#12 素直になれない姉/変わらない弟
光助はすっかり疲れきってため息をつく。運転手の星野陽子は、可笑しげに笑った。
「ご苦労」
「姉貴だってそうだろ?」
「ふん」
と運転しながら鼻を鳴らす。後ろの二人はとうの昔に眠りに入っている。徹夜明けで頑固無能な行政役人の説得だ、疲れない方が変だ。が、光助は眠ろうとしない。多分、一番疲労がピークなのは光助のはずなのだが。徹夜での再計測。資料の整理。『ARK』への報告。それを一夜でやってのけたのである。感心を通り越して、同情すら抱く。何より、事はあまりに急すぎた。混乱なく事態をもっていく事ができたのは、天川京香の人の良すぎるほどの尽力に他ならない。
「私は何もしていない。実際、下北地区がどなろうが、私の知ったことでは無いからな」
「また、そういう事を言うんだからな、姉貴は」
と光助がふくれた。光助には光助の甘ちょろい理想があるように、星野陽子にも彼女なりのポリシーがある。すなわち、真実の探求に成すべきことは、そんなに多くはないという事だ。天文学者に問われる最重要事項は一にも二にも、
《スター・レイン》の解明。これ以外には無い。行政機関への提言、民間企業への資料提供、スター・レインの予報、避難勧告、災害時の対策本部のアドバイザー、マスコミへの解答────これら全て、天文学者の本来の仕事とは星野陽子は認めていない。それはあくまでボランティアでしかなく、スター・レインを解明できない言い訳でしかなく、天川京香とその論議になった時苦笑しながらも、京香はそれを認めた。事実それは否定できず、八方塞がりの状態なのだ。
時間をかければ、あるいは解明されるかもしれない。しかし、かけた時間の分だけ、人は死ぬ。街は消える。残骸と廃虚だけがそこに残る。天文学者は常に焦燥感と苦渋と隣り合わせだ。苛々をつのらせる人々からの罵倒や非難は日常茶飯事である。その間に、星は降る。その間に天文学者は数少ない、価値のない資料を分析する。その間に、星は降る。その間に、いい加減なマスメディアがいい加減な情報ほ飛ばす。それを人々は馬鹿ように食いつく。そして天文学者を無能者と言い放ち、自分たちの不安をごまかす。その間に星は降る────。
「光助、はっきり言うがな、天文学者は科学を追求し、真実を探求する学者だ。予報屋でも便利屋でも行政でも無い。そういう仕事は国に任せればいい」
「解明できていないけど、近い将来解明されるさ。それまでどれだけ人々の不安を取り除けるか、それも学者の仕事だと俺は思うよ。人を幸福にする事が、学問の発生理由だと思ってるし」
「違うな」
にべもなく否定する。
「生きるための学問だ。そこに理想も仮想もない。真実の追求は生存競争と同じくらいシビアだ」
「姉貴らしいよ」
とむっとする。星野陽子はそんな弟の表情を横目で見やりながら、クスリと笑みをこぼした。同業者天川京香や、他の研究者や博識人、役人達には見せたことの無い、表情。最愛のMr.シャーロックにすら見せていない表情。そのことを光助は気付いていない。むしろ気付かれたら、星野は赤面もので弟と顔を合わせることもできないが。
「光助」
「何だよ」
ガキだな、と星野は二ッと笑みをこぼす。
「寝ておけ、今日の夜は修羅場になるのは間違いない」
「星が降ると100%決まったわけじゃ……」
「お前が算出した数値を信用できないのか?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「事実と対峙できない学者に価値は無い。疲れた脳味噌は正常な判断を下すことはできない。疲労はインスピレーションの欠乏を招く。それが分からないようであれば、今すぐ天文学者を辞めてしまえ」
「………」
光助はそっぽを向いて、窓を見る。星野陽子はそれを見て、またクスリと笑みをこぼす。素直じゃないな、私も。と思う。正直に「無理するな」と言えないのが、自分の不器用さ。本当は誰よりも弟の事が心配なはずなのに、この性格がそれを許さない。だから京香に助手入りすると聞いたときは、驚きを通り越して、悔しさが込み上げていた。が、冷静に考え直す。私情は仕事では邪魔なだけ。京香は天文学者としては有能だ。自分は姉として有能じゃない。ポーカーフェイスの得意な星野陽子にとって、その真意を隠すのはそれほど難問ではなかった。
昔は星野陽子の後をひょこひょことついてきた可愛い弟。宇宙の事を何でも知りたがり、肉眼という望遠鏡で延々と夜空の光に思いをはせた二人。いつしかそんな関係を自分の方から、否定した。学者としての地位が上がれば上がるほど素直になれない。真実の探求にロマンチズムは意味も無い。そう星野陽子は決めつけ、あえて弟との距離を置いた。
が光助はドコにいようと光助で、変わらない笑顔で星に情熱を注ぎ、全力を尽くす。京香にとってかけがえのないスタッフとなり、天川家にとってなくてはならない存在となり、京香の一人娘アキにとって大切な存在になっている。が鈍感な弟はそれに全く気付いていない。
星野は傍観を決め込み、天川家を訪れるたびにアキは複雑な表情と、星野に通じるぶっきらぼうな言動で光助に訴えているのだが、全然気付くどころか、仕事のことで頭がいっぱいなものだから、アキもヘソを曲げるというものだ。それでも父親を知らないアキにとっては、光助が甘える対象であることに変わりはない。
光助は光助。そんな弟が少し羨ましくもある。
ただあまりに頑張りすぎる。甘い理想から脱けきれないでいる。理想を持つことは悪くない。しかしいつか理想が押し潰される可能性もある。学者世界は、官僚組織と同じように腐っている所は腐っている。京香のようにドコの組織にも属さず、プロジェクトARKのバックアップと人望で研究をひたむきに続けているというケースは特例なのだ。京香から独立し、一人の学者として学会に立ったとき、その光助の弱さが叩かれることは容易に想像できる。
だから、強く光助の言動を否定してしまう。京香にはいつも素直じゃないのね、と笑われるが、こればかりはど自分の性格。今さら素直に光助に向き合う事もできない。
とそんな弟を見る。こくり、こくり、と微かな寝息が聞こえる。星野は運転に集中しながら、微笑んだ。
「休息は必要だ、光助」
と光助の髪を優しく撫でた。その手をすぐに離し、運転に集中する。
いつも通りに車が行き交う。これが間もなくに、完全閉鎖され、避難命令が出される事になる。まだ時間はある。その間にどれだけスムーズに行政が対応してくれるかどうか。つい先刻の無駄な時間の食い潰しを考えると、さほど有能な対応は想像できないが、ここまで情報があるのだ。時間が無い、との理由で死傷者がでないことを祈りたい。
「だから、京香との仕事は好きじゃない」
と苦笑する。その笑いが一瞬、止まった。
一台の対向車とすれ違ったただ一瞬であったが、その一瞬で星野は充分だった。ルームミラーで後部座席で睡眠をむさぼる京香を見て、起きていない事に感謝する。
「西川」
ぼそりと呟く。
「元気そうだな」
夕日は弱々しく、差し込む。重いため息が一つ、漏れた。




