破壊するもの-7
学園長から理事長の話を聞いたイデアは、二人を別室へ待機させ、自身は研究ラボにこもり、パソコンが設置された椅子に深く腰掛けるのであった。
「はー……」
思わず出る溜息。
ナイトレイブンガレッジ内に出現した……リドル、レオナ、アズール、ジャミル、ヴィルのブラット者と云い、先程聞いた話が本当ならば、この件は長引くことになるだろうと判断を下す。
イデアは携帯端末を操作しながら、マッスル紅――素性の知らないながらも気の知れたゲーム仲間に「今季のレイド戦には参加できない」と短めのメッセージを送った。パソコンが備え付けられたテーブルの上には、オーバーブロット者、学園長に監督生、そしてルークやエペルを含めた全員の連絡機器、携帯端末であるスマホが預けられている。スマホを預かった理由はスティークスの情報漏洩を阻止することが目的であった。
「誰にでも使える短縮魔法……死の魔法か。学園長もとんでもない話をしてくれる。魔法使いが魔法で人を殺しただなんて馬鹿な情報、いくらなんでもネットに流すような愚行はしないけど、さすがにこの件は僕も記憶処理を受けた方が良さそう」
学園長は嘆きの島の番人――スティークスのことについてどの程度認知しているのか不明だが、魔法なしで記憶の改竄を行う術を持っていることを知っていると想定できる。そうでなければ、死の魔法について情報を教えることはなかっただろう。秘匿情報を漏らさないと確信……今回は代理でありながらも、イデアをスティークスの代表として信用しているのかもしれないが、記憶処理の技術があることを知っているがゆえの発言と捉えた方が良さそうだった。
「オルト、被検体の精密結果はどう?」
イデアはパソコンの画面に向き直ると、小さな個別のウィンドウが開いた。そこにはオルトの顔が映し出されており、見慣れた兄弟の姿を見て、どこか心の中で安堵の感情を抱いた。
「リドル・ローズハートさん、レオナ・キングスカラーさん、アズール・アーシェングロットさん、ジャミル・バイパーさん、ヴィル・シェーンハイトさんのそれぞれ被験者の精密検査の結果だね。端的に述べて、オーバーブロットの予後的な健康状態を述べるなら、心身ともに健康、だよ」
「オーバーブロットは、本来なら時間をかけてゆっくりと浸食していく、魔法士なら避けられない禍い……スティークスでさえ臨界点と閾値を超えた個体が、元の状態に戻って日常生活を送れるほど安全になった存在は見たことがないんだけどな」
オーバーブロットの専門家でさえ、その個体が完全に元に戻るなんて事例を確認したことも、成功したこともない。出来たとしても、それは非常に短い一時的な気休めでしかなかったのだ。
イデアはマグカップにコーヒーの粉末と入れ、近くにあったポットから湯を注ぎ、黒い液体を啜りながら、「もしや……」と仮説を口にする。
「……もしかして、完全なオーバーブロットの状態じゃなかった? 獣性をあらわにして暴れたのは確かだけど、救えないほど堕落したわけではなかったのか? 人為的だからこそ思うままに操ることができる……任意で行われたからこそ、手加減が加えられていたと云うのか……ここにいるのは天然物だけど、人工物ならば……?」
オルト……被験者の精神状態――特にオーバーブロットの源、要因かつ原因になる要素――ストレスの値はどうなっておるのか、コップを置きながら質問すると、その答えは淀みなく流暢に返ってきた。
「一番問題なストレス値にする質問だね。結果的に云えば、精神的な負荷はない。事後引きずるような問題もない。一度オーバーブロットすることで……感情のまま暴れ回ったがゆえにストレスが大幅に減軽されたのか分からないけど、今後の人生で強いストレスにさらされ続けたとしても理論上、再び暴走状態に移行することはないよ。人としての一生を終えることができる。そして精神性の安定性のほかに、ストレス耐性もなぜか飛躍的に向上しているみたいなんだ」
特異な問題だね、兄さん。
スティークスの方でもオーバーブロットされた個体を、小康状態に戻すことに成功した事例は数少なく存在しているが、元の健康状態を維持し続けること……一度重く圧し掛かった精神状態による歪みは完全に治すことはできない。再び、ゆるやかな時間をかけてブロット化してしまうのであった。だがしかし、今回移送された被検体は不可逆だと思われた状態を――スティークス内で完全にオーバーブロットしてしまった者は、どう足掻いてどれほど手をつくしても問題を根本から解決することができない――不可能だという定説と常識を覆すものであったのだ。
不可逆が可逆的な問題になっている。
むしろ、今後ブロット化しないように抵抗力さえ手に入れているとは……。
イデアは黒い水面を保つ、カップ内のコーヒーの表面を眺めながら立ち上る良い香りと白い湯気を顔に浴びるのであった。
「人為的だったからこそ、元に戻れたと考えた方が妥当だね。でもこんなことが出来るような存在は既に、死んでいる」
理事長。
第一段階、第二段階、そして最終段階。
学園長が口にした人物に関する情報を思い出しながら、イデアは「それならば誰がやったと云うのか」と首を捻るのである。
人為的にオーバーブロットの状態を、理事長ならば操作することが出来た。それはその魔法が極致に至る技巧を持つがゆえの、破格な精密操作性を持つがゆえの特性で、任意に時間遡行と進行のそれぞれを行うことが出来る。端的に述べて、極致に至るほどの操作系の魔法の技術を持つ者など理事長の他にその存在を認められない。だがしかし、学園長の言葉が確かならば、彼の手によって直々に殺され死亡している。しかもその亡骸は石像となり封印されるなどといった徹底ぶりだった。
「学園内で連続するオーバーブロットの事件は、その被害者が元の状態に戻れたことから、明らかに人為的だと考えるのが自然。だけどそれが可能な該当者は死亡しており、リストアップすることも出来ない」
一体誰がやっているのか。
まさか学園内に部外者でも侵入して、そのようなことでも行っているのか。
しかしナイトレイブンガレッジは――あの施設内に施された結界は非常に強烈なもの。
入学――基本的に学園長の手により召喚されたものしか立ち入ることしか出来ない。ディア・クロウリーの許可なく、立ち入りすることなぞほぼ不可能である。イデアの、非常に高い技術力を持つスティークスであっても、あの防壁を破ることができないほど最高峰の障壁を誇っているのだ。
部外者は絶対に侵入することが出来ない。
それは大前提……と、イデアは思いながら眉間に皺を寄せた。
「……やめやめ。この問題は一旦、保留」その問題に没頭する直前に首を振る。青い長髪が揺れた。「それじゃ一番新しいブロット化事件……ルーク氏とエペル氏に、被検体がオーバーブロットする直前の状態を質問したと思うけど、オルト、その結果報告は届いている?」
「勿論だよ、兄さん。結論から云うとヴィル・シェーンハイトさんの行動は、これまでスティークスに移送された個体と同じく、三年ほどの時間をかけてゆっくりブロット化していったみたいんだ。この点だけは、他の皆とは異なるよ」
「ヴィル氏は往来のブロット化の手順を踏んでいたのか。でも、堕落したその瞬間はやっぱり人為的なモノだった?」
「人為的なものだよ、兄さん。ナイトレイブンガレッジに入学してから、精神的に弱り自然な形でブロット化していたのは確かだけど、トドメ……任意的で急速なストレス負荷がかけられたことが原因でブロット化している。それとルーク・ハントさんから得た情報によると、ヴィル・シェーンハイトさんは特異な目を持っているみたいなんだ」
「目、か……確かにヴィル氏は、アレが見えていたみたいだからね。松果体はどう? そこに何か特筆すべき問題はあった?」
「なかったよ。ヴィル・シェーンハイトさんの観察眼が獣人よりも異常に優れているのは、彼の職業が関係していると云った方がいいかも」
「確か、俳優だったよね……舞台俳優……幼少の頃から鍛えられた観察眼と芸術肌で、アレを見ることが出来、感じ取れていたのかな。ルーク氏も野生の勘で気配だけは察知していたみたいだし、単純に観察眼が優れているだけ。たまにいる『見える』人だったわけね。オケオケ……」
「僕の独断で精密検査後、騙し絵や色彩テストを実施したけど、全部見破られちゃった」
「あー、この絵の中に猫は何匹いるでしょう的なテストやったんだ。それで、全部見付けられたと……」
「感性についても問題や特異な点はなかったよ……ロールシャッハ検査も一応念の為やってみたけど、異常な点は認められなかったな。総合的に評価して、兄さんが云った通り、『舞台俳優として鍛えられた観察眼』、と云って差し支えない問題だよ」
そもそもアレらは、見る角度を少しでもズラせば誰にでも見ることができる。
魔眼や邪視といった特別な体質などなくとも、魔法が使えない一般人でも見ることが出来る。
単なる見え方、物事の捉え方の問題なのであった。
「それじゃ――最後、未知の魔獣――グリム氏の検査結果はどうだった?」
「計測不可能」
オルトはイデアの質問に端的に答える。
「計測不可能? 不能じゃなく不可能――それっていったい、どういう……?」
「あのね兄さん、検査結果が出なかったんだ。出来なかったんだ」
精微かつ深度、徹底的かつ余すことなくグリムについてスティークスが持つ、自慢と誇る技術力の結晶を駆使して調査したのにも関わらず、検査結果が……数値による目視可能な表現はエラーと云う結果に終わる。
いや、そうではない。
検査台に乗せたグリムを調査しようとした途端、その機械類はすべての動作が停止した。エラーと云う表示さえ液晶画面に出ることすらなかったのである。
「オルト、調べることすら出来なかったの?」
「うん、スティークスの持つ全ての技術力、あらゆる機材を用いて調査を――いや、調査すら不可能だった」
強烈な防護魔法がかけられていると云うより、拒絶反応が出ているかのような感じ。
オルトはグリムの精密検査の件について、そう述べるのである。
「機械がダメなら、魔法を用いての調査を実施したけど、その結果も非常に不可解なものだった。スティークスの調査員曰く、『巨大な大洞』。かつて妖精国周辺で発生した村規模を消滅させた時空間の乱れ……それと似たような存在が、思考し考え移動する生命体として存在している……と述べていたかな」
「生きた、巨大な大洞」
「まるで『常にマイナスの値を出し続ける、巨大な魔力の塊』のようだとも述べていたかな。兄さん、被検体は魔獣のようだけど、使い魔ならその状態は正常なものなのかな? まるで動物の形をしたロストタウンのようだよ」
ロストタウン。
世界が忌むべきもの、不要と判断されたモノが捨てられる廃棄場。
それが猫の形をとって、生命活動を維持している。
オルトの報告を受けたイデアは「ちょっと待って」と云いながら、キーボードを打鍵する。弟の顔が映し出されたウィンドウとはまた個別の窓を開いて、過去の文献を調査するのであった。イデアは検索結果、羅列された文字を見ながら頭を抱え、オルトに魔獣の実態を述べるのである。
「シュラウド家は嘆きの島の番人と呼ばれる以前から、この島でまつろわぬ民と暮らしてきた。その異民の中に巨人や幻獣の類はあるのだけど、巨大な大洞だなんてそんな記載はどこにもない。そのような云い伝えや伝承、日記、直筆はない」
巨人や幻獣の類は、絶滅したか……もしくは獣人などといった生物へ進化したのか不明だが、神話の時代から伝わる記録文献の記載を見落としがないように、細々と確認しながら事実を口にするのである。
「……オルト、この考えは何の根拠もない僕の妄想なんだけど、恐らくグリム氏は魔獣ですらないのかもしれない。もっと、他の別の何かから生まれたんじゃないかな?」
「魔法による調査の他にも、対話による聴取を行ったよ。本来ならばこういう役割は一番親しい人、監督生さんなんかが適任なんだろうけど……」
「話をしたんだね。それで、結果は?」
「うーん、あまり芳しくないかな。自分が誰から生まれて、入学式……監督生さんと出会う前はどこにいて、何をしてきたのか記憶にないみたいなんだ。この記憶の欠如は『マイナス値』を出していると表現された作用なのか、それとも誰かが忘却の魔法を使ったのか……それとも……」
「自ら忘れようと努めていたのか分からない、か……」
マイナス値を叩き出す体質か。
それとも、誰かが手を加えた作用なのか。
もしくは、自ら記憶を消去していたのか。
三つの可能性が浮上するが、どの条件に当てはまるか分からない。
未知数。
イデアは頭を抱えた。
「とりあえず入手した情報は、監督生さんが目覚める前に意識が覚醒して棺桶の蓋を開けるところから始まっている。何が理由で大魔法士になりたいのか、どうして監督生さんが眠っていた個室にいたのか分からない」
僕の想定としては――と、オルトは一呼吸おいて、持論を展開させた。
「ロストタウンの副産物なんじゃないかな? 裏の世界だけど裏である以上、表裏一体の表の世界とは切り離せない。ヴィル・シェーンハイトさんがここで『見えて』いたように、学園でも『見ていた』。表と裏の世界が騙し絵のように二重に空間が重なり合っている。総論として、普通の猫か……もしくは魔法士になりたいと強く思っていた人間がロストタウンに落ちて、マイナス値を出す特異体質を会得、猫と存在が混ざり合う……もしくは変貌。学園に出現したのは、時空間の乱れに呑まれて表の世界に出現したとも云えるよ」
「可能性としてはどうでも捉えられますな。グリム氏は新しい生命体、新種として考えておくべきなのか……」
実りの秋と収穫の春。
二つの季節を維持し続けた、妖精の丘。
戦後である今でもなお、妖精たちの季節維持の大魔法の悪影響によって、行方不明者の存在が認められている。そして、帰還者の存在も。数百年前の人が浦島太郎のように、数世紀先に飛ばされた……なんて事例は珍しくない。年に数回、たまに聞く話であった。
「兄さん、新種と定めるのは少し早計じゃないかな。まだ調査したてだし、別の可能性も考えられるよ。仮説としてロストタウンの副産物と述べた僕だけど、真相は別じゃないかと思っているんだ」
「それは同意だよ……グリム氏はもっと他の何か……別の問題から生まれた……」
例えば――例えるならば、何に該当するのだろう。
イデアがその点について思考を伸ばそうとした直後、激しい砂嵐の音が聞こえる。その異音にハッとしたように反応すると、オルトの顔が映し出されたウィンドウが灰色の砂嵐によってかき消された。その後、イデアの顔を人工的な灯りが照らすパソコンの液晶画面全体にノイズが走ったかと思うと、数秒待たずしてその画面は真っ黒に塗り潰された。
「パソコンが機能停止――サイバー攻撃か? 一体何が……!」
イデアは落ちたパソコン画面から目線をずらして、素早く立ち上がる。機体の傍に備え付けた非常電話を使おうと手を伸ばした直後、非常警報が鳴り響いた。
『警告、警告――スティークス内の全機能がダウン。安全装置を稼働中。全スティークス職員は迅速に避難――ひなん、ひなひなひなひなひな――』
非常に危険度の高い緊急事態。
イデアは赤く点滅する照明の中、非常用の子機を耳にあて本部に連絡を入れようとするも、その小さな電話口から誰の声も言葉も聞こえることはない。無意味な置物と化した物体であると理性で理解しながらも、イデアは無意味な行動をやめることができなかった。
それは焦りがゆえ……いいや、トラウマか。
その焦燥が冷静さを迅速に燃やしていくのだ。
「本部――スティークス本部、オルト……僕の弟は無事か!? 応答せよ、応答せよ!」
自然と呼吸が荒くなっていく。過呼吸の一歩手前だった。
『批難批難批難批難ひなひなひなひなひなひひひひひひひひひな――』緊急アナウンスは暴走したように譫言を繰り返す。『全職員は、しょくいん……収容物の――ブロット、ブロット、オーバーブロットした――』
目障りなほど赤く点滅していた照明。
けたたましいほど鳴り響いていた緊急アナウンス。
それらフラッシュ、騒音が突如としてピタリと止まる。
「…………え?」
ほぼ全機能が停止したスティークス本部施設、研究ラボの一室。イデアは薄暗がりの中、ポツンと立ち竦み、水を打ったような静けさの中、これまで荒々しかった乱れた呼吸を本能的に停止させ、息を呑むのである。
そして、聞こえた。
『――――――』
幼少期のトラウマの再演が。
『ケルべロスシステム完全ダウン。ゲート解錠、地底より破壊するものが地表へ向けて移動を開始しました。スティークス代表は、早急に破壊するものを隔離していた古代ゲートの施錠を行ってください――』
破壊するもの。
神代の時代、浮遊する大都市アトランティカ大陸を破壊した存在。
そして、人間に魔法を与えた生命の死蔵庫。
Περσεφόνη。
破壊するもの――ペルセポネー。




