第八十九話 アルステム・オリバー・グレーム
ハルが亡くなってから一ヶ月が過ぎた。
アルステムを守り、多くの命を救ったハルは、まるで神の化身か、神の使者やようだったことから、水の神ハルとして石像が各所に造られた。
一ヶ所目は、王城の城門内にある、庭園の中央。
二ヶ所目は、ヨハン刀術道場近くの中央広場。
三ヶ所目はサイゼンの街、ハルを最初に助けた孤児院の庭。
石像の周りには水が張られていて、ハルの象徴でもある水を連想させていた。
◆
デモンの起こした禁忌から一ヶ月。内情や戦後の処理も落ち着き、国王アルステム・ディスパー・グレームが、デモンに禁忌魔兵の研究をすることを許可した責任をとり、改めて自害をすると公表した。
ここで心配されたのは跡継ぎ問題だ。誰が国王となるのか? また、その人物は適正なのか? 国を背負っていけるのか? 様々な声が上がる中、国王はある人物を名指した。
数年前に王妃も亡くなってて、アルステムには王族の血を引く者は、カレン・グレームとクロエ・グレームの二人だけとなってしまう。女王となるカレン・グレームは早急に国を立て直しまとめあげなくてはならない。
しかし、女王としての振る舞いができても、皆をまとめあげるだけの采配力とカリスマはなかった。
勿論、その女王を支えるのが重臣達の役目なのだが、そんな重臣達は頼りがいがなく、自分の保身が精一杯な者ばかりだった。
そんな中、アルステムでも屈指の強さを誇り、カリスマもあり、人々をまとめあげる力もあり、またアルステムを救った水の神ハルが信用を寄せた人物。
その相手はオリバーだった。
マクラム国からの禁忌の軍勢の侵略を食い止めた過去もあり、騎士団長として命をかけて国を守り続けた。
そしてデモンの起こした禁忌では王族を守り抜き、首謀者デモン・スティーンを相手にハルと戦い、二度目となるマクラム国の侵略も見事食い止めることに成功しアルステムを救った。
これだけの要素があって誰が反対できよう? 重臣達も満場一致で賛成だった。
それにカレン・グレーム本人からの申し出であったこともあり、オリバーも断ることなく受け止め、国の再建を誓ったのだった。
◇
――――――そして十四年が過ぎた。
ここはアルステムの王都、ハルの最後を遂げた場所だ。
十四年経った今でも、ハルの影響力は変わらなかった。それどころかハルのなくなった日に、祭りのような事が行われるようになっていた。
今では王都あげての年に一度の大きな祭りだ。
当然だがハルが死んだことを祝うような祭りではない。厄除けの祭りである。
両手に水の入った樽ジョッキや水筒を持ち、誰でもいいので、水をかけ合うというものだ。
ハルの作った水には奇跡の効果があるのを目にした民間人が、それを元に発案して広がっていった。
病気や怪我の改善や、厄災を取り払うとされている。
水のかけすぎで風邪を引いては本末転倒であるが……。
『適度にかけあい、すぐに拭きあげてください。間違っても盛り上がりすぎて、濡れたまま酒を飲み始めないでください』
などと、まるで子供に宛てたような注意勧告であるが、実際酒を飲み始めてしまい熱を出す者がいるので困ったものである。
その困った人の中にはコングとラルクがいて、シルビアとモモが熱にうなされる二人を叱りつける姿があった。
そしてアルステム王都の中心にある、城壁内にある王城の一室。
広い部屋の中央には、装飾の入った豪華で大きな長テーブルがあり、次々と料理が運ばれている。
そこでは早朝にも関わらず、懐かしい顔ぶれが揃っていた。
現アルステム王であるアルステム・オリバー・グレーム。
騎士団長を務めていた頃のような白い鎧は着ていなく、アルステムの国旗と同じ青いマントと王族らしい服装をしている。
そして王都ヨハン刀術道場師範のヨハン。
彼のイメージカラーでもある赤と黒。真っ赤な髪のヨハンは、花の柄が施された黒の着物を身に纏っている。
獣人の村ドベイルのギルドマスターのラグドール。食事のため雨避けのマントを脱いだラグドールはタンクトップ一枚である。そんなラグドールはソマリと同様オレンジ色の髪が特徴的で、オリバーよりも一回りも二回りも大きい体からは歴戦の傷がいくつも見える。
「二人共久しいな」
オリバー・グレームは六十を越しているが、たくましい身体はそのままで、貫禄のある顔つきになっていた。
「すっかり王様っぽくなったじゃねーか。だがオレはお前にヘコヘコする気はねえからな」
そう言いながらテーブルに並べられていたナイフを、クルクルと指の上で回しながらフンっと鼻を鳴らすラグドール。
そのやりとりを見たヨハンも「ふっ」と笑うだけで目を閉じていた。実にこの三人らしいやりとりだった。
「お父様、発言をお許しください」
オリバー・グレームの右隣に座っている子供。十二歳になったばかりのオリバーとカレンとの間に産まれた第一王子、アルステム・ハルヴァート・グレームである。
「ハルヴァート」
オリバー・グレームの左隣に座っているのは、現アルステム王妃、アルステム・カレン・グレーム。カレンは子供が口を出さないように止める。
「構わん」
カレンには止められたが、オリバーからの許しが出て、ハルヴァートはラグドールの方に目を向けた。
「こちらの獣人の方は、お父様の大事な方ということは理解しております。なので、口を出すつもりはありませんでした……しかし、ラグドール様、そのような態度は、獣人全体の評価を下げてしまうのではないでしょか?」
ポカンとするラグドールに、ヨハンは「ふっ、子供に言われるとは」と小バカにした。
「ガッハッハ! いや、たしかにその通りだ! なかなかできた跡取りで安心したぜ。しかし、もうちょい子供っぽくいこうぜ?」
大笑いするラグドールにオリバーは「これでいいんだよ」と小声で言ったが、ラグドールに聞こえたかどうかはわからない。
「それで、今日は俺にマナーを教えるために呼んだんじゃねえだろ? それとも俺が恋しくて呼んだのか?」
オリバーは「馬鹿者」と今度はハッキリとラグドールに聞こえるように言うと、周りにいる側近と飯使いに部屋から出るように命令する。
側近や飯使いを外に出すということは、ここだけの話しということは、ハルヴァートにも伝わり息を飲んだ。
側近まで外に出すなんてハルヴァートは見たことがなかったからだ。本当に信用できるメンバーのみということだ。そこになぜ僕まで? と疑問に思ったがこのアルステムに関係することなのだろうと一人納得した。
側近と飯使いが外に出ると、オリバーは真剣な顔になった。
「今日はハルのことで話すことがあってな」
――――ハル。ハルヴァート以外は当たり前のように知っている。ハルヴァートは小さな時から水の神ハルの物語は聞かされていた。
勿論作り物の物語ではなく史実である。
「これは……俺が死ぬまで黙っておこうおもったことなんだが、状況が変わって話すことにした。実は…………ハルは一度死んでるんだ」
訳がわからないといわんばかりのラグドール。
「一度ってなんだ?」
他の皆も一体何を言い出したのかと怪訝な表情を浮かべた。
「まあ、聞いてくれ。デモンの起こした内乱の少し前、ハルは私に全てを話してくれた。
ハルはここではない世界で死んで、神様に会い、前の世界の記憶を残したまま、こちらの世界で生き返ったらしい。
ハルが前の世界で死んだときに、こちらの世界のハル……になる前の肉体はかろうじで死んでないが魂だけが空っぽだったらしい。そのためハルの魂と記憶だけ移すことができたといっていた」
「前の世界? それに……神と来たか……」
疑いの眼差しのラグドールに対し、ヨハンは話の内容を冷静に受け止め、分析をしていた。
「禁忌魔法の研究の被害者か」
ヨハンの答えは正解だったらしく、オリバーは黙って頷いた。
「たぶん、デモンかドレイクが禁忌の実験で使った実験体だったのだろう。あの禁忌の魔法は意識を奪い、最初の命令を聞いたら動けなくなるまでその命令に従うらしい。
正し、効果が一日弱ほどしかなく、その後は記憶も感情もなく、話すこともない、ただ死ぬのを待つ廃人となっていた。それもデモンの研究により、操ることができるようになり、禁忌魔兵としての効果も動かなくなるか死ぬまで続くようになったらしいが……」
苦々しい顔に寝る一同。オリバーは話を続けた。
「しかし、なんらかのトラブルか意図してやったことかわからぬが、研究の過程で禁忌の被害者となったハルの体は、処分される前にデモンの手から離れ、廃人となって倒れていた所を孤児院の人が助けた。そしてその時点でハルがその身体に入ったのだ」
「くくっ……! だとしたら、その処分するはずの実験体に、計画を潰されるとはぁデモンも思わなかっただろうなあ」
ヨハンは口をつり上げニヤリと微笑んだ。
「ハルは大事な人を守れる力を授かったと言っていた。それがハルの桁外れの身体能力と魔力のヒミツだったみたいだ」
ハルヴァート以外は納得したようだ。ハルヴァートはまるで、本でも読んでもらっているような、とんでもない内容に、黙って耳を傾けることしかできなかった。
「で? なぜ今頃その話を俺らに聞かせた?」
ラグドールは意味がわからねえと肩を竦めた。
「実はな……少し前に面白い話が入ってきてな。騎士団の隊員が、長期休暇で数年ぶりに故郷に帰ったそうだ。そこで食事の時に上がった話題が、その村で今一番強いのはまだ十二歳の少年だと」
「しかし、『村』程度の規模で一番といってもなあ……周りにそれほど腕の立つものがいないだろうし、どれほどのものか怪しいもんだぜ」
ラグドールの意見はもっともだ。村のレベルの最強など、王都でいえば銀ランクの冒険者かヨハン門下生の中から下だろう。
「そう思うだろ? だがその子供が十一歳の時に、たちの悪い冒険者を名乗る三人が来たという。その冒険者達の話は、近日この村に盗賊が来るという情報を手に入れたから、用心棒として来てやったと、報酬はそれぞれに小金貨一枚と果実農園で取れた果物を樽一つ分で手を打つと言ってきたそうだ」
「どこにでも……モグモグ……そういうヤツはいるもんだな。しかし……モグモグ……報酬が多すぎず、普通に払えそうな額なだけに、厄介事を避けるために了承してしまいそうだな」
ラグドールが口に食べ物を詰め込んだまま話しをしているため、ハルヴァートが目を細めたが、この三人の中ではこれが普通なのだろうと黙ることにした。
「だな……だが、そこにその子供が来てこう言ったそうだ。「盗賊が来ても僕が倒すから用心棒などいらない」だとさ」
「くく……勇ましいなぁ。好きだぜぇそういう奴はぁ」
「そしてその冒険者三人が子供に絡んだのだが、あっという間に三人を倒した」
「ほう……」
「その冒険者達はすぐにその場を去ったのだが、翌日五人程引き連れて戻ってきたのだが……合計八人をあっという間に倒したという、しかもその子供は無傷だそうだ」
「それほどか……」
「せっかくなので、どれ程の実力か見てみたいと思い、その隊員はその子と木剣で打ち合い稽古をしたらしい。
優秀なら将来、騎士団への口利きをするつもりだったようだ。
そして打ち合い稽古が始まるとどっちが稽古をつけているのかわからない程だという。それどころか子供は涼しい顔して圧倒的だったと。
木剣ではなく、木刀を使い、構えもヨハン刀術と似ていたという。
話を聞いていると誰かの姿が出てこないか?」
「なるほど……木刀、子供、圧倒的な力、くくだ……ならぁ、俺がその少年に会って見極めてやろう」
まるでハルを連想させるその少年に、心踊らせるヨハンは早速「行くか」と立ち上がった。
「まて、村の場所わかるのか?」
「なにいってんだ? お前らもいくんだろ?」
黙ってニヤリと笑う三人だが、「食事が終わってからにしろ」とオリバーになだめられるヨハンだった。




