四
(ふむ、両手が弾け飛んでいるな)
(えぇ……)
改めて動かない自分の体がどうなっているのかを聞いたらグロい答えが返ってきた。
まあ馬車ごと吹き飛ぶ爆発だったし、魔術封じの枷があったからそこから先が無くなっていても不思議はないか。
感覚が無くなっていて良かった。というかよく即死しなかったな私。
(いろいろ聞いといてなんだけど、あんた、そんな状態の人間を回復させられるのか……?)
(俺を誰だと思っている)
(光の塊にしか見えないけど……)
(ん?ああ、認識阻害が働いていたか)
次の瞬間のことだ。プツリと脳内で何かが切り替わったような感覚があった。それは本当に一瞬のことで、目の前にあったその光は突然姿を変えたのだ。
驚いた、なんてもんじゃない。息をするのも忘れるくらい私は驚愕していた。
生き物の形として一番近いのは鳥だ。けれど私の知っている鳥とはまるで違う。
白く微かに発光する体、炎のように揺らめく羽、宝石を埋め込んだような赤い眼。私と同じくらいのサイズ感で魔物としてはそこまで大きくはないにも関わらず、魅入ってしまうような神々しさがある。
(幻獣フェニックス……!!)
(知っていたか)
本で読んだことがある。屋敷の書庫にあった数ある本の中のたった一冊。あの本には詳しいことは書かれていなかったけど、そういう存在がいることだけは知っていた。まさかお目にかかれる日が来ようとは。
(知っているなら話が早い。再生は俺の得意分野だ。やるぞ)
(えっ、ちょっ、そんな、)
そんな軽々しく使っていい力じゃない!
そう言いたかったが言わせてもらえなかった。
気付けば白い光の粒が辺りに広がっている。空から降っていた雨粒さえも光に書き換えられてしまったかのように。
それはやがてひとつひとつが羽の形になってゆっくりと舞い落ちていく。肌に触れると少しくすぐったい。不思議だ。さっきまで全く感覚が無かったのに。
ふと強い光が差し込み思わず目を細める。
慣れてからその光の先を見上げると、分厚い雲が広がっていた空が一箇所、まるで切れ目が入ったように破れているのがわかった。そこから差し込む光の美しさたるや。
無意識に空に伸ばした手は、しっかりと形を持っていた。
それは言葉では言い表せられないくらい幻想的な光景で、まごう事なき奇跡だった。
(起きられるか)
(……うん)
言われて体を起こしてみる。
すると私のいる場所に光の文字のようなものが浮かび上がっているのが見えた。それらは円の中に規則正しく並べられていて、どこか見覚えのあるそれに私はまた驚く。
「魔法陣……?あ、声が……」
喉に触れる。
感覚もあるし体温も感じる。
次に両手を顔の前に出してみると、吹き飛んでいたとは思えないくらい元のままだ。傷もない。
体をあちこち触っても特に怪我もなく痛みもない。
「…………生きてる」
そう実感した途端熱いものが込み上げてきた。
「っう、く……」
生きてる。生きてる。私はまだ生きている。そう思うと次から次へと涙が溢れて止まらなかった。
そうして自分もまた、ただの人間なのだと理解する。
この命を無駄にしたくない。もう二度とくだらないことで散らしたくない。誰にも脅かされたくない。
「傷は消したが無くした血液や魔力まで戻ったわけではない。それは数日食って寝ていれば戻るだろう」
「うん……わかった。ありがとう……ぐすっ」
「泣くな泣くな。さっきまでの威勢はどうした」
「仕方ないだろ勝手に流れてくるんだから…」
でも、泣くのはこれで最後にしよう。これからは身も心も強くなっていこう。
いつか本当の最期を迎えるその時に自分を誇りに思えるように。
「さて、幻獣フェニックス。さっさと契約を済ませてくれ」
涙がようやく枯れた頃。魔法陣も周囲の光も消え、分厚い雨雲の隙間から朝の気配を感じられるようになった。
私の望みは叶えてもらった。ならば次はそちらの番だ、と晴れやかな気持ちで向き直ると幻獣は何やら羽を使って考えるような仕草を見せる。
「その前に、その呼び方なんとかならんのか?堅苦しい」
「呼び方?他になにか呼び名でもあるのか?」
「いや……ああ、お前が適当に決めてくれていい」
「えぇ……うーん……」
堅苦しいのが気に食わないというなら短い方がいいのだろうか。確かにその方が私も呼びやすくはあるし……よし。
「それじゃあ、白いからシロで」
「適当にも程がある……」
そうは言いつつもすぐに「まあいい」と受け入れられたので、この瞬間から目の前の幻獣にはシロという愛称が付いたのだった。
でも、愛称。名前。そうだな……
「なぁ、私にも名をくれないか」
「それは俺のとは意味合いが違うな?」
頷く。
「もう戻る気はないんだよ。だから前のは必要ない」
戻らない。それは私自身が今この場で決めたこと。
努力も経験も女だからと認めてもらえないのはもう嫌だ。力や権力に屈するのも嫌だ。
これからは誰にも文句を言わせないような力をつけて、シロが示してくれた価値に見合う生き方をしていきたい。
そう思ってしまったから。
私は『アリシエル・シファン』を殺してこの先を進んでいく。
「あんたが拾ったんだから飼うなら名前くらい付けろよ」
少し生意気だったか?けど、これが私なりのお願いなんだ。自分のものは愛でるタイプだって自分で言ってたし聞いてくれるだろう?
そんな意味を込めて軽く挑発した笑みを向けてみるとシロは満足そうに笑った気がした。
「――エル」
「!」
それが聞こえた瞬間、目の前に魔法陣が現れて驚いた。瞬時にその音が自分の名前であることを理解する。
まるで昔からその名前で呼ばれ続けていたような、なんとも不思議な感覚である。
そして私は無意識に手を伸ばしていた。
手が触れると魔法陣はパッと弾け光の粒となって私の体に吸い込まれていく。
(ああ……これが……契約か……)
胸の奥にポッと火が灯ったような温かさを感じる。その熱はじわじわと体中を巡り、湯に浸かったような心地良さがあった。
「よし、終わったな。それでは行くぞ!」
「えっ?……はぁ!?う、うわあぁぁ!!」
何があったかって?シロが突然大きくなって、かと思えば座っていた木の枝から引きずり下ろされて、気付けばシロの背に乗って空を駆け上っている。
体の大きさ変えられるんだとか、炎っぽい揺らめきはあるけど熱くないんだなとか、それどころかこんなふわふわふかふかした手触りは生まれて初めての体験だとか、言いたいことはいろいろあったけれどとりあえず私はひたすら叫んだ。
やがて雲に突っ込み目をギュッと閉じて必死にシロの背にしがみついていると、急に瞼の向こう側が明るくなって――
「わぁ……!」
「どうだ。綺麗だろう」
「うん!すごい!すごいな!この世のものとは思えない!」
「そこまでか」
「そうだとも!飛行魔術はあれどこんな高度まで飛んだ例は聞いたことがない!もしかして人間でここに来るのは私が初めてなんじゃないか!?シロはいつもこんな景色を見ているのか!?」
「ああ。人間のことは知らんが俺の寝床はこの先だからな」
「えっ、こんなとこに寝床!?すごい!!」
「ふ、お前は興奮すると幼くなるんだな。面白い」
後で自分でも驚くくらい興奮していた自覚がある。それだけ雲の上の世界は私を魅了させたのだ。それはもう、胸が熱くて、体中が熱くて、目がぐるぐると回るくらいに。
「あ、れ……?」
「ん?……エル?……エル!?」
私の意識は一旦そこで途絶えている。