破壊するもの-10
冥府の入口、冥界下りのはじめはAからC棟の中央――建物の中央に位置している。正しくは冥府の入口付近に各自三つの建物を建設したと云った方が正しいのであるが、皆が緩やかな坂を下る中、渇いた土を踏む足音だけが響き、鼓膜を刺激する。
「何か気まずいですね」
ざっ……ざっ……と土を踏む音の中、そう云うのはアズールである。彼は別に無言の会話なしの状態に耐え切れなくなったのではなく、地面の下……地下、地底からにわかに感じる恐怖の根源に身震いしながら、その圧迫するような威圧感を誤魔化そうとするために、喋り出したのであった。
海底二万里。
狂った随筆と呼ばれた、日記の内容。
その記載文と酷似したような雰囲気が、地の底から滲み出ているのである。あくまで想像でしかないが、類似しているとアズールはそう思った。
「会話……それって本当に必要?」
そう云いながら答えるのは、イデア。本当に会話が不必要ならアズールの呟きを空気のように流し黙殺しただろうが、話に乗った……と云うわけではないが、軽口を意識して答えるのである。部活中の他愛のない話とまでいかないが、イデア自身もトラウマによる苦しみと、この場の独特な雰囲気は重たかった。気が滅入るどころの話ではなく、ゴリゴリと正気度を削り、狂気の濃度が上がっているような感じが耐えられないのである。
「そりゃあ必要でしょう。そもそもの疑問として訊ねたいのですが、どうして僕らが冥界下りに同行しているんです? オルトさんからは、手伝って欲しいと聞きましたが、あのパワーを見れば、手を貸す必要はないと思うのですがね」
横に動くことが想定されていたドアを、真正面から押し倒した。それも一度ではなく二度も。オルトは物理的な戦闘力を考慮するにあたって、かなり強い分類と考えたほうが自然である。
「それはね、アズール・アーシェングロットさん、兄さんにはトラウマがあるし、この冥界下りのエリアにはオーバーブロット化した存在が隔離された施設なんだよ」
完全にブロット化した存在は、ファントムと呼称している。
亡霊ですか……とアズールは警報の内容、一部分の文言を思い出していた。壊れた機械からアナウンスされた内容は断片的であったが、確かに「オーバーブロット」と述べていたのは確かだろう。聞き逃すことのできない重要な情報であった。
「ブロット化した存在の、保護……と云うよりも保管、ですか。そのファントムとやらは、オーバーブロットに関する事象の調査が必要なら、ABC棟のいずれかに、最新鋭の技術を使った鉄の檻の中に入れておいた方が良いと思うのですがね」
何も、破壊するものとやらが幽閉された道中に同じように閉じ込める必要はない。置き場所としては最悪だと述べながら、小川のせせらぎを耳にする。みれば、通常の水の色とは異なる白濁色の液体が流れる水のわだちがあった。始点は先細りした小さなものであるが、道しるべに沿って……深奥を見ると大河と云って差し支えないほど、大きな運河を形成している。
「アズール氏、確かに小規模な、力の弱いファントムは研究棟の中に収容しているよ。でもこの冥界下りの道程にいるのは、研究に不向きな個体……破壊するものを地底に幽閉すると同時に、ブロット化した狂暴凶悪で獰猛獰悪な手に負えない存在も一緒に収監されている。ブロット化の解明しようにも施設が常に危険と隣り合わせ、破壊されたらたまったものじゃないからね」
そう云うのは、隔離するに限るんだ。
イデアの説明を聞いていたジャミルは「研究棟内にいるファントムは大丈夫なんですか」と問うと、軽く「檻はシステムがシャットダウンすると同時に安全装置が起動して閉じ込められているよ」と述べた。ひとまず研究員をはじめ人が襲われるような、外の危険性について危惧考慮する必要はないと、脳のキャパシティを……集中力を冥界下りのみ一点集中させるのだ。
「そもそも……皆が連れられた建物……研究棟は祖父の代に建築された建物なんだ。ぐるりと奈落の穴を囲む形で……全体図はドーナツを想像してもらうと分かり易いかな。奈落の穴を取り囲むような感じで研究施設が作られた」
「百年前と云ったら、妖精との戦争時の頃ですかね」
「そうだね、アズール氏。より詳しく云うなら、夜明けの国に技術提供を行っていた我が組織なんだけど、終戦後、根底から底上げされた技術力を結集して奈落の穴周辺を取り囲むべく建物を作った……と云った方が年代的に正しいかな。昔は、穴周辺は……と云うより嘆きの島全体は霊廟だったんだ」
霊廟。
つまりは、死者の弔い。
冥府の管理者として、亡くなった存在の魂の管理をしていた。
「神話の時代にまで話が遡るけど、僕たちご先祖様はファントムの収容じゃなくて、死者の魂の管理をしていたんだ。疎外……と云うより迫害か……人々から除け者にされた巨人族や幻獣と一緒になって、死者の魂を鎮める仕事をしていた」
初代の日記によれば、辛気臭い仕事で乗り気ではなかったのだが……世界の秩序と述べるべきか、死者が溢れ返らないために世の均衡を保つために真面目に職務を全うしていた。エタヒニンのように扱われることに対して不満や愚痴を抱えながらも、決して疎かにすることの出来ない仕事だと思い、決して手を抜くことはなかったのである。
「本来ならば、ここは死者を弔う霊廟として機能し続ける筈だったんだけど、嘆きの島にいた破壊するものが、神々の住まう天上の浮遊都市アトランティカ大陸を破壊したことで、その役割が死者の魂の管理じゃなく、亡霊の幽閉場所に変わったんだよ」
「アトランティカ大陸には、神々が住んでいたのですか?」
「う……いきなり横から入ってきた……何……あー、はい、そうですジャミル氏……学校では習わない内容だから知らないのも当然か……」
イデアはそう思いながら、チラリと横目でリドルを盗み見る。直接的な勉学に必要のない歴史の話であるが、興味はあるのか大人しく聞いていた。
「生命の死蔵庫、破壊するものがどうしてアトランティカ大陸を粉々に粉砕したのか、明確な理由は分かっていない。でも、推測することは出来る。恐らく破壊するものも、不満だったんじゃないかな……僕たちのご先祖様の職務内容は神々の議会で勝手と承諾なしで決定されたものだけど、ご先祖様は我慢して役割に徹していた。でも、破壊するものはそうじゃなかった。彼女は本来なら、野原で花を摘む美しい女性だったと聞いている。でも、ご先祖様に嫁いでから夫と同じように扱われる。それに我慢ならなかったのかもしれない……」
「嫁いできた花嫁ですか。夫婦仲は悪かったので?」
「いや……そういう話は、聞かないな。むしろ愛し合っていたとも取れる日記内容があったぐらいだよ。我が夫に色目を使う女に嫉妬する……だなんて、惚気た日記の一文もあるぐらいだよ。別に嫌いっていたわけじゃないと思う」
「でもそれなら矛盾が生じないですか、イデア先輩。夫婦仲が良好なら、同じように扱われることに不満を抱いて、鬱憤晴らしのようにアトランティカ大陸を破壊するだなんて……感情は理屈で説明するべきものじゃありませんけど、釈然としないと云うか……俺から見れば、夫が不当に扱われていたことに激怒して大陸を破壊した……そっちの方が納得することができます。仕事が承諾なしに決められ、愛する夫が真面目にやっていたのに蔑ろにされていたんでしょう。怒るのも無理はないかと……」
「……この話は直接本人に聞かないと判然としないどうしようもない話だけど、ジャミル氏の意見も一理あるかもね。そう本当に、話が出来れば、なんだけど」
イデアは含みのある云い方をする。
どういうことかと疑問を口にするよりも、前にイデアは特に感情が感じられない愛想笑いのような乾いた笑みを出す。
「破壊するもの――生命の死蔵庫。嘆きの島に嫁いで来る前は、野原で無邪気に暮らしていた女性。夫婦生活は良好ながらも、夫の仕事を兼任するにあたって適性がなかったと云うべきか……それとも彼女は、身籠った後のマタニティブルー……もしくは、夫の仕事を手伝う……良くない存在の精神的負荷が関与したのかもしれない」
「良くない存在とは?」
「霊魂――人間必ずしも善良な存在じゃないと云うことさ。生まれながらに……原因や理由もなく悪意をもった存在と云うのは、悲しい話ながら一定数いる。ご先祖様はストレス耐性が高く、悪しきものの影響を受けることはなかった。悪影響があったとしても微々たるものだっただろうが、彼女は本来ならば冥府にいるべき存在じゃなかった……適性がなかったがゆえに悪しき魂の影響を受け暴走――オーバーブロットしてしまったのかもしれないね」
神の暴走。
オーバーブロット。
それは歴史上初……破壊するものは、起点にして原因、原始的な存在だとイデアは述べるのであった。
はじまりのファントム。
「春の季節に冥府から里帰りした破壊するものは、往来のオーバーブロットを迎えながら地上に姿を現した。そして、浮遊都市を破壊。粉々になったアトランティカ大陸の大きな礫が大地に降り注ぐ中、その瞬間に完全なブロット化を迎え、ファントム化した生命の死蔵庫の中身が溢れた」
生命の死蔵庫。
善と悪、それぞれの魂を内包していた庫の扉は開かれた。
溢れる魂。
人々を精神的に凌辱する呪いであると同時に、祝福でもあった。
魔法。
生命の死蔵庫の扉が開かれたことによって、魔法が使える人間が出現した。
それが庭師――魔法使いの誕生秘話。
ブロット化すると云う、悪しき魂の大きな欠点をかかえた人種の誕生だった。
「魔法士の一生に関わる大問題……ブロット化による影響は、それこそミントの繁殖のように根深く根付いた問題でもある。祝福が魔法。呪いがブロット化……破壊するものは、神々とご先祖様の手によって冥府に戻すことに成功したけど、もう言葉が……今で云うブロット語を叫びながら冥府で暴れ狂う妻を、ご先祖様は泣く泣く封印したのだと思う。巨人たちに命じて深く大きな穴を掘り、地底に封じる……」
幽閉の門を作って隔離したんだ。
「彼女の暴走が終了した後、霊廟の在り方も変化した。祝福と呪いの禍福を抱えた存在がブロット化していく。そしてファントム化した存在の責任の所在はご先祖様にあるとモノ申した神々は、霊魂ではなく亡霊の管理をするように深く命じた」
ご先祖様は真面目だったからね。
そして事実上の過失が生じたならば――いや、他のものが原始のファントム化を迎え、呪いと祝福を振りまく存在になったとしても、安置所として嘆きの島を候補に出したかもしれない。
「逃れられない責任と云うよりは、背負うべき罪咎。愛するものが起こした問題は、自分の宿命のように取り扱って、神代からこの冥府の中にファントムが隔離されている。無論、神々の時代からブロット化したものを封じ込めて来たんだ。手探りでファントム化した存在を、呪いを解除できないか調べながら……」
ナイトレイブンガレッジにゴーストの存在がいると思うけど、本来ならば冥府の中で過ごさなくてはいけない存在だ。
それだのに当たり前に溢れ返って世界中に存在している理由は、スティークスが……嘆きの島が今それどころではないから。亡霊の問題について着手することを第一にしたからであると、イデアは云う。ゴーストの存在を放置しているわけではないが、重要な問題は未だ解決していない。
「神代……原始のファントム、ですか。それに相次ぐブロット者……それがこの冥府の中にさぞ年季の入った存在がいることでしょう」
「第一層は比較的安全なところだけどね……ファントム化した存在は、その運河の中で回遊魚みたいに泳いだり横たわったり……微睡むようにして過ごしている。……普段は何もせずじっとしてるけど、時折、歌を口ずさんでるみたい」
「歌――ですか」
「確か、『なゆてわひれ さきんわまれこ なら□あよあ□ひつ』――」
「なんですって――!?」
バッと音がしそうなほどの勢いでアズールは、イデアの方に振り向いた。こちらを振り向く急激な動きに、「ヒッ」とイデアは驚く。
「ど――どどどうしたんですか、アズール氏……拙者もしかして何か悪いことでも云った?」
「それはおばあさまが歌っていた……海底二万里……おばあさまがいなくなってしまう前によく口ずさんでいたフレーズなんです……ブロット語ゆえ意味は分かりませんが、頭の中にハッキリと残っている」
そう云いながらアズールは一団から離れ、運河の傍に近寄った。川べりに手をつき、濁った白色の水面を、水中を凝視するとその中を揺蕩うのは黒い影。肉体がドロドロに融解し、粘着性のある液体となった成れの果て……ファントムであった。地蔵のように蹲り、海底の所々で点々と存在している存在を確認していたアズールであるが、「おばあさま」と呟いた直後、大きく水の跳ねる音がする。反射的に見れば、先細りの小川から巨大な運河となった奥の方で巨体を跳ねさせるモノがあった。
一瞬、クジラがフルブリーチを行ったように見えるが、その全身は黒色で、そして何よりもとろけていて、尾のように見えたその部位はよくよく見定めるとタコの吸盤が束ねられていて――。
「……ああ……ああぁ……」
背中が剣山に、かつて雲が突き刺した巨大な剣が深々と貫いている。数多の武器が突き、身体中を裂いている。アズールが行方不明となっていた祖母の成れの果てと思しき存在を目視し、確認しながらぺたりと座り込むのだ。
たまたま似ているだけかもしれない……類似した存在かもしれないと考え、水面から飛び上がったと同時に口ずさんだ際に生じた歌――魔力の波長――は、知っているものであった。幼い頃、印象深く覚えたブロット語の歌と同様に独特な気配を纏っていたその魔力は、アズールの見知ったものであったのだ。
『なまもそ、なまも。ひれ□ひも――アズール』
どこまでも優しい、聞き慣れた声。
それが決定打となった。
背中の剣山が着水した直後、アズールは冥界下りの道程に入ってから徐々に精神をゴリゴリと粗削りにしていく摩耗……それと、自身の祖母の成れの果てを目視し、正体を確信してしまったことにより、完全に膝をついた。立ち上がろうと意識と精神を振るいたてようとするも、どうしても立ち上がることができない。かつてオーバーブロットした際と比較して、小さな負荷であるが、重たいことには変わりないのだ。
「イデア先輩……」
ジャミルはアズールに寄り添いながら、絶望に屈しかけているその様子を見、冷静に分析する。
「恐らく、アズールはもう立てないかと。リタイアです」
「無理もないぜ」レオナは同情したように云う。「名を呼ばれてはな……」
残酷な現実を突きつけられた。
想定された仮定が、真実を伴った現実となる。
皆が重苦しい空気の中、どう声をかけたものかと思案巡る中、ジャミルは「俺はここに残ります」と云うのであった。
「さすがにこのまま放置することはできません。危険性の少ないファントムがいるとしても、ファントムはファントムですから。誰かが安全に地上に戻す必要があるかと」
「ジャミル氏、お願いしていい?」
「構いませんよ、イデア先輩。それに自分の都合もありますから……口にも態度にも出していませんでしたけど、どうやら自分は引っ張れ易い体質なのか、この場は合いません。イデア先輩とアズールの二人の会話に混ざることで、どうにか悪影響を誤魔化していたんですが、もうこれ以上精神衛生上、冥府の深入りは避けるべきだと判断しました」
にわかに冷や汗をかいている。
その焦燥は……精神的な悪影響は、皆が感じ取っているものと同等の――地底から俄かに滲み出る狂気の汚染であった。
ジャミルは精神脆弱ではないが、その代わりに屈強でもない。普通の人間なのである。
二名のリタイア、戦線離脱。
この戦力低下は想像よりも重大だろうとレオナは思いながらも、無理に二人を連行するような真似はしなかった。正味、彼自身も――いや、この場にいる全員、程度の差こそあれ、ただその場にいるだけで精神的な負荷が常にかけられているのである。
いざと云うときは、大声をだして研究員に助けを。
イデアは二人にそう云い残し、一層の最奥、二層へ向かうエレベーターの前に来た。通常ならばケルベロスシステムの有無に関係なく、カードキーがなければ常時閉じられた扉であるが、一度開いた扉は軽く近寄っただけで熱源反応を察知して開いた。
見れば、下層へ下るエレベーターのスイッチに蜘蛛の糸が張り付いている。風がないので揺れることはないが、朝露を含んだ蛛糸のように、魔力を有したその糸はわずかに光り輝いてみせるのだ。
冥府の入口のドアを一番最初に明けた子犬ほどの大きさをした蜘蛛が、ここを通過した。
イデアはゴクリと生唾を呑み込みながら、白い電球が照らす個室の中に足を踏み入れるのであった。
この先、赴くのはトラウマの現場。
オルトが大怪我を負った、トラウマへの降下であるのだ。




