四十二、地底の琥珀湖
暗い空間をどれだけ落ちただろうか。
目から入る情報が何一つ無く、次第に大きくなってくる水の流れる音だけを聞きながら翼で落下速度を緩めつつ更に深く落ちていく。
深いとは聞いていたが想像以上に深い。そして驚くことに時折大型の魔物の気配を感じる。こんな場所にいったいどんな魔物が住み着いているというか。幸い距離は少し離れているようなので襲われることもないが油断はできそうにない。
それにしても。秋、冬の階層は発光する鉱物の影響でどこへ行っても明るかったのに、この辺りにはそれが全く存在していないようだ。せめて夜ならば現れる火の玉が灯りとなって視界を照らしてくれたかもしれないが、生憎今はまだ朝でそれも期待できそうにない。
いつまで落ちればいいのか、そもそも底は存在しているのか。なんてことが頭に浮かび始めた頃だった。
視界の奥で突然、キラリと何かが光る。
思わず翼を羽ばたかせて速度を緩め、そうしてゆっくりとその光へと近付いていく。
するとある瞬間にパッと視界の闇が開け、私はついにその光景を目の当たりにすることとなった。
「これは……」
琥珀の湖。
言葉にするならばそれが一番適切な気がする。
想像以上に広い空間。琥珀色に輝く地面。そこに溜まっているのは上の階層から流れてくる山の雪解け水だろう。水に濁りは無く、微かに発光する琥珀色の地面が光源となって周囲はそれなりに明るかった。
そんな湖の底が見えていることから水深はそれほど深くはないとわかる。しかし念の為、盛り上がって水中から突き出た地面に降り立つと、そこは引っ掻けば傷が付きそうなくらいの柔らかさだった。
「凄い。全部本物の琥珀でできているみたいに見える。コハクの甲羅と同じ色だ」
「これは紛れもなくわしの甲羅でございまする。この下には亡骸が眠っておりますから」
「え? ってことはつまり、私は今お前の亡骸の上に立ってるの?」
「は、はえ。わしは昔々に一度、姉様に殺されておりまして。その時のものでございますね」
言ってから肩にしがみついていたコハクがひょいと飛び出して湖に落ちる。そうして私の周りをスイスイと泳ぎ始める姿はとても気持ちが良さそうだ。
地上にいた時よりも伸び伸びとしたそんな姿に、コハクにとってこの湖は安心できる場所なのかもしれないとなんとなく思った。
それにしても、亡骸の上、か。
建国のお伽話でもコハクは双亀の片割れに殺されていることが語られていて、その時の亡骸がこの地面となっているものだとするのなら元は相当な大きさだということがわかる。と同時に私とシロの魔力感知が上手く働かない理由も判明した。
小さな方のコハクですら魔力感知に映らないのに、これだけ大きな本体がなんの影響も無いはずがない。幻獣らしく転生したとすれば別個体としてのコハクが存在していることにも納得ができる。
なんとなくしゃがんで琥珀の地面を手で撫でる私の肩にバサバサと翼を羽ばたかせて降りてくるシロの気配を感じた。どうやらルトやシンディも追いついてきたらしい。
「ある程度予想はしていたが、やはりこの国はそもそも双亀の亡骸からできたものだったか。この土地の生命が呪いを受けて生まれてくるのも、怨念に近い魔力がその辺を漂っているのも、全ては元凶がここに在り続けていることが原因だろう」
「それじゃあこの亡骸はまだ当時の怨念を宿したままなのか。少し可哀想な気もするけど……でも、干渉はしない方が良さそうだね」
気持ち良さげに泳ぐコハクを見る。こちらは怨念なんか欠片も持たないただの臆病でたまに脳天気な小亀だ。私が亡骸の方に干渉することでこっちのコハクに何かあっては大変である。
その呪いに悩まされているアズミがここにいれば話は変わったかもしれないが、私はこの国に暮らす者たちの救世主でもなんでもないのだから現状を変える気はさらさら無い。
「この場所のどこかにラグナのお母様がいらっしゃるのでしょうか? 建物のようなものは見当たりませんが……」
「ラグーンは精霊だから人のように家には住んでいないんじゃないかな? もしかしたら姿も隠せるかもしれない。探すなら本人よりも仕えているっていう巫の方がいいかもしれないね」
そんな二人の会話に私も立ち上がって改めて辺りを見渡してみる。
薄らと発光する琥珀の地面はかなり奥まで続いているようで、私たちが今いるのはその中央辺りだった。
地面の終わりからその先は見えない。壁も黒くここからでは先が続いているのかどうかすら判断ができなかった。
水の流れる音は尚も聞こえている。
私たちが降りてきた大穴の縁から落ちる山からの雪解け水がこの湖には流れ込んでいるのだろうがそれとは別の、もっと大きくてゆったりとした巨大な何かが這いずるような水の音。
「なんか、見られてる気がする」
そんな私の呟きにルトとシンディもそれぞれ頷いた。
「落ちている時も感じたけど、やっぱり周りに何かいるよね。襲っては来ないみたいだけど……」
「敵意というよりは観察されている感じ、でしょうか。今のところ危険は無いようにディは思います」
「私もそう思う。魔力感知が使えないのが厄介だけどここに居続けても何も変わらないし、とりあえず移動してみようか。二人とも私からあまり離れないように」
そうして私たちは琥珀湖の探索を始めた。私が結界で足場を作り、水の少し上を歩きながらの探索だ。湖の底に広がる双亀の甲羅は、場所によっては起伏が激しく直接歩くのは危険だったから。
とはいえ琥珀の地面から草や木が生えている場所があったり、突き上がった琥珀の中に死んだ魔物がそのままの姿で閉じ込められていたり、なかなかに面白いものを見た。
そして一先ずやってきた琥珀湖の終わりにあったものは、海だ。
ここは、暗い暗い海の底。
まるで周囲にガラス窓でも張り巡らされているかのように、湖の端っこで海水が途切れこの空間と海がパッキリと分けられている。明らかに自然現象でない。双亀の亡骸の影響なのか、それとも別の何かが原因なのかはまだわからないけど。
ただ、今この状態が崩れでもしたら、私たちは簡単に海の藻屑になりそうだとは思った。
「見られているな」
「うん。ずっと感じていた視線はこれだね」
肩にいるシロの言葉に頷いてから視線を上げていく。
暗い海の中に白くて巨大な何かがゆったりと動いているのが見える。大きすぎて体の一部しか見えないけれど、その体に並ぶのは綺麗な鱗。
記憶にあるドラゴンとよく似た——おそらくこれが龍だ。
どうやらこの琥珀湖周辺の海には、国の周りに海流を作り出している元凶がいたらしい。
龍の餌場とは聞いていたが、まさか本物がいるだなんて。場所が場所だけに少しだけ緊張感が増した気がした。とはいえ。
「幻獣の亡骸に龍まで出てきたか。これはもう何がいてもおかしくはないな!」
「は、はい! 海水がこちらに流れ込んできたらと思うと少し身構えてしまいますが、既に来てしまったのですから怯えていても仕方ないことですね! 龍もエルがいれば怖くありませんし!」
「あはは、二人とも前向きだなぁ……」
青い顔のルトには申し訳ないけれど、私はこの状況を大いに楽しんでいた。




