百八十四
ハッと目を開けた私の視界に広がったのは、何かで丁寧に磨かれたような滑らかな木の壁だ。加えて背中には硬い感覚。これが重力に従っているのであれば私は仰向けに寝転がっていることになる。それなのに空は見えず、風もなく、感じるのは覚えのある木の香り。視界がはっきりしているのは辺りを漂う白い光の粒が光源の役割をしているからだ。
ここは、明らかに外ではない。私は今どこかの空間の中にいる。それを認識した途端思い出すのは意識を失う前に共にいた二人の精霊と、仲間の処刑までに残された時間。血の気の引く思いでガバリと体を起こすと、目の前に広がったのは木の内部を繰り抜いて造ったような異様な街の光景だった。
天井が低い。子供の私が座っていてギリギリ頭が届かないくらいの高さである。そこに地面から天井まで繋ぎ目の無い柱のようなものがズラリと立ち並んでいた。その一つ一つにそれぞれ窓や扉のような穴があり、そこから見える柱の内部はそこそこ広い空間になっているらしい。家具のようなものまで置いてあるのが見えた。
そんな街を行き交うのは先程出会った二人の精霊と同じ、小さな人型の白い精霊である。あちこちを飛び回る精霊たちの数は最早数えきれないほどで、ざわざわと聞こえてくる喧騒は正しく街のそれだった。
聖樹の中に造られた、精霊の街。
言葉にするならこれが一番当てはまるだろうか。
私が今座っているのは街の中央付近。ぐるりと辺りを見渡してみると四方が木の壁に覆われていて外の様子も窺えそうにない。状況から察するに精霊のなんらかの力によって聖樹の中に引き摺り込まれたと考えるのが妥当な気がしてきた。
ああ、くそ。もっと警戒しておくべきだった。
今更後悔しても遅いことはわかっている。相手は会話のできる精霊だからと油断しきっていたあの時の自分に腹が立つ。例え敵意は無くとも何をしてくるかわからない相手であることに変わりはなかったはずなのに。
(あれからどれだけの時間が経ったんだ……シンディは……そうだ、トロップに交信を……)
そうして腰に手を伸ばしてみると、そこにはあるはずのものが何も無くて再びサッと血の気が引く。
――盗られた。
そう思った瞬間。私を中心に魔力が広がり、近くを浮遊していた精霊たちがわーきゃーと声を上げて飛ばされていくのを横目に見た。しかしその声は悲鳴と言うよりは歓声に近く、この状況を楽しんでいるとしか思えなくて、ならばいいかとそのままは魔力を抑えずに辺りに視線を走らせる。あの精霊――私をここに連れてきたと思われるテテとトトを探すために。
「わー!すごーい!」
「すごい魔力だー!」
こちらの心情とは真逆の聞き覚えのある無邪気な声はすぐに耳に入ってきた。瞬時に手を伸ばしてガシリと掴んだそいつらは、それでもきゃっきゃと楽しそうに笑っている。この状況で地を這うような声が出るのは仕方がなかったと思うのだ。
「……私の荷物をどこへやった?」
「荷物?剣ならあっちー!」
「袋もあっちー!」
二人揃って同じ方向を指差している。その方向に目を向けてみても同じ街の景色が続いているだけで、剣と袋がどこにあるのかはすぐにはわかりそうもない。
「大事なもの?エラの家に置いてあるよ!」
「無くさないように、エラの宝物と一緒に置いてあるよ!」
悪意を感じないその物言いは盗人のそれでは無くて、私は自分の勘違いにすぐに気が付いた。そして少し反省する。
ダメだな、どうにも焦りが先行してしまっている。ルトにも前だけを見ていていいと言われたばかりだったのに。それもこれも突然聖樹の内部と思われる場所に引き込まれてしまったからなのだけども。
それはともかく、二人の言葉を信じるならばどうやら荷物は無事であるらしい。それがわかって少し落ち着いた私は、溢れ出ていた魔力を引っ込めながらも今し方耳にしたその言葉に完全に意識が向いていた。
「エラの家?宝物?」
二人の言うエラという人物は、私と同じ容姿を持つ人間ではなかったのだろうか。何故こんなところに家がある。宝物ってなんだ。と、こんな時にも関わらず疑問と好奇心がむくむくと湧いてくるのはもう性分だと諦めることにしよう。私の荷物がそこにあると言うのなら結局は行かなければならないのだし。
「エラが造った一番大きな家だよ!」
「宝物がいっぱいで楽しい家だよ!」
「それだと物置きのようにも聞こえるんだが……まぁいいか。そこに行きたいんだ。案内してもらえるか?」
強く掴んで悪かったと謝りながら手を離せば、テテとトトはグッと両腕を上げて体を伸ばしてからくるりとその場で宙返りをした。どうやら怪我はしていないらしい。触った感じも柔らかくてシロのふかふかの羽にも少し似ていたから、もしかしたら簡単には傷付かない性質を持っているのかもしれない。それに加えて白い魔力で体が構成されていることを考えれば、シロと天使が同族であったようにこの精霊たちも同じ部類の存在であることは容易に想像が付く。できれば傷付けることなく穏便に済ませたいものである。
私の問いには二人揃って元気よく肯定を返してくれたので、そのまま私たちはエラの家とやらに向かうことになった。
「エラは人間なのか?」
「人間だよ!見た目と声は神様にそっくり!魔力はちょこっとエラの方が多いかもー!」
「トトたちはいっぱい飛ばされた!魔力が制御できないから人間の街には戻れないんだってー!」
「今の私よりも魔力が多くて、制御できないから聖樹に家を造って住んでいたって?そんな規格外な人間本当にいたのか?」
ただでさえ私と同じ容姿というだけで気味が悪いのに。そんなことを思いながら、天井の低い木の通路を手のひらと膝を地面に付けた四つん這いの状態で進んでいく。
前を飛ぶテテとトトの他にも視界には大勢の精霊の姿があって、そいつらも私の存在が気になるのかやたらと顔を覗き込んでくるから正直かなり進みづらい。何が気になるのかは知らないが、あちこちから髪を掴まれてちょいちょいと引っ張られている感覚もある。無邪気で遠慮がない精霊たちだ。追い払うのは面倒になってもう好きにさせているけども。
「エラは喧嘩が強くて〜」
「エラはなんでも知ってて〜」
「たまにパッて消えちゃって〜」
「パッて戻ってくるんだよー!」
「それ本当に人間か……?」
何故だろう。話が進んでいるように思えない。
そもそもそのエラがここにいたのはいつの話なのだろう。それを聞いても二人は「前」と言うだけで明確な答えは返ってきそうもなくて、おそらく精霊と人間の時間の感覚はだいぶ違うのだと思う。私をここへ連れてきてからどれだけ経ったのか聞いても「ほんの少し」と言っていたからこれはほぼ間違いない。つまり、聞いても無駄だということだ。
今わかっているエラの情報は私と同じ容姿、同じ声を持っているらしいこと。似た魔力だが私よりも量は多く、制御ができず人里にはいられなかったこと。聖樹に家を造って住んでいたこと。更に喧嘩が強く博識で消えたり現れたりすること。これはなんらかの魔術だろうか。思い返せば図書館にいたライブラも似た魔術を使っていたようだし、その可能性は有りそうだ。
あと気になることと言えば、その名前を聞いた瞬間にトロップが一瞬反応したことだ。あいつはきっとエラが何者なのかを知っている。そんな気がする。
「……シロも知っている人間なのかな」
なんとなく視線を上に向けて私はぽつりと呟いていた。
聖樹に住んでいたのなら幻獣フェニックスにだって遭遇していてもおかしくはない。しかもエラはエルという言葉に神様の意味があることを精霊たちに教えている。それをシロも知っていたとしたら。私にくれたこの名の由来は――
「あれだよー!」
「エラの家ー!」
言われて視線を落とした私は思わず息を飲んでいた。
この空間の端っこに他のものよりも広く造られている柱の家は、壁面にそれはそれは見事な魔法陣が大きく二つ彫られていたからだ。それも私が今までに見てきたどの魔法陣よりも複雑で細かく、けれど左にあるものは書かれている内容がなんとなくだが理解ができる。何故かと考えたのは一瞬で、その疑問の答えはすぐに出た。私が地下書庫で学んだクラヴィアの術式に似ている箇所が見られるのだ。
つまりこれは時間の魔術――クラヴィア・グランディという女が血と共に受け継いだグランディ家の魔術、その原型の魔法。
私はこの日、この場所で、自分の起源を知ることになる。




