最終話 救い
手紙の枚数は十枚だった。
アップリケの数とちょうど同じ。
どれも拙い手紙だった。
内容もさることながら、ところどころ涙を滲ませたカピカピの場所があって、とても楽しい人間が描いたとは思えない出来だった。
でも、やけに擦れた跡や折れた跡があって、それはきっとスプリさんがつけた跡だった。
何度も何度も読み返してくれたのだと思えて、新しい滲みを作ってしまう。
「ちゃんと……読んでてくれてたんですね……」
嗚咽に跳ねる胸に手紙を押し当てて、彼女の愛情を抱きしめる。
「うああああ……!」
僕は大声で泣いた。
落ち着いてから、床下にある全ての宝石箱を取り出して床に並べた。
三十五個。
それらの中に、僕の手紙と同じ数のアップリケが入っていた。
スプリさんは、僕から手紙が届く度に、アップリケを作ってくれていたのだ。
それが十個溜まったら、キレイな箱にしまってくれていたのだ。
なんて愛らしくて、健気なんだろうか。
僕の知らない十年間の彼女は、僕の知っている彼女と何一つ変わらない。
僕は何度も涙をぶり返しながら、箱の中身一つ一つに想いを馳せた。
ある手紙には、僕が大鷹の卵を見つけた日のことが書いてあった。
同じ箱の中には、卵のアップリケが入っていた。
卵型じゃなくて、黄身と白身の丸い刺繍。
僕は空を飛ぶことを夢見たけれど、彼女は卵焼きが大好きだから、お腹が空いちゃったのかな。
可愛くて、泣き笑い。
ある手紙には、僕が魔法を勉強していることが書いてあった。
同じ箱の中には、丸顔のネコがにっこり笑うアップリケが入っていた。
マルにそっくりで、思わず笑ってしまう。
僕が魔法のことを書いた日は必ず同じアップリケで、魔法のことが好きなスプリさんらしい。
ある手紙には、僕が初めてワイバーンを倒した日のことが書いてあった。
同じ箱の中には、葉っぱのアップリケが入っていた。
僕をワイバーンから救ってくれたあの日と同じ、葉っぱのアップリケ。
僕の唯一の宝物が、ちゃんと彼女の頭の中にあったのだと、嬉しかった。
ある手紙には、フィユル島での出来事が書いてあった。
同じ箱の中には、桃色と黄色の花のアップリケ。
彼女が想像して作ってくれた日月花なのだろう。
別れを思い出して、泣いた。
泣いたり、笑ったり、一つ一つに感情を揺さぶられた。
どのアップリケも、どの手紙を読んで作ってくれたのかすぐに分かった。
彼女の息遣いが聞こえてくるようで、隣で一緒に読んでくれている気がした。
三十五番目の箱に手をつけた頃には、とっくに空が白み始めていた。
にわかな明かりがぼんやりと部屋を色づけて、その色に僕は、生きていると感じた。
マルは僕の傍で裏返って眠っている。
本当は膝の上で眠らせてあげたいけれど、何度も起こしてしまうと悪いから、上着を敷いてあげた。
最後の箱のアップリケを一つずつ床に並べる。
広葉樹、赤い鳥、雲、白い犬、葉っぱ……
この頃はとにかくワイバーンを狩り回っていたから、僕が見た世界中の面白いものを紹介する内容の手紙を書いていたと、思い出す。
一緒に見て回りましょう。
もうすぐ会いに行きます。
大人になりました。
目前に近づく再会に心躍らせ、そんな言葉を並べていたのを覚えている。
つい最近のことだから、アップリケを見ただけで、どの時の手紙に対するものなのか分かる。
最後のアップリケはなんだろう?
そんな気持ちで十個目のアップリケを拾い上げようとした時。
指先が空気をすり抜けて、非情な現実を掴む。
最後に手紙を送ったのは五十日前だった。
だから、彼女の元に届いた時にはもう……。
冷たい涙がこぼれ落ちて、一番上の手紙を濡らす。
どれだけ彼女の暖かみに触れようとも、スプリさんはもういない。
手に掴むはずだった最後のアップリケは、走馬灯の中に消えたのだ。
でも、手紙はなぜか十枚あった。
もし手紙が届いていたのであれば、スプリさんならものの数時間でアップリケを作り終える。
それなのに、十枚目がきちんと宝石箱の中に納めれられていた。
違和感を覚えて、届かなかったはずの三百五十枚目の封筒を取り出す。
すると、封筒に必ず書いてあるはずの宛名も住所も書かれていなかった。
糊付けもされていない真新しい封筒。
封筒と傾け、中身が手のひらに滑り落ちる。
「――!」
言葉にならなかった。
手のひらに降りた封筒の中身は、便箋。
でも、これまでの三百四十九枚と明らかに違う。
僕の字じゃなかったのだ。
だから、きっと。
スプリさんの字。
これは、スプリさんが書いて、そして送ることの無かった、最初で最後の手紙。
聞き覚えのある、とても痛ましい言葉から始まった。
【三百五十枚目】
私には膣がありません。
だから、あなたの好意には応えることが出来ません。
そう書いてあなたに送ることが出来たならば、どれだけ良かったでしょう。
私を初めて好きだと言ったあなたは、まだちっちゃな子供でした。
きっと、私の言葉を理解出来なかったのだろうと、今は思います。
でも、私は嬉しかったのです。
お父さんやお母さん、故郷の皆が居なくなって、寂しくて辛いはずのあなたが、私のことを元気づけてくれようとしたことが、本当に嬉しかったのです。
だから、馬に乗っている間、アップリケを縫いました。
あなたがくれた好きを、感じた嬉しさを、形にしたかったのです。
街に着いた後、あなたは泣いちゃうのを一生懸命我慢して、笑ってほしいと言ってくれました。
お嫁さんになってほしいと、言ってくれました。
迎えに来てくれると、言ってくれました。
私は、ずっと人とちゃんとおしゃべりしてなかったから、笑ったりできなくなってたから、どうしてもありがとうって、言えませんでした。
だから、あなたにありがとうの気持ちを込めて、アップリケを贈りました。
次の週、あなたは本当に最初のお手紙をくれました。
嬉しくて泣いてしまいました。
何度も何度も読みました。
その度に泣いてしまいました。
泣きながら、アップリケを作りました。
本当に迎えにきてくれるのかもって思いました。
けれど、同時に怖かったのです。
私はあなたを喜ばせることが出来ないからです。
きっとあなたはがっかりしちゃうと思って、そう考えたら悲しくて、また泣きました。
だから、私はあなたがくれたお手紙に、お返事を返すことが出来ませんでした。
本当にごめんなさい。
それでも、あなたは毎週お手紙をくれました。
全部のお手紙に、私のことが大好きって、書いてくれました。
助けてくれてありがとう、って書いてくれました。
お嫁さんにしてくれるって、待っててねって、書いてくれました。
次のお手紙が来るのが、楽しみになりました。
死にたくなくなりました。
生きてたいなって、思うようになりました。
毎日、笑う練習をするようになりました。
人とお話する練習をするようになりました。
寂しくなくなりました。
眠れるようになりました。
泣かなくなりました。
笑えるようになりました。
今も、あなたに会うのが少し怖いです。
でも、もっとあなたに会いたいなって思っています。
お手紙はどうしても出せないけれど、あなたが会いに来てくれたら、頑張ってちゃんとお話ししようと思います。
それで、もしあなたが、こんな私を許してくれるのなら、
あなたのお嫁さんになりたいです。
あなたのお嫁さんになれたら、一緒に朝ごはんを食べたいです。
毎日私が作ってあげたいけれど、あなたのごはんも食べてみたいです。
あーんってして、あなたがおいしいねって言ってくれたら、きっと幸せです。
お昼になったら、一緒にお出かけしたいです。
ピクニックに行きたいです。
お空も飛んでみたいです。
可愛い服を着て、お買い物もしたいです。
お外でお泊りしたいです。
海にも行きたいです。
お花畑も見たいです。
色んなところを、手を繋いで歩きたいです。
楽しいねって、二人で笑いあえたら、きっと幸せです。
夜になったら、お家で一緒にいたいです。
エッチなことは出来ないけど、その代わりにいっぱいぎゅーってしたいです。
あなたが泣いちゃいそうな時は、私がぎゅってして、よしよしして、寂しくないよって言います。
私が泣いちゃいそうな時は、あなたがぎゅってしてくれたら、寂しくないねって笑います。
それで、もし二人が幸せだねって思えたら、ちゅーもしたいです。
いっぱいいっぱい、したいです。
本当はあなたの赤ちゃんがほしいです。
でも、私は赤ちゃんが産めません。
だから、もし一緒のお家で暮らせたら、ネコちゃんを家族にお迎えしたいです。
実はお家の近くにネコちゃんがいて、お話する練習に付き合ってくれました。
あの子を二人でお世話して、可愛いねって言いたいです。
あなたとしたいことがいっぱいあります。
あなたの人生は私よりもきっと早く終わっちゃうから、その間に私の一生分の愛を贈ります。
そうやって私がもらったたくさんの愛をあなたにお返しして、あなたが幸せだったね、って言えるような人生を一緒に送りたいです。
あなたに会える日をずっと楽しみに待っています。
大好きなグラフトくんへ。
スプリより、たくさんの愛を込めて。
僕はたくさんの時間をかけて、スプリさんの三つめの言葉を受け取った。
何度も目の前が水に潜ったみたいになって、その度に手紙が濡れないようにして、大声で泣いた。
何度も何度もそうして、外がはっきり明るくなって、ようやく読み終えてから、決して枯れることのない涙を流しながら、呟いた。
「全部……やったよ……? 全部やったんだ……。 朝ごはんは何度も一緒に食べた……。 ピクニックも、買い物も、お泊りも……やった……。 空も飛んだし……海も花畑も見た……。ぎゅーってしてくれて、ぎゅーってして、ちゅーもした……! たくさんたくさん……やったんだよ……?」
僕は、救えてたんだ。
走馬灯に入る前の彼女を、笑わせていたんだ。
幸せに出来ていたんだ。
彼女のしたいことを全部やって、彼女は幸せに逝けたんだ。
僕が生きてきた意味は、彼女が救ってくれた意味は、ちゃんとあった。
「いぎでて……よかったぁ……!」
また、大声で泣いた。
彼女の体温をそこに感じながら、マルを二人で抱きしめて、泣いた。
僕は、スプリさんが好きだ。
スプリさんを笑顔にするためなら、幸せにするためなら、なんでも出来た。
だから、僕にとって世界はその為だけにあって、彼女のいない世界は、僕が生きる場所じゃなかった。
でも、この時になって、ようやく思い知った。
スプリさんが救ってくれたこの命は、悲しみに暮れて死ぬ為のものじゃない。
スプリさんがくれたたくさんの愛を抱えて、幸せいっぱいに生きる為のものなんだ。
涙を拭って、立ち上がる。
外に出て、僕達の家を仰ぎ見ながら、三歩下がる。
「マル、お出かけしようか」
「ンゥ~」
今すぐスプリさんに会いたい。
スプリさんに会って、幸せだったよ、って伝えたい。
でも、今はたった十八年分しか話せないから。
「お家を買いに行こう。ちょっと広い庭が付いた、日当たりの良い家を」
もっと、たくさん話したいから。
「そこにお花畑を作るんだ」
幸せいっぱいに生き抜いてから、スプリさんに会いに行こう。
ご愛読ありがとうございました。
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