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破壊するもの-6

理事長とは誰なのか。


そう強く問われた私、ディア・クロウリーは、その人物の特徴と顛末を語らぬばなるまい。


過去として思い出し、一番最初に思い出した過去の記憶……それは……。


「蜘蛛だからコーヒーは、飲めない。酔う」


そう云ってテーブルから茶器を遠ざけた理事長は、私の存在にはじめて気付いたように顔を上げ、角砂糖を口に運びながらこう呼ぶのだ。


「やあ、マイディア」


親しい友と……。


私はその存在の『性別さえ知っていない』のに、やたら親しく……。私も理事長に対して旧知以上の感情を抱いているが、その朋友に対する感情の傾きはどうやらあちらの方が強いようであった。


私は理事長に向けて、「夜明けの国に出張していたのではなかったのですか?」と問い、コーヒーの代わりに紅茶を入れ、ティーカップを提供した。理事長は甘い飴でも舐めるように角砂糖をコロコロと口の中で転がしながら、琥珀色の液体の入った茶器を眺めるのだ。


「夜明けの国の出張……確かに行ったよ。今、帰ってきたところ。銀の梟の異名を持つ国王と会い、古巣たるこの施設に帰還したところさ。ほっと一息つこうとしたところに、マイディアが現れたんだよ」


即死の魔弾利用。


理事長はそう云いながら、「即死の魔法」を弾丸にコーティングしたリボルバーを取り出す。


拳銃……その人殺しの道具は射撃の熟練さこそ関係しているものの、頭部や心臓といった人体の急所を打ち抜けば、死に至る。しかし、即死魔法を弾丸に掛けられたその魔弾は、肉体の一部を掠める擦過傷でも死に至るのだ。死そのものが付与されているため、掠っただけでも死亡してしまう。ただでさえ危険な道具だと云うのに、その拳銃の危険性は断トツで跳ね上がっていた。


短縮魔法。


死の再現。


即死の魔弾のからくりは、実のところ非常に簡単な理屈で出来ている。


今は人間と妖精の戦時中であるがゆえ、生命が息絶える場面なんぞその場に赴けばいくらでも人殺しの現場を生で目撃することが出来る。その死の情報を認知した理事長は、死の結末を短縮魔法に利用して、拳銃へ魔改造を行ったのだ。


「嘆きの島の番人は、夜明けの国へその独自の技術力を兵器利用へ転換している。何と云ったかな……ガトリング? 高速で弾丸を打ち出す殺戮兵器に、このリボルバーと同じように弾丸に死の魔法を付与するよう助言したのだけれど、拒否されてしまったよ。『それはやり過ぎだ、戯け』とね……自分は国王に批難されてしまった」


「戦争にもルールはありますからね。あまりにも行き過ぎた殺戮兵器は戦後、その存在を持て余してしまう。悩みの種となるでしょう。死の魔弾が禁忌と思われたからこそ、そうおっしゃられたのだと思いますよ。実際、私個人としては理事長の持つリボルバーの存在を破壊しておきたいですねえ」


「事後持て余す、か……まあ今回の妖精の丘に対する人類の侵略は、あくまで『開拓』が目的だ。大洞への対処が理由だと表面上述べているが、実際のところ、かつて人魚が住まう海底を……未知を既知へと切り開いたように、過去の歴史を繰り返しているだけに過ぎない。その対象こそ異なれど、今の戦禍は過去の再現」


人間と人魚が和解したように、いずれ妖精と和解の時期へと突入するだろう。


人間側が勝利することを信じて疑わない理事長は、平和の契りを結ぶのは時間の問題だと紅茶の香りを楽しみながらそう述べるのだ。その明るい未来を信じて疑わない曇りなき眼をしていると云うのに、死の魔弾、ガトリングへの助言たる仄暗さ……目的は清涼としたものだがその悪辣さは、非常に度し難いほどであった。


理事長は私のことを最も親しい友であると――マイディア――と呼んでくれる。私の方もそんな理事長に対して、友愛の感情はなくはなかったのだが、手段の悪辣さについては常日頃から苦言を呈したい気持ちを重く深く抱いていたのであった。仲が割れてしまうかもしれないが、いつかは糾弾せぬばならぬ日がくるだろうなと確信していたのである。


「妖精の丘の開拓は夜明けの国に一任することにして、仕事の方に帰ってきたのだけれど……」


理事長はそう云いながら、自分の分身にして使い魔である蜘蛛を放つ。その黒い蜘蛛は人間の身の丈ほどの大きさから豆粒以下ものなど、そのサイズは任意に可変であった。


その蜘蛛の運用は主に見張りや情報収集に使用され、世界中を見張るネットワークとして機能している。理事長はこの施設内だけではなく、世界中に幾多の耳と目を張り巡らしているのだが、使い魔を通して伝わってくるその情報量は桁違いだろう。脳の情報処理、演算力が高いのか……それとも単純に精神が常人のソレではないのか定かではないが、気疲れするような様子は一切ない。理事長は別に気丈に振る舞っている……などと云った健気さを発揮しているのではなかった。本当に平気の平左なんだろう。


――既に狂気の兆しを内包したものは、そう簡単に狂うことはない。


アマルガム。


良質ではなく、異質な魔法石。


それを……杖をはじめとした代替品に設置することなく、自ら魂に埋め込んだ異常者。


通常魔法士は魔法を放つ際、杖を振る等といったワンクッションを挟まなくてはいけない。しかし、魔法石を魂に埋め込むことで本人はノーモーションたる予備動作一切なしで操作魔法が放てるその効率の良さを、鼻高々かつ誇らしげに自慢していた。しかし私はその件について知らされた時、最初に思ったのは理事長の精神構造のいびつさについて、嫌悪の感情が湧き出た。


そして、思う。


この目の前の人間は、ご母堂の腹の中の時から、すでに狂気に堕ちていたのではないかと思うのであった。


「マイディア、君の極めに極めた召喚魔法のお陰で未来人の知恵者を呼ぶことに成功したわけだけど、ワイルドハントの様子はどうだい?」


「異世界の住民の招聘の件ですね。断っておきますが、私が呼んだのは異なる世界の未来人とは云っても、どこにでもいる大勢の無辜の一般庶民です。知恵者……と云うのは、あまりにも頭脳面、価値観……あらゆる面、角度から見ても平凡過ぎます」


私はそう云いながら未来人から預かった、とある器具をテーブルの上に置く。


それはゴーストカメラの原型となった素体。異なる技術、魔法や異能を一切介さない単純な技術力で造られた叡知の結晶であった。


……たしかあの未来人は、VRスマホだとか述べていたか。


「かの未来人は一般庶民ですが、その持ち物は凄い。これは往来の電話のように通話することが可能なだけではなく、空間を切り取り保存することができる」


本来、風景等といったものは絵画で、絵筆を用いてその様子を保存するのが一般的だ。それなのにこの未来の器具を使えば、安易かつ簡単に風景を閉じ込めることができる。未来人は「カメラ撮影を用いた動画撮影」と述べていたが……。


「未来人は動画と述べていましたが、切り取った空間を好きな時に見れるだけではなく、立体的な映像にすることもできる」


「そら恐ろしいことはその器具はマドルさえ支払えば、誰でも入手できる点だね。未来人のいた世界では所持していない人の方が少数と来たものだ。この高度な技術が当たり前の如く、普及している。舌を巻くよ」


どういう仕組みと構造で、空間を切り取り保存し、立体的に見ることが可能なのか。


それはまだ召喚で招聘した未来人の口から聞いてはいない。


「基底世界を祖とし、幾多の可能性に枝分かれした並行世界。異世界とはあり得たかもしれない未来の可能性。いずれも異なる世界のそれぞれが同じ時間にスタートダッシュしたと云うのに人類の選択によって、こうも技術の進歩が異なるとは……他の並行世界と比較して、天文学者によりツイステッドワンダーランドと名付けられたこの世界は、最後尾といって良いほど時代の進歩が出遅れている」


神代の時代に、魔法の因子は撒かれた。


破壊するものの因子を受けた我ら魔法士の存在。


そして、魔法使いがどうしても切り離すことのできない大きな問題。魔法士にとって一生物の問題と云えるそれは、オーバーブロットのそれに限る。獣性をあらわにするその衝動は、必ず訪れる魔法士の死と同義だった。


命尽きる時、魔法使いはブロット化する。


百年前……その当時、それが定説だったのだ。


もっと云えば、ブロット化せず人間として寿命を全うした魔法士は存在していなかったのである。


だから……。


「この施設は自分ら学徒と、教材のブロット者がいる。魔法でオーバーブロットの究明を行おうにしても、大海原に水滴を一滴零すような乏しい反応しか返ってこない。嘆きの島の番人と同じく、魔法が一切ない、純粋なる技術力によるアプローチが必要なのだろう」


「だから、私と理事長は話し合って、異世界の未来人を呼んだと云うわけなのですが……」


「……単なる市民、一般人とは云えども、その所持品は当たりじゃないか。マイディア、ワイルドハントはこの器具について何か情報を漏らしたかい?」


「本人はどう云う仕組みで動画撮影が出来、映像を立体的に再生可能なのか不明だと述べています」


「それは本当だろうか? 自分らは警戒され情報が隠されているような気がする」


「さあ、それはどうでしょうね」


私は唸るような声を出しながら、異世界の未来人に宣言したことを思い出すのだ。


――あなたは、この世界では未来人に相当する、とても価値のある存在です。


――我々の時代において数世紀先を行く存在であるあなたは、ただいるだけで周囲にどのような影響を与えるのか分かりません。その現象は、時間の揺らぎと呼ばれる現象です。


――来るべき明日と云うのは、常に未確定なもの。未知であることが自然な形なのです。もしも先ある時間を歪めようものなら、どのような代償を支払わなくてはならないのか分かりません。


――あなたの存在は私と理事長しか知らない極秘です。ですから……申し訳ありませんが、この施設にある教材と同じく、その部屋で待機することを願います。


そう云いながら、教材たちと同じく下の小さな窓から食事を配膳する強固性のある室内に入室させた。簡単に云えば、素体の隔離室に入室させたのである。私と理事長は交代交代の当番制で食事の提供をしているが、警戒か……それとも恐怖か……非常に口数は少なく、心の壁も硬いものであった。


「自分らの世界は、破壊するものの因子の影響を色濃く受けた存在、魔法使いの影響――オーバーブロットなる悪影響で、常に後退しているようだ。一歩進んだかと思えば、三歩下がる。せめて魔法使いがブロット化せず一生を終える実例がない限り、数多の並行世界の中で出遅れた存在であることを覆すことができない。中世の暗黒期は早々に終えたいものだね」


少し横隣りの枝分かれした世界が、すでにもう数百年先をいっている。


全ての並行世界、時代の練度たるスタートダッシュは同じだったのに、二周三周遅れているのだ。せめて横並びとはいかずとも、可能な限り歩を進め、世界そのものを進歩させた存在にしたいと思うのは、とても自然な考えだろう。


「破壊するものの因子、足枷による時代遅れ……それを取っ払うには、やはり嘆きの島の番人が持つ、魔法の力を有さない技術力が万遍なく、このツイステッドワンダーランドに普及することが第一だと自分はそう思う。世界各地で大洞を作り続けている妖精種への問題もそうだが、やはり第一の問題は技術力の底上げと普及だ」


「技術力の普及、ですか……」


その時私は口にこそ出さなかったものの、だから理事長は夜明けの国に妖精との戦争を行うように嗾けたのかと、感情もなく思ったのであった。


「異世界の未来人……時の揺らぎの影響を考えると出来るだけ迅速に情報を絞り出したいものだ。何とかならないのかね……」


「あの子は犬の遠吠えをとても恐れていましたね」


「それはもう過去の話だろう。あれはもう既に処理済みじゃないか……いや、待てよ。あの不出来な存在……もしも利用価値があるのならば、あのコピーキャットに存在意義を与えるのならば、ワイルドハントに明け渡すにも手段のひとつか」


幸い、猫好きのようだしね。


「コピーキャット……おや、理事長……ハーツラビュル寮で起きたことを知っておいでなのですか?」


舌打ちしたかった。


内心、悪態をつきながらも、そもそも隠し通せることは非常に難しいと深く実感したのである。ハートの女王に隠し通すよう強く云いつけていたが、いつの間に露見していたのか……恐らくはあの、世界中を見張る使い魔、蜘蛛のネットワークから逃れることは出来なかったのだろう。


「うん、そうだよ。ブロット化した者同士による、極めて珍しい生命体だ。意義もなく価値もない存在だが、通称がないのは不便だからね。仮名として、コピーキャットと呼んでいるよ」


異世界の未来人――ワイルドハントと同じように、独自の呼び名をね。


理事長はそう云って背伸びする。私は不機嫌と苛立ちを巧妙に隠しながら、室内に飾られた鳩時計をチラ見して、「抜き打ちです」と云って立ち上がった。


「そろそろ、授業の時間が始まります。理事長、いきましょう」


「おや? もうそんな時間か。自分としてはひと眠りしておきたいところだがね……」


理事長はそう云いながらも、ゆっくりとした動作であったが私と同様に立ち上がり、憩いの場たるドアを開けて、施設内の建物を進むのだ。


我々は、学徒の一員。


今のナイトレイブンガレッジと呼ばれる学園では、私は学園長として存在しており、教鞭を取る教師がいる、一般的な学校の姿を見せていたが、百年前の姿は異なる。


私達が、学徒。


その言葉の意味する真意は、生徒がモルモットで、教員が研究者といった分かり易い言葉を用いればその言葉の意味を理解することができよう。


そして、私達の存在は一般的にブロット者を相手にする、『獣使い』と呼ばれていた……。


私と理事長は、教室ではなく病床といって差し支えない空間に入りながら、拘束具のつきのベルトで拘束された横たわる素体……狂気と正気の間を何度も行き来してはもがき苦しむ魔法使いの、か細い懇願の声を耳にするのだ。


「ゆるして」


「もうしません……もうしませんから……」


「ごめんなさい、ごめんなさい」


「どちゃり……ぐちゃり、ぴちゃり……ふふふふふ……うふふふ。チクタク、チクタク……」


肉体を縛り付ける皮のベルトをギシギシと動かす、身動ぎ。


常に上半身を上下させながら、何者かに謝る素体。


金切り声のような笑い声。


ここにいる全ての素体は、ゆるやかにオーバーブロットしていく群れの集まりであった。その教材は極限のストレスと恐慌状態の中、臥所の上でもんどりうっているのである。


末期状態……本来オーバーブロットは長い時間をかけてゆっくりと浸食していくものであるが、完全に堕落した状態になれば、刑吏がその始末をつける手順となっている。戦時中でなければ、嘆きの島の番人に秘密裏に移送するのが正式な手順であるが、高度な科学技術力を持つ彼らは妖精との戦争で、この施設から送られるブロット者を預かるような猶予と余裕はなかった。


それゆえ、今は独自に施設内で処分をしているのであるが、この病床にいる……末期状態を迎えようとする素体は、あとひと月もすれば刑吏が大鎌を振るうことだろう。


悲しい現実を目の当たりにしながら、私もやがて素体の群れの一員になるのだろうかと思い、その病床の奥にあるドアを開く。狭い室内だがその部屋には、電気椅子に座った素体の一人がいたのだ。


「ブロット化の深度は非常に軽微のようだね……」


理事長は非常に興味深そうな目で、椅子に縛り付けられた素体を眺める。電気椅子に縛られた名無しのモルモットは、理事長の声に反応してビクリと身体を跳ねさせた。精神はブロット化により汚染されているものの、まだ狂気に呑まれず正気を保っている。精神的な障りはあるが、まだ一般人の範疇に収まる個体であった。


これから長い時間をかけて暗い感情に徐々に犯されていき、やがては獣性をあらわにした黒真泥の存在になるのだろうかと思っていると、理事長は魂を燃費にして時間進行の魔法をその素体に向かって使いだした。理事長は私と同じく極致の果てに到達した、魔法使い。操作系の魔法を操りながら、電気椅子に腰かけた名無しのモルモットを救いようのない犠牲者にするのである。


「第一段階」


理事長が操作魔法を使用しながらそう云うと、ブロット化の深度は非常に軽微だった実験体はもがき苦しむように暴れ出した。幸い、椅子に縛り付けられているがゆえ、その暴走状態の暴力に巻き込まれることはなかったが、体内に得体の知れない生物が腹を食い破って出産するかのようなもがき苦しむ様子と、聞くに堪えない絶叫に私は思わず顔を逸らしたのであった。


「理事長、これは……」


「段階別によるブロット化の影響の視察だよ」


オーバーブロットは本来、緩やかに浸食していくもの。


だけど急速に精神的なストレス負荷をかけて、人為的なオーバーブロット状態に陥ればどうなるか。


今日の講義はソレである――と、罪悪感を一切抱かない口調で述べるのであった。


私はその理事長の合理性と探求心の権化といって差し支えない、手段を択ばない露悪的なやり方を憎悪するのだ。


そうじゃないだろう、私たち学徒の目的は。


完全にブロット化へ堕ちたものを、人間に戻すことが目標ではないのか――!


「第二段階」


えづく声が聞こえる。


私はそのしわぶきの音にハッとしたように素体を見ると、歯を食いしばったその口元から非常に粘り気と濃度の高い粘膜が滴る。魔法士が魔法を使う際、己の魂を燃料にして魔法を顕現させている。第二段階……人為的かつ強引にブロット化の深度の上げられたその個体は、液状化し汚染された魔力を人外へ排出して、どうにか正気を保とうとしているのであろう。


どちゃり。ぐちゃり。ぴちゃり。


口の端からあふれ出す魂の液状化、魔力のエーテルは顎を伝って胸元に広がり、やがて床下に落ちる。足をバタバタと動かし苦悶する、素体の脚部を黒く汚すのであった。


「なるほど、この深度……第二段階になると、黒い液体を零すようになるのか……第一段階から小康状態になる者は何度も確認されているが、果たしてこの状態から元に戻ることはできるかな?」


理事長はそう云いながら、オーバーブロットによる深度の状態を第一段階へと下げる。その時間の後退は、私が百年間の呪い……ナイトレイブンガレッジにおいて教科書や筆記テストに仕掛けたまじないとして、今は利用されている。生徒たちの精神状態を非常に安定したものへと強固にすべく、参考にしたものであった。


理事長は時間遡行の魔法を使用すると、その素体は大きくガックリとうなだれた。まるで肉体に流された電流が止まったかのような、苦痛の解放……一時的ながらも、安息の時間が訪れたのである。しかし、気休めであることには変わりない。


「ほう……人為的な時間の進行……短縮魔法を用いたブロット化の影響であれば、安静化するのか。この情報は非常に有益だね。探求すれば、魔法士はブロット化の兆候を一切来たさず、人としての一生を迎えることが出来るかもしれない」


それじゃ、末期状態――最終段階に行こうか。


理事長が魔法を行使する刹那、私は口を開いた。素体から見れば、待ったをかけた状態。ギロチンの刃を下すために、その縄を切ろうと刃物を振りかざす執行者の動きを止めたのである。


「理事長、私にひとつ疑問があるのですが……なぜ魔法で、短縮魔法で人的にオーバーブロットすることが可能なのですか?」


「話は単純明快だよ、マイディア」


理事長はそう云いながら懐にしまっていた、リボルバーを取り出す。死の魔法が付与された即死の弾丸がセットされたその危険物を渡されながら、私は説明を待つのであった。


「自分はこれまでこの施設で幾度となく刑吏に処理された、末期状態の獣を見てきた。完全かつ決定的に堕落するブロット化の瞬間をね」


ご存じの通り、短縮魔法は手段や時間省略。


結末にしてまつごを知っているだけで、事象を再現できる。誰にでも習得可能な気安い魔法。


使い方によっては、とても最悪な魔法の一種。


死の弾丸。


人体の急所を狙わずとも掠りさえすれば死に至るのと同じように、理事長は見たのだろう。人が死ぬ瞬間を目撃したように、完全にオーバーブロットしたその瞬間を見たのであろう。


だから――人為的な堕落が可能なのだ。


「自分の極致に至った操作魔法と、時間進行。それら両方の重ね合わせた合わせ技で人為的に第一段階から第二、そして第三たる末期状態へとブロット化の深度を思うままに操ることが出来る」


これから先――進め、戻し、進め、戻し、進み、戻す。


第一段階、第二段階、末期状態。


本来ならば、ゆるやかな速度で進行するオーバーブロット。


その浸食の状態は、誰にも阻めることも留めることも出来ず、ただその経過を観察するしかなかった。


「自分のこの操作魔法で第一から末期状態のブロット化状態を維持し観察し続けば、破壊するものの因子を受けた魔法使いは、完全に誰一人として堕落することなくその一生を終えることが出来る未来がくるかもしれない。段階別の視察観察さえできていなかったからね。深度状態を維持できれば、何か分かることがあるかもしれない」


私は――。


拳銃を深く握りしめた。


「今はまだ始めたての試運転状態で加減が覚束ないが、自分の最終目標はここにいる素体全てが完全なオーバーブロット化を迎えてもなお、その状態を健康体に戻すことが目標だ」


「……ここにいる全て、ですか」


「そうとも。そしてこれから先、運ばれる全ての個体にも、だ。仮説だが――オーバーブロットの原因がストレス、極限状態に陥った精神状態が理由であれば一度その閾値と臨界点を越える必要がある。一度は人から獣へ堕とし、元の健康状態へ引き戻すことが出来れば、魔法使いは人としての一生を迎えることが出来るんじゃないかと考察している」


「理事長、あなたはその為に何をするおつもりですか?」


「ここにいる全ての素体を意図的にブロット化させ、これからくる個体にも同様の実験を行う」


「……その実験は、どれほどの年月が必要ですか?」


「ざっと、数百年だね」


「…………」


数百年。


妖精との戦争が終わってもなお、人為的なブロット化を続けると云うのか。


私たち学徒の目的は、破壊ではなく癒すことが目標ではないのか。


そうじゃないだろう、私たち学徒の目標は。


そうではないだろう!


彼ら彼女らは、獣と呼ばれようとも元は人間なのだぞ!


「扨、第一段階から末期状態に一気に深度を深めようか。もしもこの状態から戻ってくれば革命だぞ。マイディア、君は歴史的な瞬間を目撃することができるかもしれないよ」


喝目し注視しろ。


決して目をそらさず、余すことなく隅々まで観察して、その研究結果をレポートに纏めるんだ。


これは未知へ対する未踏の第一歩。


これから数百年、数えきれないほどの素体を獣へ堕とし続けるんだ。


人間に戻すために。


「第三段階――」


理事長はそう云いながら、素体へと向き直る。私に背中を向けた直後、召喚魔法で己の杖を素早く呼び出し手にし握った直後、その後頭部を渾身の力で殴りつけていた。後頭部の頭蓋が凹むほどの渾身の一撃。


理事長は素体に向けて魔法を使用することなく、うつ伏せに倒れた。


私は汚らわしい路傍のゴミを確かめるように、倒れ伏した理事長の身体をひっくり返した。理事長の顔を見た瞬間、ひっくり返した……足を蠢させる蟲のように感じたのは、決して気の所為でも迷いでもない。


「……まいでぃあ……」


「理事長、私はあなたのやり方に賛同できません」


この施設に預けられた者を意図的にブロット化させ続けるなど……。


何百年もの時間が必要だと、その研究期間の未定にあまりの嫌悪で身震いするのである。


「……賛同、できないか。それじゃ、これからどうやって施設を運用していくと云うのだね? どうやって魔法使いを救済していくのだ?」


「――あなたとは真逆のやり方で」


私は、明るい未来を想定した姿――今のナイトレイブンガレッジの姿を夢想しながら、問題解決の方法を口にするのだ。


甘いね。


理事長は軽く血を吐きながら、そう答えた。


「自分のやり方は数百年かかるが、マイディアのやり方は数千年もかかる。問題――それは単なる事態の先送りじゃないかい。やがて爆発する地雷を民間に放っているのと同じだ」


「あなたの非道なやり方は正しいのかもしれない。でも、私はそれでも自分のやり方で――奮闘し、百年で完全な問題を根絶してみせましょう」


それは見ものだね。


理事長は云う。


「あなたは谷だ。谷底を持つ、落とし穴だ」


「それじゃ君は、崖だ。険しい壁である巍々だ」


「私は、厳しすぎる過酷なやり方を封じます」


「本当に甘い。自分は解き放つ方が良いと思うのだが」


「……人為的にブロット化を促す……その横暴過ぎるやり方はいくら何でも許容できない。私はあなたの本願――願いの彗星を堕とす」


「君の甘いやり方では、密かに魂を汚泥に塗れさせるだけさ」


理事長は口角を上げ、笑った。


私は無表情のまま血のついた杖を強く握り、理事長の心の臓に杭を打つように振り下ろす。鋭利な杖の先端で皮膚を突き破り、肉を貫いて、骨を砕き、脈動する心臓を刺突した。


「…………」


床の上で理事長の指がピクリと動いたのを最後に、貫いた心臓を中心にその肉体から血だまりが広がる。赤い潴はゆっくりと広がり、液状化した黒いブラット化の液体と混ざり合う。素体の素足は血と黒い粘膜に汚れた。


私は目が虚ろとなった理事長の死体に石像の魔法をかけながら、世界中に解き放たれた蜘蛛のことを思うのだ。この施設には大胆な改革が必要だが、まずそれよりも先に世界中に散布する蜘蛛を一匹残らず、余すことなく殺さなければいけない。


「ここを……まともなところにしよう。この施設を、まるごと改革し別の学び舎にしよう。理事長の横暴なやり方じゃなくて、もっと穏便な、優しい、優れたやり方で、私は未来ある若者を指導するんです」


きっと、出来る。


必ずやり遂げてみせる。


険しい壁があろうとも絶対にそれを取っ払い、いくら甘いと云われようとも人道的な道を進むのだ。


「……私、優しいですから」


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