#6 光助とアキ
前回のガイダンス文章は光助(助手・一応主役)が作ったようです。
「やれやれ」
と星野光助は目をしょぼしょぼさせながら、立ち上がった。背伸びする。なんとか完成して、安堵だ。
パソコン画面の一番上には『白河学院大学理学部天文学専攻科新年度入学生ガイダンス用資料』と記されている。目薬をさしながら、不本意だよなぁ、と光助は思った。
本来なら、大学生に天文学の講義をしている場合じゃないでしょ、先生。と、心の中で文句を言う。だいたいARKに所属する天文学者が教壇に立って白も黒も分からない学生に優しく天文学を講義しているのだ。ARKからも、NASAからも、国連からも、そして日本政府からも、自分の立場をわきまえて欲しいと連日、勧告がある。
ARK───。聖櫃の号という仰々しい冠を有しているが、スターレイン対策の為のS級の科学者集団だ。
それもそのはず、日本の天川京香と星野陽子は、ARKの中心メンバーなのだ。光助の姉でもある星野陽子は、現在国立天文観測研究所の主任研究員である。
だが、京香は組織に属する事を嫌い、自分で観測所を設立させ、青森県の片田舎で研究生活を送ってる。情報はARKが全世界の様相を半日毎に更新してくれるので問題はない。観測器材もARKの提供してくれた資金で、一級の天体観測システムを構築している。某コンピュータメーカーとの協力で、スーパーコンピューターが電子望遠鏡を統制している。問題は使い手だが、機械音痴多数のこの観測所では、光助だけが唯一の頼りだったりする。
それはいい。コンピュータのオペレートは嫌いでないし、天文学のためだ。
問題なのは、生活費を稼がなくてはいけないという現実である。天の川天文観測所───天川家は常に家計が火の車なのである。理由は簡単、収入がない。
ARKからの支援は、全て研究費にまわしている。光助としては、その一割でもいいので生活費に当ててもいいのでは、と提言するのだが京香は首を振るばかり。
『光助君、ARKは研究するための資金として支援してくれているの。それを自分の生活費なんかに当てたら、公金横領している政治家さんとかわんないんじゃない?』
いやその理論は正しいのだが、金はないのは変えようが無い。京香も光助もドコかの研究機関に貢献しているわけでもない。ドコかの企業と提携して「予報屋」をしている訳でもない。無償の研究に収入が現れるはずもない。しかし天川家の家族達は異常なまでに食欲旺盛である。食費を削るために食事を質素にしたら、目を濁らせて光助を追い回したのは、記憶に新しい。
では、この差をどう埋めるか?
結論は働くしかないのである。天文学に通じ、己の勉強にもなる。そう言い切って、京香は独断と偏見で特別講師になる事を決定した。白河学院大学の方では、京香を教授に迎え入れるつもりだったらしいが、京香は丁重に────あっさりとお断りした。
そこまではいい。京香の判断だし、上司の意向に逆らうつもりもない。問題なのは京香の講義のカリキュラムとは別に、光助とシノハラの講義がきちんと設定されている事にある。大学側としては、多忙な天文学者を講師にする事ができて儲かりモノだろうし、京香としては自分が研究したい時は、助手に押しつけるという緊急策が使える。しかしその策として使われる僕はどうなる…? それを考えると釈然としない。
シノハラは最初のうち面白がっていたが、この頃はあきてきたのか大学にも足を運ばない。大学側はなぜか喜んでいる。その気持ちは分からなくもないが。だいたいチャイナドレスを着込んだオカマに教壇に立たれたくもないだろう。去年はおかげで、TV沙汰になる所だった。
それはそれで面白い────とは姉の星野陽子の言葉。ちっとも面白くない、と光助は憤慨した。そのたびに苦労しているのは、他でもない光助なのだから。
しかしなぜか生徒にシノハラは人気がある。男からも女からも、シノハラは黄色い声援で迎えられるのだ。それは奇人を見る目ではない。本当に好かれている、というそんな目。
光助はそれがうらやましくなる事もある。
光助本人は、人前に立つのが苦手だ。性格が内気で照れ屋なのに、教壇に立って講義を学生に教えていくなんて、その話しを聞いた時は顔面蒼白になった。今では少しなれたが…。それでもやっぱり抵抗がある。
おかげで、この仕事だ。光助は京香の書いた下書きをみながらため息をつく。だいたい入学者への説明の資料なんて前の年に書いたものをそのまま使えばいいのに、京香は毎年新しい文書を書きおろす。
『学生は期待と希望をもって入学してくるわけでしょ? 去年のコピーなんて失礼よ!』
京香らしい言葉だ。そんな京香に惹かれて助手入りしたのだが、この頃ARKに提出しなくてはいけない書類に追われて、なかなか他の仕事に手をつけれずにいたのだ。
締め切り明日だから―京香に電話でそう言われ、慌てて書いたのである。やれやれ、と自分の肩を叩いた。後は、印刷するのみか。と、マウスに手を伸ばすと、ひょいとドアから女の子が顔を出した。
「光助、お腹空いたー」
「アキちゃん? 今、何時?」
「もう、一時だよ。早くご飯、ご飯作ってよー」
「そんなにお腹空いたなら、カップラーメンでも食べてればよかったのに」
「カップラーメンはご飯になんかならないもん。だから早く作れ」
にこやかに命令。言っている事は偉そうだが、アキは自分では料理をしない。と言うよりも作れない。花の十七才なんだから、自分で作るぐらいの努力はしてほしいものだが、彼女にそんな事を望むのは無駄というものだ。母の京香も同じくである。親子そろって、そういう面ではだらしがない。
女の子がそれじゃお嫁に行く時どうするの? と古風な忠告を光助はしてしまうのだが、そのたびにグーで殴られる。
『私は結婚なんかしないもん』
ときたもんだ。京香は京香で
『今はコンビニがあるもんね』
だし、何て親子だ。そんな発言をしておきながら、コンビニ弁当を食卓に出すと、真っ先に怒るのはこの二人だったりする。僕は家政婦じゃなくて助手なんだけど────そんな台詞が口癖となっている自分がまた悲しい…。
「もうちょっと待って。これで終わるから」
「待てない」
「あのねぇ」
とあきれて
「これ印刷するだけだから」
「私には関係ないもん」
「……お願い……終わったらすぐ作るから」
とマウスに手をかけた時、ブチッ、と不吉な音がした。
「え?」
顔を上げる。一瞬にして光助の顔面は蒼白になった。
パソコンのディスプレイは、黒く沈黙してしまっている。そしてアキの手には引き抜かれた電源コードが・・。で、電源コードー!!!!!!????? 顔面蒼白どころの騒ぎじゃない。光助の全身から血の気がひいた。
これは一般常識だが、起動中のパソコンを電源を切ると、故障の原因である。パソコン本体そのものが壊れかねない。車の走行中にエンジンを止めるようなものだ。しかしアキにはそんな常識は通用しない。この一家に常識という言葉が存在するのかどうかも、疑問である。唯一の常識人としては、最大の悩みだ。
「な、な、な、な、何てことするんだよ、アキちゃん!!!!!!」
「私はお腹すいたの。早くご飯食べたいの」
「自分で作ればいいでしょ」
「ご飯作るのは光助の仕事でしょ!」
「あのね、僕は先生の助手であってお手伝いさんじゃないの、そこを理解して」
「関係ない。お腹すいた」
「アキちゃん、君がやったこと、どんなにヤバい事だか分かってる?」
「知らない。そんな事よりお腹がすいたのー、すいたんだってばー、光助―」
「僕が今やっていた仕事のデータは消えたし、もしかすると今まで蓄積されていた観測記録のデータも消えたかもしれないし、下手すればパソコンそのものがイカれたかもしれないんだよ。壊れたらどうするつもりだよ、まったく」
「光助が直せばいい」
「あのねぇ…」
「私はお腹が空いたの!」
「シノハラさんに作ってもらえば?」
「嫌。マズイ」
にべもない。
「それに今、あの人いないし」
「え? 何で?」
「白河大学に行ってるよ。補講してくるんだって」
光助は疑問符を表情に浮かべた。今は春休みで、大学は当然授業は一切していない。サークル活動をしている学生がいるくらいだが…と思って、光助ははっとした。なるほど、そういう事か。あの人はまったく────。
「遊びにいったな、何て人だ」
光助はため息をつく。
「仕事はたまっている一方なのに。知らないぞ、シノハラさん」
「そんな事いいから、ご飯を作ってよ。私ね、ピラフがいいなぁ」
『いいなぁ』ではなくピラフを作れ、と目は命令している。これ以上アキを怒らせるのは得策じゃない、と光助は冷静に判断した。仕事が忙しくて、手伝うと言っていた学校の宿題を手伝わなくて、書類をビリビリに破かれたのは記憶に新しい。
とりあえず仕事の事は頭の片隅に追いやり、よっこらせと、光助は立ち上がった。
「今作るから、待ってて」
アキの表情に嬉しそうな笑顔が咲く。17歳にしては、子供っぽいな、と時々思う事がある。つまらない事で怒り、どうでもいい事を気にして、その矛先を光助に向ける。
それも寂しいからか、と思うと放っておけないのだ、光助は。母は多忙な天文学者。父はアキが物心付く前に離婚していない。その事情については光助が口を挟む事ではないし、知るべきものではない。ただ、寂しそうなアキを見て可哀想になる。
アキは自分の事を何と思っているのだろうか……一つ屋根の下で住み込んでいる天文学者助手……良く気のきく家事全般をそつなくこなす稀代の天文学者……そんなわけないか。単なるお手伝いさんと見ているのが、関の山である。
自分で考えて自分で落ち込んだ。
「僕は家政婦じゃないんだけどなー」
とお決まりの台詞で、光助の日常は動きだしていた。
パソコンはしっかり終了で電源を落としましょう。この後、家政婦業をこなしPCを復帰、自動バックアップを作動させて復帰させました。お疲れ、スーパー家政夫!




