二百八
「信用してくれるのは嬉しいけどエルは人使いが荒いなぁってエラの魔法が言ってるよ!」
「それにしてもエルは随分と無茶な賭けに出たなってエラの魔法が言ってるよ!」
「信用って言えばそうなのかもしれないけど、エラならきっと私と同じことを考えるだろうなって思っただけだよ。無茶は今更だ」
地面に落ちた体を起こして、弾け飛んだ結晶がキラキラと落ちていく様子を横目に見ながら顔を上げた。ローブの中から聞こえる声はエラの言葉を届けてくれる精霊たちのもの。二人にも一瞬だが苦しい思いをさせてしまった。後できちんと謝らないと。
それよりも、今は先にやらなければならないことがある。
「一緒に来てもらうよ、トロップ」
紫色の魔力の中でじっとこちらを見ている女に告げる。その目は相変わらず怪しく光り輝いていて、何を考えているのかはわからない。
対して、ゆらりと立ち上がった私の周囲には白い魔力が霧のように漂っていた。足元にはラグナの使う魔法と同じ魔法陣が浮かび上がっている。エラの家の入り口に掘られていたものともよく似たこれは、異空間へ繋がる門とも言える。
これを私に繋げる為の準備をエラは進めてくれていた。合図をくれればいつでも発動できると聞いていたから今それを繋げたまでだ。鍵として選んだのは私の声で発するエラの名。これ以上に相応しいものが私には思い浮かばなかったから。
上げた視界の奥では徐々に白い光と化していく聖樹が映っている。元が空を突く巨大な木だ。明るく強い光は黒く染まっていた空を塗り直すかのようで、その瞬間その光景に目を奪われた者も多かったに違いない。聖樹に背を向けるトロップは一度も振り返らなかったけれど、光の出どころは容易に想像が付いたはずだった。
「どうしてかしらね。その名前を聞くだけで酷く腹が立つのは」
「ロキルとは対立することが多かったみたいだからそのせいじゃないかな」
魔力は記憶を宿すことがある。二千年が経ったとはいえ、ロキルの血と魔力を受け継ぐトロップがその感情を引き継いでいても不思議ではないと私は思う。これは何度か魔力を介して他者の記憶を見たことがあるからこその感覚なのかもしれないけれど。現に今足元の魔法陣から感じる魔力は聖樹のものだけではなく、あの男のものも含まれているのがわかる。
「……腹立たしい」
トロップがそう呟いた直後に上空から魔物の鳴き声が響いた。かと思えば一瞬にして空が黒に戻っていく。甲高い鳥の声。見なくても私にはそれがシロの声だということは伝わった。
あの神々しい幻獣がトロップの手の内にあるかのようでこちらも無性に腹が立ってくる。
止まっていた足を一歩踏み出せば、足を付いた箇所から発生した結晶に足が絡め取られていく。魔法陣から流れ込んでくる聖樹の魔力でそれを破壊。また進む。
思った通り。トロップの持つ魔力が私にとって毒だったように、私が今持つ魔力もこいつにとっては毒なのだ。互いに傷つけ合う魔力がぶつかれば勝つのがどちらかなんて、そんなのわかりきっている。当然魔力の強い方だ。
一歩一歩と踏み出す度に足元から這い上がってくる結晶を破壊し続け、女の目の前までやってきた私は躊躇うことなく手を伸ばした。両手で肩を掴んで押せば女の体は容易に地に沈む。
「やっと、届いた」
トロップは貴族だ。当然魔力を持っている。しかし魔術を極めてきたわけではなく、武器を持って戦うような戦士でもない。子供とはいえ魔術や剣術を好んで学んできた私に力で敵うわけがないのである。だから手を触れられる距離にさえくれば私が負けることはない。
それでも、ここへ来るまでにかかった時間と労力を思えばどちらが優れているかと単純に比べられるものではないのは事実だった。
「残念。わたくしの香りはもう消えてしまったのね」
「何度か死にかけたくらいには動き回ったからな」
「この血の臭い、わたくしは結構好きよ?」
「変人め」
仰向けに倒れたトロップを真上から見下ろすと、私の長い髪が垂れて地面に毛先が付いた。それが壁になって一瞬私たちだけが世界から切り離されたような錯覚に陥る。紫色に光る女の目はこの距離で見れば綺麗だと思えるから不思議だ。
「ねぇ、どうして予言をもっと使わないの」
正直この女がこんなにあっさり捕まるとは思わなかった。今も魔術を使っている気配はあるのに、である。
先程「届かない」と言ったトロップの言葉は直後に私が覆した。これが魔術による予言ではなかったからなのか、それとも私の方に覆せるだけの要因があったからなのかはまだ判断が付きそうにない。けれど使いようによっては私をこの場所に近付けないことだってできたはずなのに、おそらくトロップは意図的にそうしなかった。これを不気味に思わないはずがない。
「わたくしの魔術も万能ではないの。前にもそう言ったはずよ」
「何か条件があるってことか。他には無い特殊な力ってやつは厄介だな」
「貴女こそ、ここからいったいどうする気なのかしら。ダフディラート殿下はわたくしを殺すなと言ったのでしょう?その程度ではこの状況が収まらないことくらいわかっているのではなくて?」
「そこは同意するよ。あの王太子は何を考えているのかさっぱりわからないな」
とはいえ何もできないわけでもない。気休めにしかならないだろうが王城の倉庫から枷も拝借してきた。私は魔術を使うから手元に持って来ることはできなかったけどルトとシンディがそれぞれ幾つか持っている。あとはみんなが周りを片して駆けつけてくれるのを待つだけだ。残念ながら今の私にはトロップを捕まえておくことくらいしかできないので。
押し倒してからも私たちの周りには次から次へと結晶が生えてきていた。だからトロップも抵抗していないわけではないことはわかる。それでもこうして会話する余裕があるのはそれを上回る量の魔力がこの場に集まってきているからだ。
精霊たちに頼んで直接伝えたわけではないけれど、一度は遅れを取った私たちが同じ失敗を二度繰り返すわけがない。黒い魔力で生成された結晶は白い魔力をぶつけて相殺する。それが可能だと二人が同じ結論に達し、それぞれが行動を起こした成果が今のこの状況だ。思考が似通っているのは血の繋がりと言えばそうなのかもしれないな。
私とトロップが互いに口を閉じれば耳に入ってくるのはガラスが割れたような音だけだ。耳障りな音には違いないのに、不思議とそうとは思わないのは間近で交わる紫色の目に見入ってしまっているからだろうか。仲間たちが音の向こうで戦っていることは頭の片隅では理解していても、それ以上に魅せられる。これではどちらが足止めされているのかわからないではないか。
「お前、魅了も使えたりする?」
「どうかしら。でも、エルがわたくしを魅力的と思ってくれるのはいい気分。このままわたくしと遊んでみる?」
「…………今ゾワッとした」
「ふふ。やっぱりまだまだ子供ね。押し倒すなら意中の方にした方がいいわよ?そういう方はいないのかしら?」
「いるわけない。というかこの状況でよくそんな話ができるな……」
先程ほんの少し驚いた顔を浮かべていたものの未だに焦りは見られない。命を取られるようなことにはならないとは思うがこのまま捕まっていたら罪人として国王の前に引き摺り出されるとわかっているだろうに。それでも態度が変わらないのは言い逃れできる算段が付いているからなのか、それとも……
「——エル!」
ガラスの割れるような音に混ざって不意に聞こえてきたルトの声。咄嗟に剣を抜いた私は、襲いかかってきた剣をすんでのところで受け止めた。トロップから視線を逸らしてチラリと見たそこには傷だらけのウィンがいる。
「だって、」
その時、トロップの声音が今までのものとは違う雰囲気を纏っていた気がして。
「わたくしの従者がまだ戦っているもの」
「お前……っ!」
純粋な力で押し負けた私がその場から飛ばされる直前、女の顔に年相応の笑顔が浮かんだのを見てしまった。




