁ詮索するのは野暮ってもんだ。聞きだすつもりねぇから安心しな」ときしの肩を訳知り顔でポンと叩いた。
「読み書きができた方が獅子頭も良いだろ?」
きしの質問に獅子頭はハァイとよく分かっていない様子で相槌を打つ。
「明日は良い子にしておくんだぞ。人様のお宅だからね。お行儀よくね」
「ハァイ」
「お返事は上手だな」
きしは筆を置いて膝の上に座る獅子頭の頭をワシャワシャと雑に撫でた。
「うへへ。褒められました」
獅子頭はニマニマと嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「きしさまぁ。お腹ぽんぽんしてくださぁい」
「はいはい」
日も落ちた頃、獅子頭は布団の上で仰向けになり、甘えた声できしに寝かしつけのおねだりをする。
きしは金魚そだて草を書くのを中断し獅子頭の横に片肘をついて横になると、お腹を布団の上から一定の間隔でそっと優しく叩いた。
「ししがしらが寝るまでやめないでくださいねぇ」
「分かってるよ、やめないから安心して」
しばらくすると獅子頭の寝息が聞こえてきた。
「おやすみ、獅子頭」
きしは人心地つくと行燈に火を灯し、また文机に向かって執筆の続きを始めた。
いつもの侘しい長屋の部屋が今日は少し違って見える。行燈の薄暗い光も心なしか明るく感じたきしであった。




