〈漂泊の太陽〉
クノク砦の戦いの後、しばらく。
谷底へと落下としたと思われるアランロドとカロス王の捜索が行われたが、結局二人の遺体は発見されることはなく、消息不明のまま捜索は打ち切られた。
カロス王が行方知れずになったことで、十年間欠番とされていた第七師団は王国軍へと復帰し、ディンデルも王都にいるハルミカたちのもとによく訪ねてくるようになった。
エーディーンの空いた王位についてはナーザの強い薦めもあって、大叔母のグラチアが次期女王として即位することが早々に決められる。
これについては、あまりハルミカは納得していない。
崩壊したクノク砦の視察に訪れていたハルミカは、こっそりとアナム心臓城を抜け出して己について来たナーザを半眼で見ながら、小さく息を吐く。
「我らは、ナーザを王とするためこの砦で戦ったというのに……グラチアに王位を引き渡すとは何事か。グラチアの得た益が大きすぎる」
「ハッハッハ! その話、もう何百回目じゃ。ハルミカ」
ハルミカの隣まで馬を進めてきたナーザが、朗らかに笑う。
目の呪いが解けて、もう随分と見慣れてきたナーザの顔は、いつ見ても安心感がある。ディンデル曰く、ナーザは「可愛い童顔」というものらしく、ハルミカの方がよっぽど兄に見えるらしい。
だが、ハルミカは鏡で己とナーザの顔を見比べてみても、ナーザの方が兄らしい顔をしているようにしか思えなかった。
「俺が王に成るには、まだ時期尚早ということじゃ。俺は帝王学すら学んでおらん、軍人上がりじゃからのお。そんな半端者、他の王族や諸侯が王として認めるはずがなかろう? ただでさえ五体満足ではない身じゃあ。王子である間に、まずは王として身に着けていて当然の学を学び、更には俺を気に入らんだろう諸侯たちを口説き落とす——何せ、俺が成るのは掟破りの王じゃ。今のままでは足場がぐらぐらで、すぐに総崩れしてしまう。俺が治めるエーディーンは頑強な一枚岩にしたい。王として、立場も盤石にしておきたいからのお。そのために、今しばらく時間が必要というわけよ」
ナーザが白い歯を僅かに覗かせながら、悪戯っ子のように片目をつぶって見せる。
「それに、グラチア大叔母上は相当の辣腕家じゃ。カロスがここ十年で滅茶苦茶にしてくれたエーディーンの法も、あの方ならばきっちり整えてくださる。俺以上にな。そのうえ、大叔母上には退位の際に、次なる王は〈銀腕のナーザ〉と宣言してもらうという誓いも立ててもらったゆえ。その方が、俺も王となった時やりやすくなるはずじゃ」
「つまり、グラチア陛下にカロス王の後始末を押し付けて、その後に自分は楽して存分に、思うがままの政をしてやろうという魂胆ですね。神経図太すぎるでしょう。グラチア陛下、絶対ナーザ殿下のことお嫌いでいらっしゃいますよ」
ハルミカの隣へと、イルダナが歩いてきた。
イルダナの顔は……何だか、変だ。顔を合わせる度に、ハルミカはいつもそう思ってしまう。だって、イルダナは確かに仮面でもつけているかのように表情が微塵も変わらないのだが、見る度に違う顔に見えるのだ。子どもに見えたり、男に見えたり、女に見えたり、どこか掴みどころのないような、さまざまな顔。
故にイルダナの顔は、変な顔。ハルミカは最近、そう結論付けた。
イルダナは「未来の〈太陽王〉、ずる賢いにも程があります。おお、何と末恐ろしい……」と真顔のまま、大袈裟に肩を竦めて見せる。そんなイルダナに、ナーザがにやりと笑みを浮かべて、馬から身を乗り出した。
「おォ、流石はイルダナ。俺のことをよくわかっておる。俺の口説きの対象には、勿論そんなお前も入っているぞ。俺が王に成るまでには、必ずやお前を俺の還し屋として口説き落としてやるからのお? 覚悟しておけ」
「絶対に嫌です。何度断れば気が済むんですか」
「ハッハッハ! 俺をお前にベタ惚れにさせたのが悪い。諦めろ。俺は惚れた相手は逃がさん」
「厄介すぎるでしょう。この人誑し太陽王子」
ナーザは「じゃあの、イルダナ」と軽快に笑って、馬を方向転換させると、ハルミカとイルダナから離れてゆく。遠くで「おい。見てみろ、ナーザ殿下! 可愛い子ウサギだ! 可愛い!」「おォ、可愛い。可愛い」というカシュガルとナーザの二人がはしゃぐ声が聴こえる。
ハルミカは小さく息を吐いた。おそらく、ナーザもカシュガルも自分に気を遣って、イルダナと二人きりにしてくれたのだ——イルダナはこれから、以前と変わらず、還し屋稼業を続けながら大陸中を旅するらしい。今日の視察は、イルダナが旅立つ日でもある。
イルダナが、少し先にある小高い丘の上へと徒歩で登って行く。ハルミカも馬を降りて、その後をついて行った。
丘の上に立ったイルダナは、クノク砦が崩壊していった底の見えない谷を静かに見下ろしている。その隣にハルミカは並んで、同じく谷を見下ろしながら静かに呟いた。
「結局、アランロドは何がしたかったのだろうか……何が、奴の真の目的だったのだろうか。最後までわからぬままだったな」
「そうでもありませんよ」
イルダナは淡々とハルミカに答える。
「カロス王を研究し、利用して、世界を滅ぼしたいという欲求はあったに違いないと思います。ですが、あの男の魂はいつも裏腹で、ままならないものですから……私やハルミカたちに、己を止めて欲しかったのかもしれません。おそらく、我々とカロス王が対立した今回の一件は、最初から何もかも全て、アランロドによって仕組まれたものだったのではないかと」
イルダナがどこか確信を得たような口調で言い切って、「そういえばあのカス、奴隷市での別れ際に〈巨いなる王〉の歌を口笛で唄ってましたね……あれは所謂、この一件に関する預言のようなものだったわけですか。洒落臭い」とぶつぶつと独り言ちる。そして、呆れたようなため息を零した。
「まず、十中八九、見世物奴隷になった私の情報や居場所をカシュガルに流したのもアランロドですよ。そのうえ、隣国にいた私をご丁寧にエーディーン王国の奴隷市にまで売り飛ばしてくれましたし。つまり私とハルミカは、アランロドのカスのおかげで無事出逢うことができたというわけですね——本当に相変わらず、彼の心は裏腹で、用意周到なところが面白い限りです」
「そうか。奴のおかげで僕たちは……ならば、そこだけは感謝してもよいな」
ハルミカは流し目でイルダナを一瞥して、短く問う。
「イルダナは、また……アランロドを捜し続けるのか。旅の中で」
間髪を容れずにイルダナが首肯した。
「はい。そのつもりです。アイティナラント・ルグ探しのついで、ですが」
「奴は生きていると、信じているのだな」
「信じているといいますか。あれぐらいで死に腐る玉じゃないんですよ。あのカス野郎は。地獄の果てまで行ってでも捜し出して、文句を百回ほどは叩きつけてやらないと。私の気が済みません」
ハルミカは「そうか」と相槌を打ちながら、いつまでもイルダナのような者に付き纏われると思うと恐ろしいな、と内心で本音を独り言ちる。
何かを恐ろしいと思えるようになったのも、イルダナのおかげだ。イルダナがいたからこそ、恐怖というものを抱いたままでも良いのだと、恐怖と共に生きることもできるのだと気付かされた。
様々な意味で、イルダナという人物は末恐ろしいものだと、ハルミカは何となく思う。
イルダナといると、かつての自分が否応なく大きく変えられてしまって——別の自分に生まれ変わるような。そんな体験を、何度もするのだ。
ふと、ハルミカはイルダナの口から出た「アイティナラント・ルグ」の単語に、ずっと胸に秘めていた疑問をぽろりと吐露する。
「そういえば、本当に僕は——アイティナラント・ルグ、なのだろうか」
「そうかもしれませんし、そうではないかもしれません。きみがアイティナラント・ルグであるというのは、あくまで大陸の学会各所で挙げられている仮説の一つですから」
イルダナの何とも言えない答えに、ハルミカは訝しんだ目をイルダナに向ける。イルダナがちらりとハルミカを見返して、小さく鼻を鳴らした。
「いつか私が必ず突き止めて見せますよ。アイティナラト・ルグの正体と真実——そして、かの至宝を手に入れます。アランロドがくれたこの夢と浪漫は、私の生きる指針ですから。その夢を叶えるためにも、そろそろ久々に他の還し屋の兄弟子たちと情報共有しておきたいですね。私の兄弟子たちは色んな人がいるのですよ? 宮廷道化師だったり、神話時代の医術師だったり、殺し屋だったり、異端の考古学者だったり、英雄だったり……」
どこか楽しげに語るイルダナ。
今なら——いける、かもしれない。
ハルミカはそんな衝動的な思いに駆られて、今までずっと言いたかったことを、思い切って口にした。
「報酬についてだが」
少し、声が震えた気がする。裏返っていないならいい。
そんなハルミカの緊張も知ってか知らずか、イルダナはハルミカに顔を向けて、不思議そうに首を傾げた。
「? 金銭はたっぷりいただきましたが」
「それともう一つ、あったであろう——アイティナラント・ルグ、が」
ハルミカの硬い声に、イルダナは「ああ。確かに」と淡々と頷く。
ハルミカは何度か小さく深呼吸をして、ぎこちなく口を開いた。
「アイティナラント・ルグは報酬としてイルダナに直接渡せなくなったが……代わりに、その……アイティナラント・ルグやもしれぬ僕が、イルダナの友人に……なって……やる」
後半は、ずいぶんと尻すぼみな声になってしまった。ハルミカ自身も、たった今、自分がどんな言葉を口に出せたのか半ば理解できていない。
しかし、ちゃんと、己の心がイルダナに伝わっていればいいと、思う。
「……どうだ」
一度間を置いて、ハルミカは再び問いかける。すると、微かに一瞬イルダナが目を丸くしたかと思えば、相変わらず無機質な声を淡々とハルミカに刺してきた。
「成程。確かにハルミカ、友人の一人もいなさそうですしね」
「……」
「図星ですか」
やはり、こんな何を考えているのかよくわからない表情筋死滅生物、鉄仮面人間に、こんなこと言わなければよかった――とハルミカが内心で毒づいて、後悔している最中。
イルダナが微かに笑いの混じったような吐息を小さく吐き出して、頷いた。
「それでは、有難くいただきます。ハルミカが真のアイティナラント・ルグだとしたら、手に入れておかないといけませんからね。……というか、ハルミカがアイティナラント・ルグであろうがなかろうが。私はとっくの前からきみを友人だと思っていましたので、今更何だか可笑しな心地もしますが」
想定外のイルダナの答えに、ハルミカは思いがけず大きく目を瞠ってしばらく唖然としていたが、すぐに半開きになっていた口を閉じて、小さく頷き返す。
「そう、だったか……ならば、いい」
「はい。そういうことで、これからも友人としてそこそこよろしくお願いします。ハルミカ。私がエーディーンで法を犯した際には、友人として見逃しまくってくださいね」
「それは断る。法を犯すな、戯け。何かしでかせば、たとえ友人であろうと殺しにゆくぞ」
「くわばら、くわばら」
イルダナが抑揚のない声でそう繰り返して、丘を下り始める。
そろそろ、イルダナが旅立つのだ。
それを悟って、ハルミカはイルダナの背中を追いかけながら、最後にもう一つだけ訊きたかったことを尋ねる。
「気になっていたことがある。ゆえに、最後に教えよ」
「何です?」
「アイティナラント・ルグとは——いったい、どのような意味だ?」
ナーザに聞いた話によると、確か「アイティナラント・ルグ」とは太古の古い言葉らしい。長年アイティナラント・ルグを探して旅してきたイルダナであれば、その意味も知っているかもしれない。
そう考えたハルミカの期待に、イルダナは見事に応えてくれた。
「ああ。意味は——〈漂泊の太陽〉」
イルダナは語る。
このラナリエン大陸では〈太陽〉とは最も尊き存在であり、〈王〉。
アイティナラント・ルグはその王たる太陽と、同等の力を持つと云われている。
しかし、大空という玉座に変わらず君臨し続ける〈太陽〉とは違い、伝承によっては姿かたちを無数に変え、世界と時代をも巡り、今も気まぐれに漂い続けている——それこそが、〈漂泊の太陽〉なのだと。
「ゆえに〈漂泊の太陽〉――かの至宝には、ぴったりな呼び名だと私は思います」
そんなイルダナの話を聞いて、ハルミカは思わず小さく鼻で笑ってしまった。
「無数の姿かたちを持ち、もしくは変化し続け。世界を気まぐれに漂う太陽——まるで、イルダナのようだな」
ハルミカの言葉にイルダナが立ち止まって、ハルミカを振り向く。その目は、どこか揶揄うような、面白がるような色を湛えて、悪戯にきらめいた。
「おお、大胆なことを口にしますね。私にプロポーズですか?」
イルダナの揶揄いが存分に混じった返しに、ハルミカは思いがけず固まる。
「……は? なにゆえ、そうなる」
「『きみは太陽のようだ』とか『きみは僕の太陽』とか。そういう言葉は古くから、エーディーン流の最上級の愛の告白ですよ」
「は? な……! 違う! 僕はそのようなつもりは、断じて……!」
「はいはい、解っていますよ。ハルミカは世間知らずで初心な坊やですから。知らずとも仕方のないことです」
ハルミカの必死の形相に、イルダナが肩を竦めて見せながら、再び歩き始める。
それがどうにも気に食わなくて、ハルミカは鼻を鳴らしながらイルダナの隣へと走って追いついた。
「……馬鹿にしおって。見ていろ。王立学院に入学したあかつきには、イルダナ以上の知識を身につけてみせる」
「楽しみにしています。精々、未来の太陽王をお支えする立派な王弟殿下に成長なさってください」
ハルミカは隣を歩くイルダナへと、生真面目に尋ねる。純粋に、気になったのだ。
「イルダナにはおらぬのか」
「何がです」
「イルダナの太陽」
「……そうですね。私の太陽も、アイティナラント・ルグと共に探し求めている最中なのかもしれません。どちらも見つかるとは限りませんが。まあ、いつかどちらも見つけ出しますよ。気長に」
イルダナが、流し目でハルミカを見上げてくる。
橙色をしたイルダナの暁の瞳が、とろりと煮え滾るように熱っぽく溶けて、色とりどりの火花が弾けたような気がした。
「私は世界一の怖がりですが。同時に、世界で一番欲張りな還し屋だと。今回の還しの依頼で気づきを得ましたので。欲しいものは獲りに行きます。戦うことになろうとも、恐怖を手に」
イルダナの薄い唇の端は、微塵も上がっていない。そのはずだというのに、ハルミカには一瞬だけ、イルダナがどうしようもない激情を迸らせるような、そんな壮絶な笑みを浮かべていたように見えて仕方がなかった。
「……やはり末恐ろしい奴だ。イルダナは」
ハルミカは独り言ちる。
イルダナの底知れぬ笑みを垣間見ようとも、隣を歩くイルダナの無表情極まりない横顔は、あまりにも艶やかで、無邪気で、あどけなく美しくも思えるので。
やはりハルミカは、生まれて初めてできた己の友人が、心底恐ろしい奴だともう一度身に染みて思い知ったのであった。
その眩しさに惹きつけられ。直に触れてしまえば跡形もなく燃え上がって、焦がされてしまいそうな——まるで、太陽のような人間だと。
そう思わずには、いられない。
【第一部完】




