第七話 自由という幸せ
白を基調とした上着、黒のショートパンツとそこから伸びる長い脚には黒タイツ。黒のブーツ。防具には真紅のコート、武器は魔力晶が備えられた杖。
レンの装備は完璧だった。もはや、ボロを纏っていた頃の彼女は見る影もない。
「ありがとうございます、スナオ君。お代の分、しっかり働きますね」
「バッチリ似合ってるよ、レン」
「そう褒められると、何だか照れるものがありますね」
レンはフードを目深に被り、顔を隠してしまった。
ここまで揃えるのに、一〇万フォーレを費やしてしまったが、これでようやくレンも冒険者としてスタートできる。
色々と準備を進めたおかげで、すっかり日が暮れそうな時間だ。
というか、妙に天候が怪しい。これは一雨来るかもしれない。
「レン。今日はもう宿を取って休もう」
「あ、はい。もうそんな時間なんですね……」
僕達は適当な宿を探したが、なかなか部屋の空きが見つからなかった。
ポツポツと雨が降り始めた頃、四件目に訪れた宿屋でようやく――、
「二人部屋なら空いてるよ」
と宿主さんに言われてしまった。
「どうします? スナオ君。もう本降りになってきましたけど……」
心配そうにレンが訊ねてくる。
けれど、流石に男女が同じ部屋に泊まるのはマズいんじゃなかろうか。どうしても、レンの様子を覗ってしまう。
「えっと、レンがよければ、僕はいいんだけど……」
「スナオ君がよければ、私もいいんですが……」
「ならいいじゃねえか」
宿主さんの冷静なツッコミに、僕は『はい』と頷いて二人部屋を取った。
部屋は押さえたので、次に僕達がすべきことは腹ごしらえである。
特に、レンはまだ牢獄を出て日が浅い。いや、僕もなんだけど。なので、とにかく食事で栄養を取り戻さなければならない。
「えっと、レンは人間と同じ食事でも大丈夫なのかな?」
「はい、大丈夫ですよ。詰め所で出た食事は、とても美味しかったですから」
詰め所じゃ最低限の食事しか出ないんじゃ……。
レンはひたすらネズミとか食べて生き延びてたのだ。そりゃあ、まともな食事は粗食でも美味しく感じるよね。
「じゃあ、ここの備え付けの食堂に行こうか」
そう提案すると、レンは嬉しそうに頷いた。
レンはメニューがイマイチ理解できないようで、僕と同じ『コトコト煮込んだ三色野菜トロトロビーフシチュー、カリカリブレッド付き』を注文した。
デミグラスソースが芳しく、トロトロに煮込んだビーフは口の中で柔らかくほぐれる。かつ肉の旨味が損なわれずジューシーだ。
「……」
レンは一口食べると、言葉を失ったように無心で肉を噛みしめている。
「パンをソースにつけて食べると美味しいよ」
そう助言し、僕が実践してみると、レンは素直に真似をした。
カリカリのパンはデミグラスソースに浸され、絶妙な食感と濃厚な味わいを携える。その魅惑的な組み合わせに、レンは夢中でかぶりついていた。
影の主役と言っても過言ではない野菜。ブロッコリー、ニンジン、ジャガイモ。それらはじっくりと煮込まれ、ほどよい甘みを愉しませてくれる。
手を変え品を変え、僕等の舌を弄ぶビーフシチュー。何て恐ろしいんだ。
結局、皿を空けるまで、レンは一言も喋ることはなかった。
名残惜しそうにパンで皿に残っているソースをすくっているのが、微笑ましい。
「とても美味しかった、です。こんなに贅沢でいいのでしょうか……?」
「満足してくれたなら、よかったよ」
「あの、スナオ君……」
コップに入った水を飲みながら、レンはおずおずと訊ねる。
「冒険者として稼げば、こんな食事が毎日できるんでしょうか?」
よっぽど美味しかったんだな。
目が期待に輝いてるよ。
「もちろん、稼げればね。というか、基本的に食事は栄養のあるものを沢山食べた方がいい。僕達冒険者は身体が資本だからね」
残念ながら、上手くいかないときは粗食になってしまうけど。
「だから、レンにも遠慮しないで食べてほしい。それが、明日の稼ぎに繋がるからさ――って、これ答えになってる?」
「私、この料理の為なら何でもできそうです」
真顔で言うレン。
そりゃあ、そうだ。毎食ネズミの生活と比べると、天と地の差では済まされないだろう。
「僕、まだ食べ足りないけど、レンは?」
「私も……食べたいです……」
そう訊いた僕に、レンは少し恥じ入るように答えたものだった。
食事後、渡された鍵の番号の部屋の扉を開けて、僕は思わず固まってしまう。
そこには、ベッドが一つしかなかったのだ。
タブルベッドじゃん!
と心中で絶叫。
それを見たレンは、『大丈夫ですか……?』と改めて不安そうに問うてくる。
いや、大丈夫……。大丈夫だよね?
レンも僕をそんな風には見てないだろうし、いやていうか僕が色々大丈夫? レンみたいに綺麗な子が隣で寝るとか心臓爆発したりしないよね? いびきとかかいたら恥ずかしくて即死するんだけど。
「大丈夫だよ、レン。僕、ソファで寝るからさ」
異常な状況のせいか、異常な冴えが僕をシンプルな解決法に導いた。いいえ、至極真っ当な思考です。
「そ、それは悪いですよ。スナオ君のお金なのに」
潰された。
でも、レンをソファで寝かすのは、それこそ悪いし――。
「あの、スナオ君がよければ、二人で寝ませんか?」
「は、はい……」
レンにそう言われてしまったら、もはや頷くしかない。
こうなったら、役得だと思って覚悟を決めるしかあるまい。いいのか悪いのかどっちだよ。男心は複雑なのだ。いや、多分僕が繊細すぎるだけだよ。
僕は小さな円卓に備え付けられている椅子に腰掛けた。
壁掛け時計を見ると、時刻はまだ十九時半だ。就寝には早すぎる。
「ねえ、レン。ちょっとこれからについて、話しておきたいんだけど」
「はい」
レンは返事をすると、僕の正面の椅子に腰掛ける。
「明日からいよいよ塔の攻略を始める。まだ二階層から九階層だから、今の僕なら攻略は難しくないと思う」
「地下階層の難易度は、七〇から一〇〇階層に匹敵すると言われていますね。確かに、スナオ君なら問題なく次の市街層に行けると思います」
「うん。だから、なるべく明日か明後日中には一〇階層に進みたい。レンは大丈夫?」
「私も落ちこぼれとはいえ、魔族の王女ですから。スナオ君について行きますよ」
とにこやかにレン。
よかった。この反応は自信のあるそれだ。
「それで、第一〇階層に着いたら、やりたいことがあるんだ」
「何でしょう?」
「≪真偽審眼≫スキルの再鑑定……」
僕が審問会で≪真偽審眼≫鑑定を受けたとき、僕は嘘を吐いていると判定された。けれど、僕は嘘を吐いていない。なら、鑑定結果に間違いがあるか、僕の頭がどうかしてるかのどちらかだ。
僕はそれを確かめたい。
もし、再鑑定した結果が違った場合、僕は第五〇階層で起こった事件の審判に、抗議しなければならない。
「私もその方がいいと思います」
レンは同意してくれた。
「ただ、もし再鑑定の結果がシロなら、スナオ君は何らかの陰謀に巻き込まれた可能性が高いと思います」
「それなんだよね……」
けれど、わからない。何故、僕がそんなことになってしまったのか。
特別、誰かの恨みを買うような真似はしてないはずなのに。
「でも」
とレンは微笑んだ。
「たとえ何が起こっていようと、私はスナオ君の味方です」
「レン……」
「今、すごく幸せなんです。美味しい食事、綺麗なお洋服、柔らかい寝床。それから、スナオ君と一緒の目的があって……。こんなに眩しい幸せをくれたスナオ君に恩返しできるなら、私は何だってします」
目頭が熱くなった。
僕個人の事情に、そこまで言ってくれるなんて、思ってもみなかったから。
けれど、遅れて気が付く。
もしこれがアレスでも、同じ事を言ってくれたに違いないし、アレスと僕が逆の立場でも僕はそう言っただろう。
何故なら、僕達はパーティだったからだ。
そして、僕はレンと出会って日が浅く、まだ自覚できていなかった。
僕とレンはパーティなんだ。そして、メンバーの問題はパーティの問題。僕に何が起きようと、レンに何が起きようと、僕達は二人で乗り越えてみせる。
「ありがとう。頼りにしてる」
「はい。してください」
それから、僕達はたわいもない話をした。
僕が冒険者になった理由。アレスとの約束のこと。
レンが魔王女としてどんな生活を送ってきたか。兄弟やその他の親族のこと。
やがて、僕達は交互にシャワー浴び、大人しくベッドに入った。
これはとんでもなく緊張したものだ。正直、初めてモンスターと戦ったときより、酷かったかもしれない。
***
「ねえ、私達いつまでこうしてるの?」
シーナ=クレッタ・ロアーソは辟易として呟いた。
「仕方ねえだろ、アレスがあの様子じゃあよ」
乱暴に答えたのはディオル・ガバン。シーナのパーティメンバーだ。
シーナは第五〇階層にあるバーで火酒を嗜んでいた。
それに付き合う形でディオルがいるが、彼はすでに酒の許容量が限界に近いのか、チェイサーの水ばかりを飲んでいる。
シーナがぼやいたのは、ここ五日間、塔の攻略が滞っているからである。
原因は先日パーティから外れたスナオ・ハルカ。そして、それが理由で腑抜けてしまった、パーティリーダーのアレス・ジェルトの存在だ。
「やっぱ、ナオを外したのはマズかったんじゃない?」
「バカ。犯罪者だぞ、あの野郎は」
スナオは同じくパーティメンバーである、システィナ=レナ・パルステラのブローチを盗んだ疑いで、パーティを追放、第一階層の刑務所に服役することとなった。ただのブローチではない。御三家が一、パルステラ家の家紋が入った、貴重なアイテムなのだ。
結果、スナオは冒険者資格剥奪に加え、禁固五年という殺人罪クラスのペナルティを課せられた。
スナオの幼馴染みであるアレスはこの結果に不服だったのだろう。
それから三日間ほど、スナオに面会しに行くと言い、その度にシスティナやディオルに咎められたものである。
彼は、スナオの潔白を信じているのだ。≪真偽審眼≫で結果がクロだったにも関わらず。
実はシーナもスナオがブローチを盗んだという判定に、懐疑的であった。
スナオは雑魚だが、そこまでセコい男ではない。本気でアレスやシーナ達と共に、塔の上へと登り詰めることを信じていた。
そんなバカな男がパルステラの家紋を盗むとは、シーナにはどうしても信じられないのだ。
では、シーナは何故アレスと共にスナオの無実を主張しなかったか。答えは単純で、スナオを足手まといに感じていたからだ。
あれがいる限り、シーナ達のパーティは上を目指すことはできない。
ならば、あの事件を切っ掛けにして、スナオが消えてくれるのが一番だったはずなのだが。
「私達、修復できるのかな……」
「……バカ野郎」
シーナの呟きに、覇気なくディオルが吐き捨てる。
アレスの心が、シーナの考えていた以上にスナオに依っていたのだ。アレスは今、パーティメンバーが話し掛けようにも、むっつりとした表情で上の空の状態だ。
こんな状況で、塔の攻略がまともにできるはずもなく。シーナ達は第五一階層より上に進めず、足止めを食らっている。
メンタルの問題といえば、シーナ自身にもスナオロスの影響がないわけではない。スナオは気が利いた。可愛くてパーティのムードメーカーだったように思う。それでいて実力が伴っていないので、ディオルはスナオが気にくわなかったようであるが。
シーナが一番気軽に話せるのは、同性であるシスティナに次いで二番目だった。
「意外に、ナオの存在って大きかったのかもね」
そんなシーナの言葉に、ディオルは今度は反応しなかった。
これからのことを憂いながら、シーナは火酒のグラスに口をつけた。