第十五話 ご招待
レンジェラのEランク試験は、宵の道化師と呼ばれる悪戯好きなレアモンスターの討伐だ。
討伐と言っても、ギルドの受付嬢曰く、宵の道化師はかなり異質なモンスターであり、魔術師としての技量を競い、敗北すると自らの魔力晶を吐き出して消え去るのだという。
宵の道化師の活動時間は午前0時を過ぎた頃合いだという。
レンジェラはスナオと待ち合わせの取り決めをしたかったが、スナオ自身今日中に戻るかわからないとのことだったので、試験をパスしてから翌日早朝にギルドで彼を待とうと判断した。
「荷馬車が通れねえんだよなあ」
下調べのため、まだ日の高い時間に現地である第三二階層へ行くと、商人と護衛役であろう数人の冒険者が困った様子で立ち往生していた。
第三二階層は洞窟のフィールドだ。その狭い道を、巨大な岩が防いでしまい、人は通れても大きな荷台を持つ馬車が通行できない状態になっていたのだ。
話によると、これは宵の道化師の仕業だそうで、彼(?)を魔術勝負で負かさない限り、どかしてはくれないようだ。
大岩を魔法や爆弾で破壊するという手段があるが、ここは洞窟のフィールドであるため、崩落の危険があるらしい。
「我々の中には、宵の道化師に勝てそうな魔術師はいなくてね」
冒険者のリーダーとおぼしき優男風の青年が、頭を掻いている。
「魔術専門の冒険者に、ギルド経由で依頼したというわけさ」
「嬢ちゃん。魔術の腕は?」
と頭をタオルで巻いた職人のような商人が訊ねる。
「はい。私、魔術は数少ない特技の一つなんです」
「そりゃ、頼もしい」
レンジェラが答えると、商人はガハハと大口を開けて笑ったものである。
「ところで、お主眼は大丈夫なのか? 怪我か何かか?」
と冒険者の一人である両目眼帯の男が訊ねてくる。
人間の目は魔族の黒目の部分が白いため、魔族のそれが異質に映るのだ。
「お気になさらず。生まれつきですので」
「そうか。それは要らぬことを訊いたな。許せ」
人間の会話は暖かい、とレンジェラは思う。
こういった血の通う言葉を交わすのは、スナオとの会話がほとんどである。レンジェラは人間のこんなところが、とても好ましく、そして羨ましく思えるのだ。
第一〇階層へと戻ってきたが、レンジェラは冒険者ギルドから少し距離を置いた。
何か事件があったのか、ギルドが昼頃になってから騒がしくなったのだ。レンジェラは未だに人間が大勢いる空間に不慣れであるため、あえて近づかない判断をした。
――スナオ君は無事に試験に臨んでいるでしょうか?
そんな疑問が沸き上がる。が、彼のことである。レンジェラの心配などよそに、難なく試験をこなしているのではないかと思う。そもそも、そのようなことをレンジェラが心配するのが、おこがましいほどに。
レンジェラは公園で、宵の道化師が現れる時間まで、ぼうっと過ごしていた。
深夜一時頃、レンジェラは第三二階層に再び訪れた。
そして、そこで目の当たりにした光景に戦慄した。
崩れ去った大岩。
その近くに、顔面を白粉で塗りたくったような、奇抜なメイクをした人型のモンスターが倒れていた。
そして、その上に乗っかっている人間――、
ちがう。その者は魔族の少年だ。
「あんたがレンジェラかい?」
『フン』と鼻を鳴らし、立ち上がる少年。
同時に、宵の道化師が粒子化し、魔力晶を残して消えた。
おかっぱの紫髪と、黒目紅瞳。背の高さはスナオほどもない。
彼が片手を振り抜くと、黒いカードがレンジェラの元へと飛んできた。
レンジェラはそれを難なく片手で受け止める。
そして、そのカードを改めると、目を軽く見開いた。
『≪序列≫第――位 レンジェラ殿
このたび、貴殿の≪序列≫に挑戦致したく、貴殿を≪序列戦≫へとご招待させて頂きます。
≪序列戦≫内容の選考と日時調整のため、改めましてご連絡差し上げます。
親愛なる我らが魔神の導きのままに。
序列第八七位 ヴェルレイト』
「これは……、≪序列戦≫の招待ですか……」
そのカードは≪序列戦≫の申込みだった。つまり、この少年――ヴェルレイトはレンジェラと≪序列戦≫を行おうというだ。
ヴェルレイトを見やると、彼はその整った顔立ちを軽く歪め、余裕の表情を浮かべている。
≪序列戦≫。
それは、魔族の中でも上位一〇〇位に収まる者が、自身の序列を上げるために行う儀式である。レンジェラはかつてランク外、つまり一〇〇位未満の序列であったが、何とか上位の者と≪序列戦≫の権利をもぎ取った経験がある。もっとも、それが原因となって、レンジェラは一族から追放されることとなったのだが。
レンジェラは未だに薄ら笑みを浮かべる少年に、こう言った。
「おかしいですね。私はもはや、序列などを持てる身分ではないはずですが」
それはレンジェラの中で最も自らが理解しており、同時に最も相手に真意をぶつけやすい言葉だった。
「どんなにおかしくても、≪序列戦≫は成立する」
とヴェルレイトは悠然と言葉を返す。
「上の者が、下の者に≪序列戦≫を挑むのに、条件なんてないだろう?」
この少年の言うことはもっともだ。
通常、≪序列戦≫はその性質上、下の者から上の者に申し込まれるものである。そのためには、下の者の位に適した≪序列≫を持つ者の承認が必要である。これにしても、簡単な実績では成り立たないものではあるが。
対して、上の者が下の者に挑むには、条件が必要ないのだ。ただ、紹介状を相手にぶつけるだけ。それだけで≪序列戦≫が成立してしまう。
レンジェラは相手の出したカードを見て、その序列を確認する。
――八七位。
レンジェラは大きくため息を吐いた後――、
「謹んで、お断りいたします」
と頭を下げた。
「私は一度、≪序列戦≫で不正の疑いをかけられ、敗北以上のものを与えられました。謀られたのです。≪序列戦≫にそういった要素が介入する余地がある以上、私はもう二度と≪序列戦≫を信用しません」
「自分の無能をシステムのせいにしないでくれない? そういう隙を与えたのは、アンタでしょ?」
「いずれにせよ、私には≪序列戦≫をする動機がありません。そして、どう考えても貴方にもメリットはない。つまり、この申込みは異常です。さようなら」
レンジェラは踵を返す。
宵の道化師はヴェルレイトに倒されてしまった。レンの試験は不合格だ。
それでも構わない。これ以上、ヴェルレイトと話すのは危険に思えた。
「王子様が迎えに来たのは、偶然だと思ってる?」
足が止まった。
それは、スナオ・ハルカとの出会いのことを言っているのか。
だとすれば、それは看過できない発言だ。
「どういう意味です?」
「あは。食い付いた」
振り返ったレンジェラを見て、愉快げに嗤うヴェルレイト。
「スナオ君が地下階層に来たことに、魔族が関わっているのですか?」
問うが、ヴェルレイトは人差し指を立てて横に振る。同時に、『チッチッ』と舌を鳴らした。
「それは、≪序列戦≫で勝ったご褒美に教えてあげるよ」
極々陽気な様子で、ヴェルレイトはそう返す。
――戯れ言だ。
そう切り捨てるべきだった。
だが、レンジェラの脳裏に万が一の可能性が浮かんでいた。
もし、スナオが地下階層でレンジェラを救ったのが、何者かにとっての計画だとしたら。
スナオに恩赦クエストを受けさせたのも、当然その人物だ。
では、スナオがパルステラの家紋の件で、投獄されたことは?
万が一、これもその者の仕業であれば、レンジェラは追求しなければならない。
その可能性がある限り、この挑戦を躱す選択肢はあり得ない。
「どう? 気は変わったかな?」
「――わかりました」
「そうこなくっちゃねぇ」
ヴェルレイトの口が三日月のようにつり上がった。
魔族が元来より持つ、禍々しく闘争的な色味を含んだ表情。
「それで、勝負の取り決めはどのように?」
「明日の十八時、第一〇階層にあるデュランというバーに来て。勝負内容はそこで決めて、即始めよう」
明日の夕刻。それならば、冒険者ギルドで待機していれば、スナオが戻ってくる可能性が高い。この件を、彼に報告しなければならないだろう。
「立会人は?」
「ジラック様が仕切ってくれる」
ジラック。レンジェラはその者をよく知っている。
序列三位の傑物であり、レンジェラの三番目の叔父だった。
どうして、彼がこんな意味のわからない≪序列戦≫の立会いをするのか。
「実は、アンタに勝てば、僕は七〇位以下との≪序列戦≫の権利をもらえることになってるんだ。どうして、落ちぶれたお姫様の相手なんてさせるんだろうね? ま、ジラック様にもお考えがあるんだろうけど。とにかく僕にとってこれ以上ないチャンスだ」
それが事実であれば、ますます意味がわからない。
ジラックはもう、レンジェラのことを見放していたはずだった。ヴェルレイトの腕試しにしろ、もっと別の相手を用意するのが道理だろう。
考えていても、仕方がない。
レンジェラはスナオの件に関する情報が欲しいだけ。敵の事情を推し量っても、意味のないことだ。
「わかりました。では、明日の十八時に」
「少しは愉しませてよね。あ、このモンスターは、君が倒したことにしていいから」
ヴェルレイトは宵の道化師の魔力晶を拾い、レンジェラに放った。
レンジェラはそれを受け止めると、ぺこりとお辞儀をする。
「ご厚意に甘えます」
「はは。そこは甘えるんだ。変な姫様だね」
そう言い残し、ヴェルレイトは闇へと消えた。
軽くため息を吐き、レンジェラもその場をあとにする。
試験に臨むつもりで来たが、全く想定外の展開になった。
スナオが地下階層に来たこと。ひいては、恩赦クエスト。
それが、魔族と一体どんな関わりがあるというのか。
あるいは、ヴェルレイトが個人的に人間側の情報を持っているだけなのか。
何故、ジラックがレンジェラをヴェルレイトの相手に指名したのか。
多くの謎が増え、それらの繋がりが微かにほのめかされている。
思考は放棄したものの、波乱を予感しつつ、レンジェラは第一〇階層へと戻っていった。
洞窟フィールドの暗さと静けさが、レンジェラの胸中を示すかのように、あまりにも不気味に広がっていた。