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破壊するもの-9

「――――」


足元を照らす非常用電灯、薄暗いラボ内に残されたイデアは「は……ひ……」と過呼吸の兆候を示し出した咽喉に触れながら、その場で蹲っていた。


すでに緊急警報は止まり、赤く点滅する天井からのけたたましくも騒がしい光はない。ケルベロスシステムが最低限の仕事さえできない、必要最低限の機能さえ働いていない。どうやら相当な破損具合を迎えていると捉えた方が良さそうだ。


「――ると……おると、ぼくのおとうと、は……」


無事なのか……と意識が奪取され、苦く苦しく辛い記憶がフラッシュバックしていく。壁に備え付けられた子機はイデアの手から離れ、仄暗い空間の中、振り子のように左右に動き続けるのであった。


「おると……おると……無事でいて……」


酸素が上手く回らない息苦しい中、懇願するような声を出す。肉体的にも精神的な負荷がトラウマを想起し過呼吸という形で表れているが、このまま極度のストレス状態に晒され続けば不可逆性の効果を持つ魔法士の病、オーバーブロット……ゆるやかに進行していく堕落の一途をたどることだろう。ナイトレイブンガレッジ内で連続し頻出した人為的かつ急速なソレとは異なり、往来の病の進行を迎えるのである。


いかにシュラウド家が、太古の昔からオーバーブロットの研究を行いその耐性を会得していたとしても、魔法士である前提……破壊するものの因子を受け継いだ魔法士である以上、理論上、最低にして最悪の事態は避けられない。特にイデアはナイトレイブンカレッジの入学が決まった生徒の一人。学園長の言葉を借りるなら、まじないによる処置や矯正がなければ、ほぼ高確率で……それは何年後か分からない……オーバーブロットを迎える素体の一人であったのだ。


今は藁にも縋る思いで、完全な堕落……闇に呑まれ落ちそうな精神を一本の蜘蛛の糸に縋ることによって保たれているが、少しでも重し……悪い知らせを聞けば、プツリと音を立てて落ちてしまいそうなほど危うい状態だった。


瀬戸際。


それに崖っぷち。


このままでは病を発症してしまうのではないかと危惧したところ、研究室ラボの扉が開く音がする。そこにはオルトの要請を受けて、近道を使って速足で訪れた連行者たち。先人を切るのは、ヴィルであった。


「イデア――ちょっとあんた、どうしたと云うのよ!」


腰が抜けへたり込むと云うよりも、肉体を丸め床に蹲っている。痩せぎすの身体は這いつくばり、喘息のような咳を……水に溺れもがくように、酸素が欠如している。


ヴィルはオルトから渡されたラボ用のカードキーを落としながら駆け寄るのだ。


「しっかりしなさい! スティークス代表はあんたなんでしょう! 今この施設は危機的な状況で――あんたがしっかりしていないと――封じていたものが出てくるって、オルトが……!」


「おると……おるとの目が……片目だけしか……両目は揃えられなかった……食われた……あいつらに……ぼくは、ぼくは……」


「オルトは無事よ、あなたが治したんじゃない……」


ヴィルはイデアの背中を優しくさすった。寄り添うような形で優しく労わると同時に、勘付く。ヴィルがわずかに震え出すイデアの背中に触れた途端、かつて自分が経験した獣性をあらわにした堕落の気配を……醜悪さの影を感じ取った。


このままでは……。


ヴィルはイデアがそう時間を待たずともオーバーブロットしてしまう事実を誰よりも一早く察知しながら、焦りを抱く。学園内で起きた一連の事件のように急速に症状が悪化することは決してないが、進行を留めるだけしか出来ない治癒不可能な病が始まった時点で、おしまいなのだ。


ヴィルはやや強引に、イデアの両肩を掴んで立ち上がらせようとした。そして両肩をしっかり掴んだまま目をしっかり見ようと、上半身だけでも起き上がらせようとした瞬間――。


「え」


突如、心神喪失状態となったイデアの胸倉を掴み、もう片方の残された利き手は握り拳を作って、思いっきりその頬を殴りつけたのであった。


「ヴィルサン!?」部屋の入口付近で立っていたエペルは驚いたように叫ぶ。「なんで殴ったんですか?」


「いや、いや……違うのよ。身体が操られたように勝手に動いて……」


同じ寮の後輩に、信じられないものでも見るような目で見られている。


ヴィルは事実上、精神的に弱った者に暴力を振るった事実を、その現場をナマで目撃されたことに動揺が隠せなかった。


陰湿を越えた別の、醜い所業を行った何かじゃない……。


ヴィルは内心呟いた直後、大きくハッと息を呑む声が聞こえる。乱れた呼吸の兆しは鳴りを潜め、何者かに操られたと主張する暴力の行使がきつけとなったのか、イデアの意識が正気へと覚醒するのだ。決死の思いで地獄の底に落ちまいと抵抗していた、非常に脆く危うい精神状態の拮抗……正気への覚醒を認めた瞬間、イデアが全身全霊で縋り付いていた蜘蛛の糸は生餌に食らいついた魚を釣り上げるかの如く、迅速に引き上げられた。闇に呑まれはじめたその意識を蛛糸が即座に引っ張り上げたのだ。


「ヴィル氏……」


「い、イデア――これは勝手に身体が動いて……結果的に意識が戻ってきて良かったのだけれど、本当は殴るつもりなんかなかったのよ」


ごめんなさい……。


ヴィルが小声で謝罪した直後、自分の腕に違和感を覚える。イデアを殴りつけた利き手全体に触れてみれば、何か……ねっとりと……付着している物がある。足元の覚束ない照明の中、目を凝らしてみると利き腕にある違和感の正体を確認するために触れた手の平にあるのは、魔法製の……。


「蜘蛛の糸……」


なんで……どうして……。


ヴィルはナイトレイブンカレッジで、オーバーブロットする前後の記憶を思い出す。ブロット化するその瞬間の記憶は完璧で瑕瑾ないものではなく、所々虫食いのように欠けているところがあるが、自分の手の平が絡めとったこの蜘蛛の糸……僅かに残った魔力の残滓と嫌な気配は、覚えがあるゆえ血の気がひくように青ざめた。


往来のブロット化とは異なる、急速な病の進行。


人為的な操作。


ぞっとしていると、いつの間に侵入したのか……ラボ内の片隅に隠れていた黒い蜘蛛が飛び出し、物陰からエペルのいる足元まで一気に跳躍する。子犬ほどの大きさをしたその昆虫はエペルの足元を走り抜け、廊下の奥を突き進んだ。その際、レオナの唸り声が聞こえるも大蜘蛛を捕らえることは出来なかった。


「今のは……え、なんで……死んだんじゃないの? 使い魔とは云えども、その飼い主が死ねば普通は……こんな事例あり得る筈が……同士同胞、模倣者がいるの……?」


イデアは学園長から耳にした情報を参考にしながら、ブツブツと呟く。そして前提の情報が崩れるではないかと……この貴重な、正体目撃の瞬間は立て続けに引き起る、人為的なオーバーブロット解決の糸口になるのではないかと、イデアは思った。


「またブツブツ戯言を云って……不本意だけど、もう一発……ビンタした方がいいのかしら?」


武力行使は効果を示した。


ヴィルから見れば、戯言を呟き続けるイデアはまだ心が乱れた状態ではないかと思い、手を構えた直後、衣服の衣擦れ音で暴力的な気配を察知したイデアは慌てたように飛びのく。


「ちょ――とちょちょちょちょっと待って、ヴィル氏! 拙者を殴ったところで何も――」


「……。私を心の底から心配をさせた、罰によるビンタ」


「ぎゃあ!」


先程、胸倉を掴み拳を作りきつけの為だけに無感情に殴打するのではない……痛みがありながらもどこか人情と温かみのあるビンタ。イデアの頬の軽く紅葉の跡が出来るほど威力のあるものだが、多少手加減された一撃である。


「ええ……ヴィル氏、理不尽な理由で拙者を叩いてはござらんか……ちょっと暴力はよくないと思います。もしかして話し合いは野蛮だと思っている人種だったりしますか?」


それならご遠慮願いたいので、距離を取っていただきますが。


イデアはそう云いながら壁際によると、ヴィルにラボのカードキーを渡したオルトが「無事だったんだね、兄さん!」と安堵した声を出す。


「良かった。心配だったよ。兄さんにはトラウマがあるから。どうなっているか不安だったんだ」


「オルト!」イデアは五体満足の実弟を涙目ながらに見詰める。「そっちこそ無事で……僕はまた、あんなことが遭ったらと思うと」


「僕は大丈夫さ。兄さんが作ってくれたこのボディは、日夜かかさずアップデートしてくれているからね」


オルトは自身のことよりも実兄のことを誇らしく思いながら、えへんと胸を張る。その様子を横目で見ていたリドルは、オルトが現れていた時から疑問に思いながらも、問えなかったことを口に出すのであった。


「オルトくんはイデア先輩の……云い方が悪いですけど……機械部分は作品。ケルベロスシステムとほぼ同時期に作られたのだと思いますけど、スティークス本部の大半がシステムダウンしているのに、どうして稼働しているのですか?」


「リドル氏……」


「すみません! 無神経ですが、気になってて……」


「僕はそこまで気にしてないからいいよ、兄さん。リドル・ローズハートさん、あのね……僕の身体が動けて意思疎通可能なのは、スティークスのシステムとは別個の独立した存在なんだ」


「独立……?」


「オルトは、スティークスのシステムや僕の作った最新技術のケルベロスシステムに一方的にアクセスできる優位性を持っているけど、それとはまた別の個別の存在なんだ。滅茶苦茶簡単に云うとスティークスそのもののシステムに繋がりを持たないが、オルトの自由意思で機械類を操作できる上位存在なわけ……」


家族なんだもの。


それこそ、地獄の猟犬のように繋げておきたいわけじゃない。


イデアの最後の一声を聞いたリドルは、「なるほど」と頷きながらも魔導工学に対してはさほど詳しくはない。ナイトレイブンガレッジで定期的に行われる小テストなどで、問題用紙に答案を記載すべく一般的な情報は頭の中に入っていたが、専門性及び一家言あるわけではないのだ。要は成績優秀なだけ。専門家に劣るのは当たり前であろう。


「再会の喜び、無事を祝福しているところ悪いが……」


レオナは気まずさを覚えながらも、口を挟む。リドルが声をかけた様子と反応を見計らって、口を出しても大丈夫と判断して話の進行をとるのだ。


「学園長と監督生、そしてあの猫はどうした? この場にいないようだが……」


「システムダウンする前、僕はグリムさんと一緒にいたんだけど待機してもらっているよ」


グリムと同じくC棟で精密検査を行い、結果報告を行ったオルトは答える。そして次に、待機していた皆と同じく、マジカルアンチが施された安全なところにいると詳細なことを告げるのである。


「グリムさん、監督生さん、学園長さんの三名は安全なところで待機するようにお願いしているよ」


グリムの周囲には取り残された研究員がなんとか宥め――。


監督生と学園長の二人は、イデアが理事長について質問した部屋に立て籠もっている。


「今のところ、二人と一匹は無事だよ。まだオーバーブロットした移送個体が研究員を襲った報告も本部からないし、破壊するものも地上に姿を現していない」


「本部からの連絡って、システムは……ああ、いや……オルトはスティークスとは繋がりを持っていないんだった」


ジャミルは整理された情報を頭に入れながら云う。詳しいことを訊けば、本部からの情報は非常に古典的な手段――トランシーバーなどの機械類を用いて、どうにかこうにかやりくりし統制を図っているらしかった。


この辺りの工夫は、妖精との戦争時、兵器の提供をしていた過去の実績と、ケルベロスシステムが出来る前の技巧が光る。特に後半は不足と認識の甘さによる苦いヒヤリハットが活かされていた。尤も……本当に対応と反省が活かされているのなら、システムダウンするだなんてそんな非常事態を絶対に引き起こさないことにあるのだが……。


「兄さん、スティークスのシステム復旧まで、最悪最低最短でも十日以上かかると想定されている。より正確に述べれば、十二日目の十六時間三十二分。端的に述べてケルベロスシステムが復旧するまで待てない。兄さんが直接、奈落の門を閉じないといけないんだ」


冥界下りの準備を。


イデアはその言葉を耳にした途端、目をキョロキョロと彷徨わせる。迅速な対応を――今はスティークス施設内に……この嘆きの島に両親が不在で代理所長として存在している以上、速やかな対応が求められている。彼はそのことが理性と理屈で理解し分かっていながらも、僅かな抵抗を示した。


「父さんと母さんは? 僕は代表といっても、両親不在時の代理なんだ。ただの臨時。今はお飾りの長でしかない。オルト、両親に連絡をして――」


「おじいちゃんが亡くなった時にゲートキーパーの役割を渡されたのは、兄さんだ。不在がちな両親に変わって、鍵を持たされた。それに二人がここに帰還するのは、二十日目の予定。一応連絡は回したけど、二人の答えは同じだった。兄さんが『直接ゲートを閉じること』。その為に冥界下りについて認知しているよ」


早く行こう。


何もかも手遅れになる前に。


オルトはそう云いながら、強引にイデアの手を引っ張った。そして、冥界の門へ至る地上の出入り口、システムダウンの一環で閉ざされたドアに皆が走り寄ると、丁度その操作ボタンに蜘蛛が跳び付いていた。抱き着くような形でボタンに蜘蛛が覆いかぶさったかと思うと、電源不足により閉ざされたドアは音もなく開く。そして大蜘蛛は先人を切るようにドアの向こうへ、真っ先に冥界下りを始めたのであった。


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