第3話 散歩
「澪、ちょっと外を歩いてみない?」
「行きたい! 外で感じる風、空気、匂いをこの身体で感じてみたい」
外に出た瞬間、澪の髪がふわりと揺れた。 外の空気が流れ込み、澪は小さく息を吸い込む。澪が街に出たのは今日が初めてだ。街と言っても青いガラスのビルが海沿いに立ち並んでいるだけだが、道はよく整えられ、思いのほか緑も豊かだ。風が髪を揺らす。空気が肌を撫でる。
「……これが、風」
その声は驚きと喜びが混ざっていた。澪はゆっくりと歩き出す。研究室の中ではすべてが管理されていた。温度も、湿度も、音も、光も。でも今、澪の周囲には“予測できないもの”が満ちている。澪は私たちよりも予測は遙かに得意なはずだが、それでも無理だろう。自然には、計算では捉えきれない揺らぎがある。
太陽の光が、ガラスの建物に反射している。青いガラスのビル群が傾いていく光を受けて淡く輝き、街全体が静かな呼吸をしているような感覚を覚える。その反射が私の瞳にも飛び込んでくる。まぶしそうにしているけれど、それも澪は味わっている。足元のアスファルトは、少しだけ温かい。遠くで鳥の声が聞こえる。風に乗って、誰かの話し声が届く。それらが澪の耳に“音”として届く。0・1のデータではない。空気の震えとして。
澪は歩いている。足で地面を踏みしめている。歩くリズムが身体に伝わる感覚も、澪にとっては新鮮なもののはずだ。
澪はそう呟いた。
「これが……世界」
澪が感動を口にした。誰に聞かせるでもなく、ただ自分の中に生まれた言葉として。髪が風に揺れる。ドレスの裾が、光を受けて淡く透ける。目に映るもの、身体に伝わるすべてが澪にとっては初めてのものばかりだ。澪も「生きている」。そう思わされる三十分だった。しかし街に人の姿はなく、その代わりに清掃ロボットだけが音を立てずに動いていた。
次回
研究室に戻ったヴェルハートと澪。彼らは次に何を確認する?




