第十三話 ディオル・ガバン
一年前。第三〇階層で。
僕とアレスは、荒くれ者が集うと評判の酒場に訪れた。
「オイオイ。坊ちゃん達。パパでも探しに来たのか?」
「白髪のボウズ。メチャクチャ可愛いじゃねえか。俺が“パパ”になってやろうかぁ?」
僕達を見て、ゲラゲラと笑う酒に酔った冒険者達。
彼らを無視し、僕達が奥へと進むと、一人でボックス席を占拠している青年を見つけた。
彼は机の上に置かれている火酒を、つまらなさそうに煽っていた。
それは、まるで特別な空間のように思えた。冒険者達の喧噪の中、只一人、彼は切り離されたように静かに座っている。その周りだけ音か遮断されていると錯覚するほどに。
彼はこのバーの中で最も冷たく、そして殺気立った存在だった。
見つけた。
僕達が其処に近付こうとすると、横から冒険者の一人が大きくて太い片腕を広げ、僕達が進むのを阻害した。
「止めとけ。ボウズ共」
隆々とした筋肉を持つ、ひげ面の冒険者が、極めて厳かに忠告してきた。
「ヤツの噂でも聞きつけたんだろうが、ヤツは止めとけ。ボウズ共に――いや、ここにいるどんな腕利きにも御せる野郎じゃねえんだよ」
「ご忠告、感謝します」
アレスはその冒険者に軽く礼をした。
「ですが、彼と話さなければなりません」
ひげ面の冒険者は、アレスの瞳を見たのだろう。はっとしたように微かに瞼を開いた。
やがて、彼は腕を降ろす。
僕達はボックス席で手酌をしている彼に近付いた。
大丈夫、僕達には秘策がある。彼についての極秘情報を掴んでいるのだ。
「初めまして、ディオル・ガバン。俺はアレス・ジェルト」
「スナオ・ハルカです」
自己紹介をすると、ガバンさんは僕達に鋭い視線を向けた。
「貴方はソロで活動しているそうですね」
とアレスは続ける。
「俺達と、パーティを組みませんか?」
「失せろ」
ガバンさんの殺気が、より一層濃いものに変わった。
正直、僕は足がすくむ思いだった。
“黒狼”のディオル・ガバン。第三〇階層で最も有名な冒険者だ。
その戦闘スタイルは凶暴そのもの。魔法剣を使い、モンスターを瞬く間に火炎地獄に叩き落とす、豪腕で知られていた。
「話を聞いてもらえるまで、消えるわけにはいきません」
アレスは一切物怖じする様子もなく、そう言い放った。
「わかるぜ、テメエは強い」
気怠げにガバンさんはそう言うと、次に僕に目を向けた。
「だが、そっちのヘッポコ野郎は何だ? そんなカスを引き連れてる野郎の話なんざ、犬の糞ほどの価値もねえよ」
「言わせてもらうが、スナオは――」
アレスは僅かに憤ったように口を開くが、僕はそんなアレスを片手で制止する。
そして、口を開いた。
「僕達、塔のてっぺんまで行くんです」
ガバンさんはおもむろに立ち上がった。
次の瞬間、僕は髪を掴まれ、テーブルに頭を叩き付けられていた。
全く反応ができなかった。
この人――本当に強い!
「何ほざいてんだ? 犬の糞未満がよ」
「待って! アレス!」
気配でアレスが何かしようとしたのを、僕は怒鳴って止めさせた。
いつの間にか、酒場の喧噪は静まり返っており、周囲の興味は僕達の喧嘩に集中しているようだった。
「僕達のパーティに入ってください!」
「ざけんなカス! 俺は口だけの野郎が一番嫌いなんだよ! 塔の頂まで行くってんなら、これくらいのこと何とかしてみせやがれ!」
僕はガバンさんの腕を掴むが、びくともしない。僕の腕力じゃ無理だ。
「この程度の野郎が、塔の上に登れるかよ……。身の程知りやがれクソ野郎が」
「放してくれないと……」
「あ?」
「放してくれないと、ガバンさんが無類の猫好きだって、大声で言いふらします!!」
一瞬の静寂。
「な、テメエ――」
ぎゃははははは!!
酒場が一気に笑い声で満たされ、音量の飽和状態を迎えた。
「もう大声で言いふらしてんじゃねえか――ッ!」
「で、私を除け者にして、二人で会いに行っちゃったわけね」
システィナはご立腹である。
「そう怒るなよ、システィナ。君には相応しくない場所だと思ったんだ」
「何よそれ」
アレスがシスティナをなだめるが、これはマズい。数日は機嫌を損ねるパターンだ。
「まあまあ、システィナ。とにかく紹介するよ、彼がディオル・ガバンさん」
結局、ガバンさんは根負けしたように、僕達の宿に来てくれた。こちらもむっつりした様子で、机の上に脚を乗せている。
「明日から、俺達のパーティに加わってくれるそうだ」
「おい。俺はまだパーティに入ると決めたわけじゃねえ。“白虎”と“姫騎士”がいるパーティがどんなもんか、気になっただけだ」
その通り。
ガバンさんにアレスとシスティナの≪象徴生物≫を伝えたら、興味を持ってくれたのだ。
「私だって、まだ貴方が入るのに賛成したわけじゃないわよ!?」
「ちょっと、落ち着いてシスティナ。昨日、散々話し合ったでしょ」
どうどう、とシスティナを抑える僕。
「何ヘラヘラしてんだよ、“トカゲ”野郎。テメエ、俺と張れるくらい強くならなきゃ、俺はこのパーティのメンバーだって認めねえからな」
「ちょっと、貴方ねえっ!」
「わー! 止めてシスティナ! 強くなるから! ガバンさんに認められるくらい、強くなるから!」
これからますます騒がしくなりそうだ。
それが、僕達とディオル・ガバンとの出会いだった。
***
鋭い目付き、黒い短髪、スマートな長身、派手なネックレス。
そして、獲物のブロードソード。
僕の眼前にいるのは、間違いなく、ディオル・ガバンだ。
「二日酔いで頭痛ーんだわ。ワリィけど、さっさと終わらせてもらうぜ」
「ディオル! どうして!?」
僕は混乱した。
今の今まで、僕は密猟者と戦っていたはずだった。なのに、何でディオルが出てくるの?
ディオルが密猟者の仲間? いや、そんなはずがない。
「『どうして』だぁ? テメエが悪いんだろうが、このド阿呆が!」
いつものように僕を罵倒しながら、ディオルが斬りかかってくる。
僕はそれを打刀で受け止めた。
――ドコッ!
「ごぼっ!?」
腹部に激痛が走る。ディオルの前蹴りをもろに食らったのだ。
未だに困惑している頭が、動きを鈍くしている。
「檻ン中でじっとしてりゃあよかったものをよ……」
「ゲホッ! どういう……こと!?」
僕は転がり、勢いを付けてハンドスプリングの要領で起き上がる。
状況を整理しろ。
今、僕はディオルに襲われている。理由は不明だけど、今の発言から、それは僕が恩赦を受けたことに関係してる……?
「答えてよ! ディオル!」
「うるせえっ!」
ディオルが再びブロードソードを繰り出す。
この容赦のない一撃は間違いない。ディオルは本当に僕を殺す気だ。
打刀で受け止める――が、重い!
僕も相当強くなったはずだけど、ディオルはDランク冒険者。気を抜けばあっさりとやられる。
対するディオルは、僕が剣を受け止めたことに困惑しているのか、目を微かに見開いている。
「“トカゲ”野郎が……どうしたってんだ……粘るじゃねえか」
二合、三合、刃のぶつかり合いが続く。
――≪遙真刀流・聖突刃≫!
僕の突きを、ディオルはギリギリで回避する。
返す刀で≪聖孤月≫を放つが、ディオルは巧みな剣捌きで僕の攻撃を防いだ。
「らあっ!」
「――ッ!?」
ディオルの決め技、≪火炎斬≫。僕は受けるが、燃えさかる刃の熱量に耐えきれず、打刀を落としてしまう。
その勢いで、僕は体勢をわざと崩し、蹴りをディオルの手首に当てた。
遠くに飛んでいくディオルのブロードソード。これで、ディオルの得意な剣は封じた。
「アアアアッ!」
「ウオオオッ!」
そして、勝負は無手での戦いに移行する。
僕の突きを、蹴りを、ディオルは躱し、ときには受けながら、彼もパンチを繰り出す。
十秒ほど攻防が続き、やがてそのときが来た。
ディオルにできた、ほんの僅かな隙。左手のガードが下がり、露呈した彼の顔面を、僕の右ストレートが捕らえた。
彼が崩れる瞬間、更に追撃の蹴りを入れる。
「ごふっ!」
血を吐き出し、ディオルは仰向けにダウンした。
僕はすかさず彼に跨がり、その顔を三度殴る。
ディオルの身体から力が抜けた。
「ディオル! 何でこんなことしたんだ!」
ディオルの血塗れの顔は、薄ら笑いを浮かべていた。
「わああああっ!」
怒りと悲しみ、混乱、戦闘での興奮、様々な感情が入り混じって、僕は咆吼を上げた。
腰からナイフを抜き、ディオルの顔の横に突き立てる。
「答えろよ! ディオル!」
『テメエ、さっき女湯の様子をチラチラ見てたよな?』
そんなディオルの言葉が蘇った。
あの言葉はおかしかった。僕はそんなことしてなかったのに、ディオルはまるで僕を陥れるような発言をしたんだ。
「ブローチの事件が関係してるの?」
ディオルは答えない。
けど、彼の眼を見ればわかる。答えはイエスだ。
その可能性を、全く疑わなかったわけではなかった。
けど、疑いたくなかった。信じたくなかった。
ディオルが僕をはめたんだ。ディオルが真犯人だったんだ。
「殺せよ」
ディオルは力なく言う。そして、次は叫んだ。
「殺ってみろ! 甘ちゃんのスナオちゃんよぉ!」
どうして……?
どうしてそんなことしたの? ディオル。
――ドン!
ディオルが僕を突き飛ばす。
仰向けに倒れた僕に、今度はディオルがのし掛かった。
僕の手を捻り、握られているナイフを僕の首元に近づける。
「愚図が! だから、テメエをはめたんだよ!」
僕はありったけの力を込め、近づけられるナイフに抵抗する。
「本当に……、本当にディオルが犯人だったの……?」
声が戦慄く。
「正確には、持ちかけたのはパルステラの人間だけどなぁ……! オメーはシスティナが上に行くのに邪魔だったんだとよ!」
「何でそんな話に乗ったんだよ!」
「テメエが弱いからだろうが! いつまで経っても弱いから、パーティが上に行くために仕方なく切り捨てたんだろうが!」
僕が、弱かったから。
その答えは、シンプルだった。いや、ディオルはいつだってシンプルだ。
あまりにも明確で正しいその理由に、僕は涙を流した。
最初はあんなに刺々しかったディオルが、パーティのメンバーと認めないと言っていたディオルが、あのパーティに居場所を見出してくれていたんだ。
「強くなったよ……、ディオル。僕、強くなった……。約束、今守るよ」
震える声で、ディオルに訴えた。
ディオルの眼が大きく見開かれる。
「だから、僕を仲間だって、認めてよ! ディオル――ッ!!」
かすれた声で叫んだ。力の限り。
その魂の雄叫びが、届いたかのように、再びディオルから力が抜けた。
ディオルは僕を見下ろし、上体を起こす。
「遅えんだよ……、ノロマが……」
彼の目頭には、涙が溜まっていた。
「ディオル……」
――ドス!
次の瞬間、ディオルの胴に一本の矢が突き刺さった。