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淡雪


しかして主の命令は絶対だ。

俺は憤然やるかたなく屋上へ飛び降りると山牙を従えたまま後者につづく階段を駆け下りた。

どうせ山牙は異形の獣だ。ふつうの人間たちには見えない!

怒りにまかせてだかだかと階段を駆け下りながら俺は吟と織を召喚した。

白銀の狼たちは俺がその名を口にしただけで眼前に躍り出る。


『呼んだか、蒼路?』

『どうした、蒼路』

「どうもこうもない!」


宙に舞う花びらのように優雅に現れた彼らであったが、俺のぎらぎらしたまなざしに出会うと口をつぐんだ。どうやら相当怖い顔をしていたらしい。


「吟、織。悪いが頼みがある、この校舎全体を見て回って体に異常をきたしている人間がいるかどうか見て欲しい! そんで見つけたら俺たちに即刻教えてほしーんだ! わかった!?」


俺がまくしたてると二匹はぴょいっと飛び上がって返事した。


『わ、わかった!』

『そなたか主様に教えればよいのだな? ではさっそく!』

『そ、そうだ、さっそく参ろう! では主様、失礼仕ります』

『失礼仕ります!』


俺の勢いに気圧されてか、二匹は現れたときと同じく唐突に消えた。山牙が物言いたげにこちらを見てくるのがわかったが、気にしている余裕はない。

俺はさらに校舎内をだかだか進んだ。遙の気配を探りながら進路を選び、最終的には昇降口を出てグラウンドを横断し、校舎の裏側に位置する武道場へとたどり着いていた。

武道場にも種類があるが、このとき俺が向かったのは六人立ちの的場を持つ弓道場である。


「頼もう!!」


一声吼えてから入り口の戸を開け放つときちんと胴衣に着替えて射的を行っていた遙と巫女のふたりが顔を上げた。


「ああ、蒼路。遅かったね」


なんつってにこっと笑った遙である。

が、彼のそのさわやかな笑顔すら忌々しく、俺は彼に詰め寄るとまくしたてた。


「遅かったね、じゃねーだろ!! 俺たちがあんだけ必死に魔法陣解除してたっていうのにお前はなにゆーちょーに射的楽しんでんねん!!」

「なんで関西弁なのさ」

「るせぇ、黙れ!」

「なに怒ってるんだい? あ、山牙。姫は?」


ここで俺の足元にお座りした山牙に気がついて遙が声をかけた。

彼は尻尾を振りながら低く答える。


『急用ができたと仰られてな。一足先にここを発たれた』

「え? じゃあなんで蒼路はここにいるの。きみ、姫の護衛なんだろ?」

「ち・げーよ! 俺はあいつの幼馴染だ!」

「……ははあ」


遙は訳知り顔に口元に手をやってうなづいた。


「そういうことか」


呟いて、緑の瞳を細めて笑う。


「つまり、置いていかれたからすねてるんだね」

「違わいっ!!」


即行否定したが遙は聞いちゃくれなかった。


「なるほどね。にしてもほんとに蒼路は姫が好きだね。青藍くんが嫉妬するのも頷ける」

「だから違うっつってんだろ! つか、青藍がどうしたってんだよ!」


顔が知らず熱くなるのを感じながら俺は吼えた。

遙はくすくすとさらに笑いながら説明する。


「近頃ご主人にぞんざいに扱われて出番が少なくって嘆いてるんだって。それもこれも君がご主人のそばにいるせいだ、蒼路そのうち絶対殺す、とかなんとかさっきまでそこで呪詛の言葉を吐いてたけど今さっき消えたよ。たぶん姫を追っていったんじゃないかな」

「……怖っ」


俺は呟いた。

青藍の、やや湾曲したりっぱな二本の角を想像し、さらにそれにどてっ腹を刺し貫かれた情景も想像してしまい全身がさっと青ざめた。深紅に首っ丈のあの獣ならやりかねない。

怒りに燃えていた全身がすうっと冷めて落ち着きを取り戻してゆく。俺はようやく息を吐くと、眼を閉じてひとつ大きく深呼吸した。


「ところで蒼路。いいかな?」


いま一度眼をひらいたとき遙が言った。


「なんだよ遙」


俺は答える。すると彼は微笑んだ。


「巫女殿がご挨拶されたいと言ってるんだけど、いいかな?」

「──」


俺は黙考した。

いつになくにこやかに笑っている遙の肩越し、やや離れた場所に立っている巫女に目線を遣る。

彼女は俺をじっと見つめていた。その澄んだ茶色の瞳のなかにはもはや怒りはなく、あの正体のわからない悲しみだけが残っている。

さきほど深紅に痛めつけられた頬にはていねいに湿布が張られていた──遙が手当てしてくれたんだろう。

そこまで確認したところで俺はいきなり膝をつき、彼女に頭を下げていた。


「さっきは、深紅が失礼をした。心よりお詫び申し上げる」

「蒼……」


たちまちぽかん、と声を上げた遙を片手で制して俺は顔を上げ、これまたあっけにとられた様子で眼を見開いている巫女に名乗った。


「たいへん申し遅れたが、俺は高村蒼路という。遙とはきょうだい弟子で異能者仲間だ。ちなみにさっきの女の子は深紅といって俺たちの主筋にあたる」

「……それは聞いた」


ここで巫女がようやく口を開いた。

さきほどとは打って変わって澄んだ鈴のような声をしている。驚きに眼を瞬く俺に対して彼女は自らもまた膝を折り、存外素直に頭を下げた。


「謝る必要があるのはこっちも同じだ。すまなかった。いま、君が戻ってくるまでにこちらの遙くんから話を聞いていたんだが──どうやら多大なる行き違いがあったようで」

「そのようだな。顔を上げてくれよ」


俺はあっけらかんと答える。

巫女はうなづいてその通りにしたが、可愛い顔はいまや渋面を浮かべていた。

頬にかかった茶色い髪をうっとうしげに払い、彼女は歯噛みする勢いで言った。


「お恥ずかしいことに騙されてたらしいんだ。まったく、よくよく考えればわかりそうなもんなのにな。さっきまでは怒り狂っていたものだから、そんなこと考える余裕もなくて。自分で自分に嫌気がさして猛烈に恥じ入ってるところなんだ。ほんとうに悪かったよ」


彼女の男言葉はあいかわらずで、これはおそらく地なのだろうと思われる。

可憐な顔に似つかわしくないその響きに俺は思わず笑ってしまった。


「ま、いいって。勘違いなら誰でもすらぁ。それよりあんたの名前も教えてくれよ、お巫女さん」

「巫女じゃない。──淡雪たんせつだ。奥之澤淡雪おくのざわたんせつ


りっぱな名前であった。俺は軽く口笛を吹いた。


「いい名前だな。ぴったりだ」

「……君もな」

「あんがとよ」


名前を褒めてもらえるのは素直に嬉しい。

知らず笑顔になった俺を見て、巫女もここでようやくほっとしたようにゆるやかな笑顔を見せてくれた。

お、笑った顔ちょー可愛い。

まあ年上だから対象外だけど。

どーでもよいことを考えていると横から遙が割り込んできた。


「さて、蒼路。仲直りできたところでいいかな。そも淡雪さんがここまでやってきた経緯を説明しよう」

「あ、そーか。そもそもそれ聞かねぇと話になんねえしな。でもよ遙、授業は?」

「オーアによると午後は半ドンになるらしいよ。昨日から今日にかけての騒動のせいで」

「そりゃラッキーだわ。弓道部員がこなきゃいいけど」

「大丈夫。部活も全部中止になるそうだから」


さすが遙。何から何まで計算ずくである。

俺は足元に擦り寄ってきた山牙のあたまを撫でながら今一度巫女の──淡雪の顔を正面から見やる。

そしてにこりと笑って言った。


「じゃあ、巫女殿。あんたの話を聞かせてくれよ」


淡雪は頷くと話し始めた。


***


奥之澤淡雪、二十五歳、歯科医院勤務(!)。

この君見丘から電車で十五分ほど離れた御影原みかげのはらという町に住んでおり、そこで父親が弓道場を開いているらしい。

それを聞いて俺はああと合点がいった。

奥之澤雪舟おくのざわせっしゅうという射手がいたのだ。

日本でも指折りの射手であり、同時に異能者。

俺たちのようにビジネスで退魔祓魔をこなすわけではなく、ただひとりの神に仕え、その神様を護るためだけに弓を射るという堅気な異能者である。

しかし堅気なあまりに雪舟さんはお金がなかった。

だからこそその類稀なる弓の腕を活かして弓道場を開いた。

……というような内容の話を俺はいつかババアから聞いたことがあったのだった。


「で、親父の影響で、わたしも物心ついたときには弓をさわっていたからな。気がつけば射法八節は一通り身についていたというわけだ。中学生の時にはもう八段……九段だったかな。取っていた」


淡雪が言った。俺は率直に感嘆する。


「そりゃすげぇな」


と、俺の隣にあぐらを掻いていた遙が首を傾げて言う。


「そうなの?」

「そうだよ。普通は高校くらいでやっと六段、七段取れるくらいだ。それもかなり上手いやつがだぞ」

「へえーえ。どうりで鬼のように強かったわけだ」

「全くだよなぁ。いきなり射掛けられたときにはどうしようかと思ったぜ」

「……悪かったな」


俺と遙のやりとりに淡雪はむすっとした顔で割り込んだ。


「けどさっきも言ってたけどそれには事情があったんだよ。わたしには人外の知り合いがひとりいるんだが、そいつが今朝方こつぜんと姿を消した」

「こつぜんと?」


遙がふたたび首を傾げた。

頭の回転の速い彼は淡雪をまっすぐに見つめて問う。


「その言い方だと、淡雪さん。あなたと人外のお友達がひどく近しかったように聞こえるけれど」

「近しかったんだ」


淡雪は即答した。

俺と遙は思わず顔を見合わせる。


「物心ついた時から一緒だった。ずっと一緒に暮らしてきた。友達というより家族だった。人外だなんて最初は知らなくて、学校に上がってはじめて、他の人間には彼が見えないんだと知った。不思議だった。どうして見えないんだろう。彼はここにいるのに。確かにわたしの前にいて、確かにわたしの手を握っているのに。だけどそれを他の人間に言えば気味悪がられるのはむしろわたしのほうだった」

「…………」


急に流暢に喋り始めた淡雪のことばを聞いて、俺の胸に去来した感情があった。

それは俺が幼い頃、あの星師の里で魔物たちを眺めながら思っていたことに似ていた。


──あれは悪いものだ、蒼路

──どうして?

──あんなものに近づいてはいけない、蒼路

──ねえ、どうして?


どうしてここに確かにあるぬくもりを、愛しい存在ものを、僕達は認められないの?


「……わかるな。その気持ち」


俺は呟いて、俺のすぐそばに四肢を折っていた山牙の体に腕を回した。山牙は何も言わずにただぱたぱたと尻尾を振る。

淡雪が澄んだ琥珀色の瞳でこちらを見つめ、なぜかちいさく微笑んだ。そして続けた。


「彼は──名を麝江といったが──先に言ってしまえば鹿の化身だった。御影原には多数の神がいらっしゃるが、その内の一神に仕えていたらしい神鹿だった」

「……ちょっと待って」


遙が手をあげて淡雪をさえぎった。

俺と淡雪は同時に彼を見る。

澄んだ碧の瞳がきらめいていて、なんか今日の遙は表情豊かに感じられた。いや、普段から魅力的な奴なんだけど、より一層というかなんというか。


「変じゃないかな?」


遙は淡雪に対して尋ねた。

彼女は首を傾げる。艶やかな茶色い髪が肩の上でさらさらと動く。

そんな仕草をすると彼女はごくふつうの可愛いお姉さんに見えた。


「なにがかな? 遙くん」

「あなたはさっき自分を異能者じゃないってはっきり断言していた。なのにそうやって人外のお友達を見ることができたり、異能者のお父さんを持っていたりする。ちゃんと神様の存在も感じているみたいだし。それなのにどうしてあれだけの自分の力に気がついていなかったのかな?」

「あー、それは俺も思ってた」


俺も横から相槌を打つ。

さっき正面きってぶつかり感じたことだが、淡雪の力は並ではない。むしろ甚大にして強力な、そこいらの異能者では及びもつかない凄まじいものだ。

なのに彼女はそれを知らなかったという。

自分はただの弓道場の跡取り娘で、人外の友達がめずらしくも一人いるだけ──そんな言い方をしていた。

だが淡雪は俺たちの話がのみこめないようだった。

首をますます傾げて怪訝そう至極な顔をする。


「……私も君たちにひとつ質問がしたいんだが」

「どうぞ」


俺は手のひらを見せる。淡雪は頷いて言った。


「異能者というのは、父のように不思議な力を持つ人間のことか?」

「まぁそうだな」

「君たちも異能者なのか?」

「そう。親父さんと違うのは、俺たちはこの力を生業にしてるってことだな」

「妖怪退治でもしてるのか?」

「まさしく」


俺はちょっと笑った。

だが淡雪の顔から怪訝そうな表情は未だ消えない。


「で、私にも君たちと同じような力があると、君たちは言ってるわけだな」

「正確にいうと力のタイプは違うんだけど、できることは一緒だ。たぶんあんたの方が強い」

「そうなのか?」


心底ぞっとしたように眼を見開いた淡雪に俺は大きくひとつ頷いて見せた。

それでと一つ咳払いをし、大きく脱線した話を巻き戻す。


「……で、淡雪。そんな甚大な霊力を持っていることにも気がつかず、あんたは異能者である俺たちに無謀にも戦いを挑んできた。これは一体どーゆーことだ?」

「それは、だから。麝江がかどわかされたためだ」


淡雪の声が急激に低くなった。ついでに瞳がぎらついた。

華奢な全身から眼に見えるほどの霊力ちからもとい殺気が放たれ始め、俺と遙は息を呑む。

山牙がたちまち全身を緊張させて警戒の唸り声を発する。

だが淡雪はそんな俺たちの様子に気づいた風もなく喋り続けた。


「許せない、ほんとうに許せない。神の使いである麝江に触れるだけでも恐れ多いことだというのに、あまつさえあいつらは親父を襲った! 道場を荒らして家宝の弓まで持ち去ったんだぞ!!」

「……わかった。つまりその”あいつら”が俺たちだとあんたは誤解して襲い掛かってきたわけだな?」


唸り続ける山牙を片手でやんわりと押さえつけながら、声を低くして問う。横では遙が口元を手で覆って考え込んでいた。

道場のなかは急に静まり返った。

淡雪がふたたびぎりりと歯噛みした。


「そうだ。すまなかった。騙されたんだ、あの女に。麝江を連れ去り親父を傷つけた人間を見たと言ってわたしを連れ出したあの女に──!!」

「女……」

「家を飛び出した私に声を掛けてきた。父を傷つけたのは刀を持った少年だったと言って、手にした水晶にどうやったのか映像を映し出した。──それが君たちだったんだ」


遠目の術、と遙が呟く。俺も頷いた。

離れた場所の状況を視る術だ。高位の術なので女はそれなりの術者ということになる。

つーか、冷静に考えればその女がいっちばん怪しいが、とにかく怒りと衝撃に混乱していた淡雪はすがる思いで女を信じたのだろう。

だいたい刀を持った少年なんてそこいらに転がってねぇからな。

俺があやしまれるのは必然だったわけだ。


「で、その女と一緒に高校へ来たのか?」

「そうだ」

「高校全体に結界を張って魔法陣を描いてあまつさえ全校生徒および先生たちに催眠術をかけたのもその女か?」

「……そんなことまでしていたのか?」

「髪の毛を渡したんじゃないのか?」

「渡したが……それは君たちの勢いを鈍らせるためだと聞いて」


淡雪の顔色がみるみる青ざめていく。

もともと色白なのでそんな顔色をするとほとんど透き通るようである。

ことの重大さに気がついて額に手を当てた淡雪は今にも倒れそうだったが、遙が横から手を出して彼女を支えた。

淡雪は俯きながら嘆いた。


「勘違いで襲った挙句、無関係な人間までをも巻き込んだとは……武人の恥だ、人としての道を踏み外す行いだ。なんとお詫びをすればいいのだ!!」


本気の嘆きである。

ともすればそのまま泣き出してしまいそうな様子で、遙がこまったように俺を見たので、俺は頭を掻いて答えた。


「ま、まぁ、やっちまったもんはしゃあねえよ。それにあんたは騙されてた。自分の力すら知らなかったんだから」

「知らないで済まされる問題じゃない!」

「もちろんそうだ」


俺はきっぱりと認めた。

遙が慌てたような顔をしたが、ここで違うといっても慰めにはならん。

犯した罪は消えない、過去は元には戻らない、ならば。


「あんたが今すべきことは嘆くことじゃない。──その女を捕まえることだ」

「え……」


淡雪がまっしろい顔を上げ、乱れた髪の隙間から俺を見つめた。

俺はかすかに笑うと立ち上がる。

つられたように鼻面を上げた山牙の頭に手を置いて言った。


「手伝うぜ、淡雪」


琥珀の瞳が今度こそ見開かれる。

その横でなぜか遙があー、と頭を抱えていたが、構わず続ける。


「俺にもその女を探し出す義務がある。利害は一致している、一緒にその女を見つけて捕えよう」






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