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可愛いの次は何? ー 獅子頭編 完結 ー

翌日、きしは獅子頭を連れて問屋に隣接する商人の家を訪れた。

出職に就いている間、獅子頭を預かってもらうためである。


「獅子頭、良い子にしておくんだよ。俺は暮れ前には帰ってくるからね」

戸口で獅子頭に言い聞かせるきし。

獅子頭は「はぁい」といつもの調子で適当な返事を返す。

「大丈夫よ! うちの坊やと一緒にちゃんと見ておくからさ!」

松葉杖をつき片足のない、しかしすこぶるはつらつとした女性が大きな声を響かせる。

鰻に片足を千切られた……と言っても本人は地震で怪我を負ったと思っているこの母親は、相変わらず問屋で算盤に帳簿付けにと忙しく活躍しているようだ。

きしは宜しくお願いしますと何度も頭を下げて現場へ赴いた。


大阪らんちゅうにガキと言われていた少年が戸口まで来て「おいらが読み書きを教えてやるから来なよ」と文机のある部屋へ駆けていく。

「はぁい」

獅子頭もなんだか楽しい気持ちになり少年の後を追って走り出す。

「ごらぁっ!! 走らないのっ!!」

母親の怒鳴り声にびくっとした二人は一瞬止まってからソロソロと歩き出した。


読み書きの勉強にすぐ飽きた獅子頭は、お絵描きを勝手に始めてしまう。

「たんたらぁ♪たんらんらたぁん♪」

でまかせの鼻歌を歌ってご機嫌である。

もぅ勉強する気がないようだと少年は感じ取った。

「そうだ、お店の庭で金魚飼ってるんだ。見てみるかい? 金魚ってね、すっごく綺麗なんだよ」

「照れるですよぅ」

なぜかエヘヘとはしゃぐ獅子頭と少年二人は庭に出て金魚が泳ぐ睡蓮鉢を眺めることにした。


「これが金魚の餌の赤虫。昨日おいらが水溜りから取ってきたんだ」

少年は赤色の小さなミミズのような虫が満杯に入っている樽を得意気に見せる。

「キャアッ」

獅子頭は短い悲鳴を上げた。

「あ、ごめん、女の子はこういの苦手だよね」

樽を引っ込めようとする少年の手を獅子頭が上から握る。

「ししがしらがぁ、赤虫がとってもとぉっっても大っっ好きなんですぅ!」

獅子頭は「いただきますぅ」と言うと少年の手から樽を奪い、うぞうぞと蠢く赤虫が入っている樽の端に直接口を付け、そのままゴクゴクと飲みだした。

「ぷはぁ。美味しすぎですぅ」

少年は目の前で何が起こっているのか理解が追いつず、茫然と目を白黒させる。

「おかわりくださぁい」

「お、おかわり、は、な、ないです」

「えぇん。そうですかぁ。ざんねんですぅ」

「……」

(金魚売りの兄ちゃん、何でこんな変な子を連れてきたの?)


「八つ刻よっ! 二人とも入んなさい!」

母親が庭に来て威勢よく二人に声を掛けると箱膳の前にお茶と饅頭を用意した。

「今日のおやつはね、旦那さまから頂いた饅頭よ」

「わぁい! ししがしらがぁ、お饅頭大好物ですぅ」

二人がおやつを食べ終えた後、母親は笑顔で獅子頭に向かって声を掛けた。

「獅子頭ちゃん、文机に置いてあった半紙を見たわよ。とっても絵が上手なのねぇ! でもね、読み書きは将来必ず身のためになるからね。しっかり勉強しておくのよ!」

母親の圧に押されて獅子頭は「は、はいですぅ」と怯えながら文机にお行儀よく座り、いろはにほへと…と勉強を再開するのであった。

一方少年は先程起こったことは夢だと思うことにして、胸の奥に封印するようにしまい込んだ。心の平静を守るために。




その頃、きしは大工頭の計らいで日雇いの仕事に就いていた。

といっても精巧な加工はできないので主に木材を運ぶだけの力仕事であった。

肩に柱用の木材を担いで何度も現場間を往復しているきしは、そのうち暑くなり上半身だけ着物を脱ぐことにした。

途端に娘達の黄色い歓声が沸いた。

いつの間にかきしを見るために江戸の町からうら若い乙女達が数人集まっていたようだ。

きゃいきゃいと楽しそうにしている乙女達は現場から少し離れたところで邪魔にならないよう端に集まり、各々恥ずかしげに頬を染めてはきしを見つめる。

乙女達のいる場所のみ特段に華やかで、なんだか良い香りのしてきそうな空間が出来上がっており、きしたちのいるむさ苦しい現場とはまるで別世界の住人のようである。


「おいおい色男さんよ。器量の良い娘もいるじゃねぇか」

「あの中から嫁さんの1人や2人貰ったらどうだい?」

「いや、男なら据え膳は全部頂かねぇとかっこつかねぇよ」

きしと一緒に木材を運んでいた男達三人が面白がって囃し立てにきた。

「あ、いや自分、小さい弟がいて、面倒を見ないといけないので、色恋は弟が独り立ちしてからにしようと思ってて」

「!!!」

まさかのきしの解答に男達は総じて

たじろいだ。

そして一歩づつ後づさるとコソコソと三人寄って話しだした。

「相応の歳の男が妙な言い訳しやがる。ありゃ、男色一筋だな!」

「ほぅ、粋だね」

「やるじゃねぇか」

きしを尊敬の眼差しで見る男達。

「なんか勘違いされている!」

きしは誤解を解こうかと思ったが事態が余計にややこしくなりそうだったので、乙女達も男達も両方そっとしておくことにした。



寺の鐘が鳴ってからずいぶんと経つ。

やっと仕事を終えたが予定時刻を過ぎてしまったきしは急いで獅子頭を迎えにきた。

「獅子頭、遅くなってごめんな」

戸口には少年と母親が獅子頭を見送りに来ている。

「すいません、面倒かけて」

「いいのよ! うちの坊やもお友達と一緒に過ごす良い経験ができたわ! 獅子頭ちゃん、またおいでね!」

「はぁい」

「有り難うございます。獅子頭、良かったね。ほらお礼は?」

「有り難うございましたですぅ」

母親の明朗な表情にきしは安堵したが、少年は(えっ? また来るの!? ちょっともぅいいよ)と少し怯えていた。



二人はきしの部屋に戻り夕げを済ませたあと、熱いお茶をすする。

湯気が立つに茶碗にふぅふぅと息を吹きかける獅子頭にきしは問いかけた。

「ちゃんと良い子にしてた? 獅子頭」

「はぁい。ししがしらがぁ、良い子にしてましたよぉ。お饅頭食べるのが早いって褒められましたぁ」

「えぇぇ。それ大丈夫、だったのかなぁ……」

急にはらはらしてきたきしに、獅子頭は「そうだ」と言いながら筆などを入れていた道具箱から半紙を一枚取り出して渡す。

「きしさまとししがしらですよぉ。どうぞですぅ」

獅子頭が見せた半紙には人の顔っぽい丸に目と鼻がちょんと点で、口は輪郭を大きく超えて描かれており、金魚であろう歪な魚が一匹、隣で泳いでいる。

「わぁ、凄くうまく描けてる。ありがとうな獅子頭。上手だなぁ」

「きしさまぁ嬉しいですぅ?」

「うん、めっちゃくちゃ嬉しい!」

きしは満面の笑みで応える。

「えへえへえへ」

獅子頭は目を線のようにぎゅっと細めて喜んだ。



「お腹ぽんぽんしてくださぁい」

昨日に引き続き、きしに寝かしつけをしてもらった獅子頭はすぐに小さな寝息を立て始めた。

きしは貰った絵を手に取ると「宝物だな」と呟き大事に机の引き出しに仕舞った。




ーー 翌日、長屋前 


「玉や〜玉や〜」

ふわふわと丸いサボン玉が屋根の上まで飛んでいく。

「あ! あ! きしさまぁ! 玉やさんですぅ! ししがしらも吹きたいですぅ!」

玉やはサボン液と藁の茎が入った四角い木の桶を肩に掛け、玉や玉やと口上を唱えている。

サボン玉を吹きつつ長屋の通りを歩く玉やの後ろをたくさんの子供達が追いかけ、めいめいサボン玉を掴もうと手を伸ばしたり楽しそうな笑い声を響かせる。

「きしさま早くぅ! 玉やさんが行っちゃいますよぉ! 早くぅ!」

「はいはい、これに入れてもらいない、獅子頭」

きしは 銭と使っていない徳利を持って長屋から出てきた。


「きしさまぁ! 見て見て!」

「見てるよ、獅子頭」

獅子頭はさっそく液に茎を浸してはぷくっと丸いサボン玉を吹いていく。

「とっても楽しいですぅ! 楽し過ぎて止まんないですぅぅ!」

勢いよく連続で大きなサボン玉を吹いていく獅子頭はとうとう人一人を包めるほどの大きなサボン玉を作り出した。

きしはそんな獅子頭を見て笑い転げる。

「何でそんな上手なの獅子頭。あっははは! 凄いね!」

「楽しいですね、きしさまぁ」

「楽しいね、獅子頭」

二人の上を浮かんでいくサボン玉は空を七色に染めた。



ーキャアァァ!!!


突然、割れるような悲鳴が響き渡り辺りが騒然となる。

地面が少し揺れたかと思うと、大きなドジョウが蛇のように長屋の通りをずるりと這ってきしの前に現れた。

町民達は慌てて部屋の中へ引っ込んだり逃げ惑ったりと阿鼻叫喚の騒ぎである。

「柔らかいこどもの匂いがする。あっち方。あっちの方。たくさん。たくさん。生きたまま肉を削いで骨を啜ってあげようね」

きしは溜息をついて、不明瞭な発音でボソボソと話すドジョウの前に立ちはだかるとそのまま無言で刀を構える。

空気が張り詰め両者はしばし睨み合いとなった。


「ドジョウさん、お邪魔虫さんですよぉ」

獅子頭はとてとてと駆けてきて、きしとドジョウの間に割って入る。

「獅子頭、頼む」

きしは柄を握る手を緩めた。

「ええ〜。ししがしらぁこれから鰻さんを食べに行くですからぁ今はどじょうさんの気分じゃないのですよぉ」

「鰻は必ずあとで食べに連れて行くから、今はドジョウで我慢くれないか?」

きしは困った顔で眉を下げ、獅子頭に微笑む。

「んもぅ。ししがしらはぁ、もぉ鰻さんのお口になってるのにぃ。ぷんぷんですぅ」

獅子頭は頬をぷっくりと膨らませている。


「女のこども。いい匂い、いい匂い。可愛いね、可愛いね。生きたまま腹を割いて内臓を啜ってあげようね」

ドジョウは獅子頭へ粘っこい眼差しを向け這い寄ってくる。

獅子頭は表情を変えずにドジョウを見つめる。

「でもぉ、よく見たらやっぱりぃ、ドジョウさんも美味しそうでででででででででででででででででででででででででででででですすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねね」


獅子頭の声が急に低くなり、音が幾重にも幾重にも気味悪く重なっていく。

きしはこの音を聞くだけで気分が悪くなり胃が締め付けらるような感覚に陥るが、刀を構えているため耳を塞ぐことができない。


ふいに獅子頭の頭に被っている桃色の帽子がボコボコと動き出した。

帽子の凹凸が上下左右にうごうごと蠢きながら獅子頭の身体全体を包みこんでいく。

本能的に不快に感じるような、悍ましい謎の塊が出来上がったとき、中から巨大な金魚がドジョウの目の前へ跳ねるように飛び出した。

金魚は顎が外れているのでないかと思うほど口を大きく開け、瞬く間にドジョウを丸飲みにする。


ドジョウが最後に見たものは、金魚の喉の奥に並ぶ尖った歯。

ゴリ、ゴリ、ゴリ、と生きたままのドジョウをつり潰す音と、恐怖と苦しみに満ちた絶叫が金魚の喉から鳴り響く。

ドジョウをゴクンと飲み込むと、水飛沫が激しく噴き上がり中から不満げな顔の獅子頭が姿を現した。

「きしさまぁ、ちょっと泥臭いドジョウさんでしたぁ。お口直ししたいですぅ。早く鰻さんを食べにいきましょうよぉ」

奇怪な惨状の直後にも関わらず、きしは何事も無かったかのように「分かった、すぐ鰻屋へ行こう」と子供をあやすように獅子頭の頭を撫で回した。

「わぁいわぁい」

獅子頭はご機嫌が直ったようできしの手をちょこんと握ると軽い足取りで並んで歩いた。


屋台の鰻屋では鰻は注文してから捌かれ、その場で串に刺して蒲焼きにしてもらう。

タレの焦げた香りが獅子頭の食欲を刺激する。

焼き上がった鰻を受け取ると獅子頭はさっそく頬張り「ほっぺが落ちそうですぅ」と至福の顔で堪能する。

何度も注文を繰り返し、鰻をたらふく食べた獅子頭はごちそうさまでしたぁとお腹をぽんぽん叩き、満面の笑みである。


「きしさまぁ、ししがしらがぁ、もぅ金魚に戻るですぅ」

「いいのか? まだ居ても大丈夫だよ? 出職で結構稼ぎが出来たし」

「ううん、ししがしらぁ泳ぎたくなっちゃいましたからぁ」

「他に食べたいものはない? 何か、何か他にやって欲しいこととか」

「えっとぉ、一つだけお願いがありますぅ」

「何? 獅子頭、何でも言ってごらん?」

きしは食い気味に獅子頭へ問う。

「ししがしらが金魚に戻ったらぁ、きしさまはさみしいって思ってくださいねぇ」

「……。分かった。うん。さみしいって思うよ、獅子頭」




壁の薄い長屋では隣の生活音がいつも聞こえてくるのだが、今日に限ってやけに静かであった。

その日の暮れ、きしは改めて自分の住む部屋を見回してみた。

男一人暮らしの質素で愛想のかけらもない部屋を。

部屋には薄暗い行燈が細々と心もとなげに灯るばかりである。

きしは胸に穴があいたような心地であったがその気持ちに蓋をするように「金魚そだて草」の執筆に身を入れて取り掛かった。


ふと、弟と一緒に住めたら毎日楽しいだろうなという考えが頭をよぎる。

考えないようにしようとしても、ますます執拗に頭を巡る。

虚しくなったきしは筆を置いて不貞腐れるように寝床に着くことにした。

おやすみと言える相手はもぅいない。


「さみしいって思うよ。獅子頭」

きしは一人呟くと、思い出がちゃんと心の中に収まっていることに気付いた。

すぐに起き出し、文机の引き出しから獅子頭の描いた絵を取り出すと小さな箪笥の上に飾った。

冷たかった部屋の空気が一瞬にして柔らいだ。


 獅子頭編 ー 完 ー

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