眩しい朝と、隣のぬくもり
書き直しました
窓の外から、電子音をまじえた魔導小鳥のさえずりが微かに聞こえてくる。
遮光カーテンの隙間から滑り込んできた一条の朝光が、フローリングの床を白く照らし、浮遊する微細な埃をきらきらと輝かせていた。
「……ん」
近代的な魔導マンションの一室。
2LDKの、いつも使っているベッドの中で、照道雫はゆっくりと瞼を持ち上げた。
いつもなら、山育ちの野生の勘が夜明けと同時に弾かれるように彼女を目覚めさせる。
けれど今朝は、身体の芯に沈殿するような酷い気怠さと、それとは相反する、恐ろしいほどに澄み渡った五感が、彼女の意識を奇妙な浮遊感で満たしていた。
(……からだ,軽い。けど、なんか……違う)
自分の手のひらを顔の前にかざしてみる。
元から色白だった肌は、今や透き通るような磁器の白さを帯び、爪はほんの少しだけ、鋭く硬質に変化しているように見えた。
唇を舌でなぞれば、犬歯がほんの少しだけ、自己主張するように尖っている。
大氾濫の最中、あの子を救うために飲み干した禁忌の薬。
伝説の【吸血鬼の始祖】へと変貌を遂げた肉体は、人間のそれとは明らかに一線を画していた。
そして、それ以上に雫の心を激しく揺さぶったのは――隣から伝わってくる、圧倒的な『存在感』だった。
「……すぅ、……すぅ……」
寝返りを打つと、すぐ目の前に、懐かしい赤髪が視界いっぱいに広がった。
朝霧澪。
昨日――いや、日付が変わる前の激闘の中で、自分を命がけで守り、正式に『恋人』になった、世界で一番大切な少女。
始祖の感覚は、澪のすべてを恐ろしいほど鮮明に伝えてくる。
規則正しく上下する胸の動き。布団の隙間から漏れ出る、陽だまりのように温かい体温。
そして、ドクドクと健方に脈打つ、甘くて、どうしようもないほどに雫の理性を惹きつける、情熱的な血液の駆動音。
「……みお」
無意識に、その名前が唇から溢れていた。
いつもなら「お腹空いた」とか「丸太、刻む」とか、そんなことしか考えないはずの頭が、今は澪の寝顔を見つめているだけで、じわりと熱くなっていく。
恋人、という新しい関係の響きが、雫の胸の奥を甘酸っぱく締め付けた。
そっと手を伸ばし、布団から覗く澪の赤髪に触れてみる。
指先をすり抜ける髪の毛は、朝の光を浴びて、まるで本物の炎のようにきらめいていた。
その彼女が、今は完全に無防備な顔をして、雫のすぐ隣で小さな寝息を立てている。
(……みお。私の、恋人)
山での生活では、生きるか死ぬか、それだけがすべてだった。
誰かを特別に想うことも、誰かの隣でこんなに穏やかな朝を迎えることも、雫の人生には存在しなかった。
けれど今、雫の冷たい指先が澪の頬に優しく触れると、そこから伝わってくる生気あふれる熱が、雫の凍てついた過去をじんわりと溶かしていくようだった。
「……んぅ……」
頬に触れた冷たさが心地よかったのか、澪が夢見心地に眉を寄せ、雫の手のひらにすり寄るように顔を動かした。
その拍子に、ふわり、と、澪の首筋から甘い香りが立ち上る。
女の子らしい石鹸の匂い。
それに混ざる、ドクドクと力強く脈打つ血液の、あまりにも芳醇な匂い。
「っ……」
雫の喉が、自覚を伴って、ゴクリと鳴った。
吸血鬼の始祖。その肉体が、本能が、澪の血を求めて激しく自己主張を始める。
口の奥で、小さな犬歯がじわじわと熱を持ち、鋭さを増していくのが分かった。
無性に、あの白く滑らかな首筋に、自分の歯を立ててしまいたかった。
(だめ。……みお、痛い、するの、いや)
理性が本能の手綱を必死に引く。
しかし、五感が鋭敏になった雫の耳には、澪の規則正しい鼓動が、まるで「おいで」と自分を呼んでいるかのように、優しく響き続けていた。
雫は息を潜め、吸い寄せられるように、じりじりと澪の顔へと近付いていく。
お互いの鼻先が触れ合いそうなほどの至近距離。澪の吐き出す温かい息が、雫の冷たい唇を優しく揺らした。
「……しず,く……?」
その温もりに導かれるように、澪の長い睫毛がゆっくりと震え、琥珀色の瞳がうっすらと開かれた。
視界が交差した、わずか数センチの距離。
澪の琥珀色の瞳が、驚きで一瞬だけ丸く見開かれる。
そんな澪の反応を前にしても、雫は顔を遠ざけようとはしなかった。
ただ、じっと見つめ返したまま、小鳥のように少しだけ首を傾げて――。
「……おはよう」
いつもと変わらない、おとなしくて、少しトーンの低い声。
あまりにも無自覚で、あまりにも天然なその挨拶に、澪の心臓がドクン、と大きく跳ね上がった。
「っ……し、雫……!? ち、近い、近いよぉ……っ!」
完全に目が覚めた澪が、顔を一瞬で真っ赤に染めてシーツに沈み込む。
恋人になったばかりの朝。目が覚めたら、大好きな女の子の顔が目の前にある。それだけで、花の女子高生である澪のキャパシティは限界だった。
恥ずかしさのあまり両手で顔を覆おうとする澪。けれど、その手がピタリと止まった。
「……あれ?」
指の隙間から覗く、雫の顔。
いつもは静かな琥珀色をしている雫の瞳が、今は、朝光を浴びて、ほんのりと深い紅色に潤んでいる。
かすかに開いた形の良い唇の隙間から、ツヤリとした、小さな白い牙が覗いていた。
「雫……その、お目目……と、あと……」
澪の声が、小さく震える。
それは恐怖からではない。大氾濫の最中、自分を救うために雫が飲み干した、禁忌の薬。伝説の【吸血鬼の始祖】へと変貌を遂げた代償。
「……喉、かわいた?」
澪の言葉に、雫は小さくパチパチと瞬きをした。
図星を突かれた山育ちの少女は、嘘をつくことも知らず、こくりと素直に頷いた。
「……うん。水、じゃない。みおの、ここが……すごく、いい匂いする」
雫のひんやりとした指先が、澪の、熱を帯びた首筋にそっと触れた。
「ひゃうっ……」
敏感な場所を優しくなぞられて、澪の身体が、可愛らしく小さく跳ねる。
いつもならツッコミを入れるはずの澪だったけれど、雫の潤んだ深紅の瞳に見つめられて、言葉が喉の奥につかえてしまう。
(しずく、本当に……吸血鬼になっちゃんだ)
自分のために、伝説の始祖となった雫。その雫が、今、自分を求めて喉を鳴らしている。
そう気付いた瞬間、澪の胸の奥に、恥ずかしさを遥かに超える、愛おしさが濁流のように押し寄せた。
「……いたいの、いや?」
雫が、少しだけ不安そうに眉を寄せる。
大好きな澪を傷つけたくない。そんな雫の優しさが、その短い言葉から溢れていた。
「……ううん。痛くても、いいよ」
澪は、はにかむように小さく微笑んだ。
そして、恥ずかしさに耐えるように、瞳を少しだけ潤ませながら――。
自ら、長い赤髪をさらりと手でかき上げて、白く滑らかな首筋を、完全に雫へと曝け出した。
「雫になら、私……いくらでも、あげる」
「……みお。ありがとう。じゃあ……いただきます」
野生児らしい生真面目さで、コクンと一瞬だけ頭を下げてから。
雫はゆっくりと、澪の細い首筋へと顔を埋めていった
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