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無音の娘と明星の王  作者: くら
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・ムファルシカ

 ムファルシカは族長である。

 だがしかし、つい先日、与えられた領地と新たに切り開いた地、それに伴い増えた民の安寧を熟考した上で、属していた国から完全なる独立を果たした完全なる一国の王でもある。


 今までならば族長兼封じられた王という身分であったがゆえに、声を失った妻をなんとか傍に置くことはできた。


 だが、これからはそうもいかない。


 新たな民や臣下は、身体に問題のある女は王の妾にもなる資格はないと声高に叫び、ついにそれは昔から彼に仕えてくれている家の娘たちにも影響を与えた。


 あの悲惨な事件を知らぬ、また知らされてはいない娘どもは、王が望んで妻に迎えた女を汚し、実父の目の前で貶めてみせた。

 それがどんな残酷なことなのか、それは貶められた本人と、その父でなければ真に理解できることなど無理であろう。


 インクの壺にペン先を浸け、引き上げ、羊皮紙の上に移動させ、その羊皮紙に書かれている文末に己の名前を記すだけの行為が、こんなにも苦しいのは初めてである。


 ここに一度でも己の名前を記してしまったのなら、二度とあの悲しくも愛おしい妻と触れ合うことは出来ない。


 季節の折々に神々に捧げる舞をみることも出来なくなる。


 無邪気にもう一人の母として甘える子供たちとの、穏やかで幸福な光景も失ってしまう。


 それでも、己はここに名前を刻まねばならない。


 ぷつりと、唇の皮が切れる乾いた小さな音が、執務室に一つ落ち、口の中に錆にも似た味が広がった。


 ほとり、ほとり、と頬に伝わる温かで、でもこれからは決して流れない雫が幾筋も流れる。


 夜明け前、声なき声で歌を捧げてくれた愛おしいつまよ。

 記憶を失いながらも、尊敬と愛を注いでくれた美しきつまよ。


 どうか、どうか幸せになって欲しい。

 

 こんな愛おしい女を一人も守ることも出来ぬ、愚かな王で、族長で、夫の甲斐性のない男が治める地など捨て、自由な鳥のように羽ばたき、幸せになって欲しい。


 既に別れは果たした。

 アニタは、男が告げた今生の別れの言葉に、僅かに瞳を揺らがせたが、すぐに立ち直り、この地を離れることを了承し、日の出と共に旅立つと意思を表し、別れの挨拶として額を地に額づかせ、透明な笑みを口元に浮かべた。


 執務室の、未だ生産量が少ない透明な窓からは夜明けを告げる忌々しい白い光が差し始め、鳥の煩い災厄にも似た囀りが聞こえる。


 呼気をぐっと飲みこみ、震えるペン先で己の王としての名を紙に記した男は、その瞬間、私情を完全に捨て、ただ王としてあることに人生を費やすことにした。


 民が望むのであれば、王として生きよう。 

 だが、それは男がムファルシカ(慈愛)を捨てることと同意であると言うことを、誰が想像できようか。


 こうしてただ一人、ひと家族がこの地を離れることにより、ザザは繁栄し、富むことになるのだが、族長であり、王である男とその第一位の妃とその子供らから美しくも温かみのある笑みが消えることとなってしまった。


 解き放たれた、声と言う翼を失った娘は、日の出とともにひっそりとザザから離れ、以後、行方を知るものはいなくなった。

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