正しさの影
読んで頂き、ありがとうございます。
ちょっと不穏が入ってまいりました。
傀儡たちが闊歩する村での戦闘から、既に3日が経っていた。
桔梗が詩音と皐月を担いで鳥居から帰って来た時、ミクマはたいそう驚いたそうだ。慌てて竜の子たちを手配し、全員医務室行きとなった。
桔梗と紗蘭は細かい傷だけだったのですぐ解放されたが、詩音と皐月ーー特に皐月はそうもいかなかった。
詩音は肺に肋骨が刺さっており、迂闊な治癒術で骨と肺が癒着しないよう、少しずつ治癒術をかける治療方針となり、絶対安静に。なんなら足の骨も折れていたようで、そちらの治療も並行して行うことになった。
皐月は肺に穴が空いており、槍が刺さった場所が少しでもずれていたら心臓だったらしい。意識も戻らず、全身切り傷まみれの失血状態だった為、集中治療を行った。左腕の傷が特に深く、神経まで行かなかったことが奇跡とまで言われていた。
治癒術を使っても、詩音は全治1週間、皐月は2週間。
つまり、その間に任務が入れば、桔梗と紗蘭の2人でこなさなければならない、ということだった。
「…………」
医務室に続く襖の前を、桔梗がうろうろしていた。
詩音も皐月も、まだ目を覚ましていない。
(結局……)
桔梗は、さきの戦いの後の詩音を思い出していた。
虫でも払わんとする勢いで、急に手を振りかぶった様子。
周りの言葉が耳に入っていなかったような彼女。
違和感こそあれど、その正体には至らなかった。
視線を落とすと、自分の手に付いたままの、乾ききった血が目に入った。 洗い落としたはずなのに、妙にこびりついている気がする。
「チッ……」
舌打ちし、顔を背けた。
紗蘭は、自室に籠もっていた。
布団のなかで組んだ手が、小刻みに震えている。
(守る、だなんて……烏滸がましい)
脳裏に、村人たちの阿鼻叫喚が蘇る。
吹き飛ぶ身体、溢れ出る血、己の力で振るった光の槍。
「っ……はぁ、はぁ……」
呼吸が浅くなる。
(私は……人殺しだ)
そう思い、布団を被った。
『お前の強さ。欲しいな』
頭の中で、あの声が反芻される。
『お前は新世界の秩序となるのだ』
うるさい。
『また来る』
うるさいうるさいうるさい。
「……っ……」
詩音が目を覚ますと、見知った天井が視界に広がった。
つんと鼻を突く薬の匂い、医務室特有の香り、水道の音。
自分が搬送されたのは、すぐに理解できた。
体を起こそうとするが、がっちり固定されていて、動かせない。
(……ここまで重傷になったのは久しぶりだな)
最初の方は、かなりこうなっていた。
いつから医務室通いを卒業したんだったか。あまり思い出せなかった。
『目覚めたか』
ふいに、あのねっとりとした声音が耳元で囁く。
背筋がぞくり、とした。
『あの攻撃でなお斃れぬ器。実に素晴らしい』
「……黙れ」
試しにそう呟くが、声は止まない。
『ほう?ならば問おう』
影がぬうっとたちあがり、詩音の眼前に迫る。
『あの小娘、切り捨てるべきではなかったかね?』
「……っ!」
体が動かせないのがこんなにも憎いと思ったことは無い。この影をどうにかしてやりたいのに、それが叶わない。
詩音の脳裏に、さきの戦いの光景が蘇る。
無機質ながらも崩れ落ちる村人たち、皐月の胸を貫いた光の槍、泣き叫ぶ紗蘭。
『お前なら出来たはずだ。無駄なく処理することが』
黙れ。
『それを選ばなかったのは……』
黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ。
『お前の非効率さ故だ』
影は容赦なく詩音に言葉を浴びせ続ける。
(違う……)
詩音は必死に否定しようとする。だが。
(違う……よな……?)
一瞬、迷いが生じる。
影がにたりと笑った。
『実に矛盾だらけで非効率だ。だがな』
影は詩音を逃すまいと、大きな1つ目をぎょろりと覗かせた。
『いずれ選ぶことになる』
「……お前の思い通りにはならない」
詩音は、己の迷いを振り払い、影を睨みつけた。
『面白い。その時が楽しみだ』
くくく、と笑いながら、影は姿を消した。
「待て……………」
ああ。
『次こそ、もっと正しく選べる』
(……違う)
(いつから、こんな……最初、から?)
今のは、自分の言葉じゃない。
得体のしれないものに侵されている気がした。
指先が、ぴくりと動いた。
(……動かした覚えは、ない)
もう一度。
意志とは無関係に、わずかに震える。
(……誰のものだ?)
その疑問に、答える声は無い。
ただ。
どこか遠くから、愉しむような気配だけが、確かにあった。
5日が経った。
あれから1件だけ任務があったが、結局向かったのは桔梗1人だった。
皐月は目を覚ましたものの、身体は万全では無さそうだ。
紗蘭は部屋に籠もったまま、出てくることは無かった。
詩音も目を覚ましてリハビリをしてはいたものの、少し様子がおかしい。たまに、何もいない所に向かって話しかけているように見える。
桔梗は苛立っていた。
いつまでもウジウジしている紗蘭にも。
一人で全部背負って犠牲になりかけた皐月にも。
明らかに何かを抱えているのに、何も言わない詩音にも。
そして……。
何も変えられない自分に。
「……チッ」
気づけば、また舌打ちが漏れていた。
一人で任務をこなしても、何も解決しない。
いつの間にか、4人での戦闘に慣れきっていた自分に気づく。
「……俺がやるしかないな」
人気のない廊下に、桔梗の足音だけが響く。
迷う理由はなかった。
行き先は決まっている。
紗蘭の部屋の前だ。
「……」
一瞬だけ、立ち止まる。
だがすぐに、苛立ちを押し殺すように襖を叩いた。
「おい。いるんだろ」
返事はない。
「聞こえてんだろ。いい加減出てこいよ」
沈黙。
その静けさが、余計に神経を逆撫でする。
「……開けるぞ」
返事を待たず、襖を開けた。
薄暗い部屋。埃が舞っている。
差し込む光を遮るように、紗蘭は布団を頭まで被っていた。
「……何の用」
くぐもった声が、布団の中から漏れる。
「任務だ。次は2人で行けってミクマが」
「……無理」
間髪入れずに返ってきた言葉に、桔梗の眉がぴくりと動く。
「は?」
「……無理。私……また……」
声が震えている。
「また殺すかもしれないから、か?」
図星を突かれ、紗蘭の体がびくりと揺れた。
「…………」
「だったら何だ。だから引きこもってりゃ全部解決すんのか?」
「……っ、そんなこと……!」
布団の中で、ぎゅっと何かを握りしめる気配。
「私だって……分かってる……!でも……!」
声が徐々に大きくなる。
「怖いの……!あの時みたいに、また……止まらなくなったらって……!」
沈黙が落ちる。
桔梗はしばらく何も言わなかった。
やがて、小さく息を吐く。
「……じゃあやめとけ」
「……え?」
思わぬ言葉に、紗蘭が顔を上げた。
桔梗は壁にもたれかかり、視線を逸らしたまま続ける。
「怖いならやめとけ。向いてねぇよ」
「な……っ」
紗蘭の顔が歪む。
「ひど……っ……」
「事実だろ」
即答だった。
「戦えない、制御できない、守れない。役満だな」
淡々とした言葉が、刃のように突き刺さる。
「やめればいい。誰も困らねぇよ」
「……っ……!」
紗蘭の目から涙が溢れた。
「……そんな言い方……しなくても……」
「じゃあどう言えばいいんだよ」
桔梗の声が、わずかに低くなる。
「頑張れってか?大丈夫だってか?」
一歩、踏み出す。
「無責任なこと言って、また同じこと繰り返させんのか?」
「っ……」
言葉が詰まる。
「俺はごめんだね。あんなの二度も見たくねぇ」
あの夜の光景が、脳裏をよぎる。
吹き飛ぶ身体、降り注ぐ光。
そして……。
守れなかった現実。
「……っ」
拳が、ぎり、と音を立てる。
「だったら……どうすればいいの……」
消え入りそうな声だった。
桔梗は答えない。
少しの間を置いて、ぽつりと呟く。
「……知らねぇよ」
「え……」
「自分で決めろ」
突き放すような言葉。
だが、その声音はわずかに揺れていた。
「逃げるか、残るか。どっちでもいい」
踵を返す。
「ただ……中途半端が一番邪魔だ」
襖に手をかける。
「やるなら、覚悟決めろ」
それだけ言って、部屋を出た。
残された紗蘭は、ただ呆然と座り込んでいた。
守ると決めても、守りきれない。
切り捨てると決めても、割り切れない。
(……なんなの、あの人)
握り締めた拳に、じわりと力がこもる。
(どうすればいいの……?)
襖を閉めたあとも、桔梗はしばらくその場に立ち尽くしていた。
言い過ぎた自覚はある。
だが、ああ言うしかなかったとも思っている。
「……チッ」
小さく舌打ちして、歩き出す。
その時だった。
廊下の向こうから、足音がひとつ。
視線を上げると、そこに詩音がいた。
「……」
「……」
数歩分の距離を挟んで、二人は向かい合う。
詩音は包帯だらけの身体で、壁に手をつきながら立っていた。
まだ万全ではないのは一目で分かる。
それでも、その目だけは妙に冴えていた。
「……起きてたのか」
桔梗が口を開く。
「ああ」
短い返答。
それ以上、続かない。
沈黙が落ちる。
桔梗は無意識に眉をひそめた。
(なんだ……?)
違和感。
うまく言葉にできないが、何かがおかしい。
視線、空気、立ち振る舞い。
全部、僅かだが……らしくない。
「……お前、何を考えてる?」
気づけば、そう口にしていた。
詩音は一瞬だけ間を置いて、答える。
「別に」
即答だった。
だが。
その声には、いつもの温度がなかった。
「……は?」
桔梗の眉間に皺が寄る。
「別に、って顔じゃねぇだろ」
詩音は何も言わない。
ただ、じっと桔梗を見ている。
観察するような、値踏みするような視線。
「……なんだよ」
苛立ちが滲む。
詩音はようやく口を開いた。
「お前、無茶をしたな」
「……あ?」
思わず声が低くなる。
「戦闘時の立ち回り。あれは非効率だ」
淡々とした声音。感情の起伏を感じさせない。
目もどこか虚ろだ。
「敵を優先して排除すれば、もっと早く終わっていた。結果として消耗が増えた。お前の負傷も含めてな」
「おい、詩音」
桔梗が遮る。
一歩、踏み込む。
「……何の話してんだ、お前」
詩音は瞬きひとつせず、答えた。
「事実」
その言葉が、やけに重く響いた。
「最適な選択ではなかった。それだけだ」
数秒の沈黙が流れる。
桔梗の奥歯が、ぎり、と鳴った。
「……うるせえ」
低く、押し殺した声。
「分かっててやったんだよ」
詩音は首をわずかに傾ける。
「理解できない」
その一言で、空気が凍った。
「は……?」
「感情に基づいた判断は再現性がない。次に同じ状況になった場合……」
「もういい」
桔梗が吐き捨てる。
それ以上聞く気はなかった。
(なんだ、コイツ)
目の前にいるのは、確かに詩音のはずなのに。
どこか、決定的に違う。
「……お前」
言いかけて、言葉が止まる。
何を言えばいいのか分からない。
詩音はただ、静かにこちらを見ているだけだ。
「……なんでもねぇ」
視線を逸らし、すれ違う。
肩が、わずかに触れた。
その瞬間。
ぞくり、とした。
体温があるはずなのに、妙に冷たい感触だった。
数歩進んでから、桔梗は足を止める。
振り返らないまま、吐き捨てるように言う。
「……気持ち悪ぃぞ、お前」
返事はなかった。
「……?」
詩音本人が分かっていなさそうだった。
翌日も、紗蘭は出てこなかった。
詩音も変わらずリハビリを続けていた。桔梗は昨日の様子を詩音本人に問いただしたが、本人は覚えていない様子で「何のことだ?」と云った。
皐月はようやくリハビリが解禁され、いつもと変わらぬ元気なテンションで再会を喜んだ。しかし、桔梗にどつかれてしまう。
「で、紗蘭ちゃんはきっと塞ぎ込んでるよね?」
医務室で早速核心をつく発言に、桔梗と詩音はドキッとした。
完全に見透かしてやがる、こいつ。
それが桔梗の感想だった。
「きっと『もう帰る〜』とか思ってるよ、紗蘭ちゃん。暴走なんて元の世界じゃ日常茶飯時だったのにね〜」
けろっととんでもないことを口走る皐月。
「日常茶飯時だぁ?」
詰め寄る桔梗に、皐月は「あっ」と口を押さえるが、すぐに肩を竦めた。
「あれー?桔梗くんには言ってなかったっけ……?」
「聞いてねえよ!……ったく」
皐月の雑さに、桔梗は頭を抱える。
「いや、そのまんまの意味だよ。あの子、元の世界でも結構やらかしてたからさ」
「……やらかしてた、で済まされる話か?」
詩音が静かに口を挟む。 その声音は落ち着いているが、どこか探るようだった。
「まあ、怖いのは分かるし、一番苦しんでるのが本人なことも分かるよ」
皐月は足をぶらつかせながら言う。軽い口調で、核心をつく。
「だったら、放っておくのは逆効果じゃないのか」
詩音の言葉はもっともだった。
「うん。だからね?」
皐月はにやりと笑う。2人は嫌な予感がした。
「引きずり出さなきゃ」
「…………」
2人同時にため息をついた。
「お前な、それができたら俺はこんなにムカついてねぇよ」
桔梗はこの数日間の苦悩を口にする。
「こっちから小突いてやってもウジウジするだけだぜ?俺はもううんざりだ」
「ふぅん」
皐月は気のない返事をする。
「ふぅんってお前……」
「桔梗くんのはやり方が悪いね」
「はぁ?」
桔梗の眉が動く。
「今の紗蘭ちゃんに普通のやり方は通用しないね。褒めようが貶そうが叱ろうが中途半端に追い詰めようが、意味ないよ」
「じゃあどうするんだよ」
「もっともっと窮地に立たせる」
「はぁ!?」
何を言ってるんだ、こいつは。
ただでさえ今、紗蘭は窮地に立っているんじゃないのか?と桔梗は問いただしたくなった。
「部屋から引きずり出して、現実突きつけて、逃げ場なくして。それで初めて選ばせるの」
「お前な……」
俺以上の鬼。スパルタ。
桔梗は初めて、この精霊が恐ろしく感じた。
「それで帰るって言ったらどうするんだよ、お前……」
「まあ……その時はその時じゃない?」
今度は突き放すような言い方。
「中途半端に守ろうとするから余計拗れるんだよ。あの子、自分で決めないと絶対戻ってこないタイプだし。ね?詩音ちゃん」
「……そうだな」
詩音は少しだけ頷く。
ふと。
桔梗には、また詩音の瞳から光が失われたように見えた。
「外部からの干渉では、意思決定の根本は変わらない」
「だよね〜」
だが、それに気づくことなく、軽いノリで同意する皐月。
(……まただ)
言っていることは正しい。だが。
どこか、他人事のようで。
「……お前」
桔梗が詩音を睨む。
「さっきからなんだ、その言い方」
「何が」
「意思決定だの干渉だの……」
苛立ちが滲む。だが、詩音の様子は変わりそうもない。
「もっとこう……あるだろ。言い方」
詩音はわずかに首を傾ける。
「事実を述べているだけだが」
「そういう話じゃねぇんだよ」
空気がぴり、と張り詰める。
皐月が「まあまあ」と手をひらひらさせる。
「はいはいストップ。今はそこじゃないでしょ」
強引に話を戻す。
「とにかく……今日行くよ」
「は?」
「紗蘭ちゃんのとこ」
にやり、と笑う。
「3人で」
「はぁ!?」
「人数多い方が逃げられないでしょ?」
「そういう問題か!?」
桔梗が頭を抱える。
だが。
「……行くべきだな」
詩音がぽつりと呟いた。
「現状は停滞している。変化を与える必要がある」
その言葉に、桔梗は舌打ちする。
「……チッ。分かったよ」
そして、観念したように吐き出す。
「ただし……」
桔梗は皐月を睨む。
「無茶すんなよ」
「えー、誰に言ってんの?」
悪びれもせず笑う皐月。
その軽さが、逆に頼もしくもあった。
「行くよ、桔梗くん」
立ち上がる皐月。
「詩音ちゃんも」
「……了解」
詩音もゆっくりと立ち上がる。
その動きはぎこちないはずなのに、どこか無駄がなかった。
まるで、調整されたかのように。
「……」
桔梗はその背中を見て、わずかに眉をひそめた。
(やっぱり……おかしい)
だが。
今はそれどころじゃない。
「……行くぞ」
三人は、紗蘭の部屋へ向かう。
それぞれに、違う思惑を抱えたまま。




