11-3:ホーム《明かりのないリビングと内蜜の話》
◇ ◇ ◇
夜も遅い時間だった。
みんなが床につき、郷村も寝ようとしていたところで〈専門家〉が自室にやってきた。
突然のことに警戒心を覚えはしたけれど、入室を拒むだけの理由がないのでとりあえず招き入れる。〈専門家〉は必要最小限の物しか置かない彼の部屋を見て「相変わらず殺風景な部屋ね」と呟いてから、本題を切り出した。
「実はね、ここ数日のアナタの活躍ぶりを見てぜひとも実地的な福祉の方法論を伝授してあげたいと思ったの。アナタは地方公務員を目指しているから、ゆくゆくは生活保護の担当にでもなるかもしれないでしょ?」
「・・・はあ、どうも」
相槌だけは一応打っておく。なんとなく嫌な予感がした。
すると〈専門家〉がトートバッグから分厚いファイルを取り出してパラパラとめくりはじめる。このあたりで彼にはもう、すでにおおよその見当がついていた。郷村はこのホームに来て「福祉」という概念やそれと関連した職業を知ったとき、それが自分が従事すべき職業かもしれないと感じた。他人の「ふつうに、くらせる、しあわせ」のために身を粉にして働くことは、まさに彼がやろうとしていたことに他ならなかったからだ。そこで〈補助員〉から何冊もの専門書を借りたり、〈専門家〉の専門的なのであろう言動を、専門書と照らし合わせながら観察したりもしていたのだ。だからこそ、一体どういう企てを目の前の相手が持っているのか、だいたいの見当がついていた。
そして、〈専門家〉が開いたページに記されていたのは、予想通り武井大河の名前だった。
「これは、なんですか」
それがなんなのかわかりきっているというのに、それでも思わず彼の口からはそんな言葉がこぼれた。彼が聞きたいのはつまり、これはどういうつもりなのか、ということだった。
* * *
明かりのないリビングに玄関の鍵が解錠される音が響く。
暗闇の中に現れたのは、生傷だらけの武井大河の姿だった。
今日も今日とて夜の街をぶらつき、夜遅く返ってきた大河は、全身ずぶ濡れで髪からも服からも水滴をぼたぼた垂らしている。そのまま明かりをつけもせずに無人のリビングをつっきって、まっすぐ向かった先は冷蔵庫だ。
こうしてサンタクロースよろしく住人の寝静まった頃に帰ってきては、盗人のように冷蔵庫の中にある物を口にすることで飢えをしのいでいた。この日もクソ眼鏡が性懲りもせずに大河の分まで作った夜食が冷蔵庫にありはしたけれど、決してそれに手をつけることはしない。代わりに棚からリンゴをとってそのままかぶりついた。
シャリシャリ食べていると、暗闇の中に小さな足音がする。フォルテが大河に気づいて近づいてきたのだ。
「お前も夜中に盗み食いかよ、太てえワンコロだ」
ニヤリと笑う。手に力を込めてリンゴを真っ二つに割った。
その方割れを渡そうとして、その前に冷蔵庫の扉を見る。そこには『フォルテに与えてはいけない物リスト』と書いてある。クソ眼鏡らしい几帳面な明朝体の文字の周りにチビスケどもが書いたのだろう、犬・・・?のような絵があしらわれている。
「あん?暗くて見えづれえな。・・・チョコレート、タマネギ、ナッツ、ブドウ、アボカド、それと・・・?」
他にも細々と与えると危険な物、嫌いなのであげても喜ばないものなどなどが書いてあるが、どうやらリンゴは与えても問題ないらしい。
「病人みてえな食事制限あんだな、お前」
適当な皿の上にリンゴを乗せて床に置くと、すぐさま尻尾を振って飛びついた。ほんと馬鹿みてえに単純なやつだ、と思いながら眺めているうち、あっというまに食べ終える。すると今度は大河の周りをぐるっと一周してから歩き出す。見ると子ども部屋のひとつから明かりが漏れている。
(あのクソ野郎の部屋か・・・)
先日の屈辱がまざまざと蘇る。全身の毛が逆立つような怒りが湧き上がる。こんなところを見られたらまた鬱陶しいことを言われるに違いない。そう思って退散しようとしたが、
(話し声・・・他にも誰かあそこにいるのか)
部屋の中から声が聞こえてくることに気づく。だが自分には関係ない。大方チビスケ相手に絵本を読んでいるとか、そういうことだろう。そう思って立ち去ろうとすると、フォルテが戻ってきて足下にまとわりつく。そうしてまたドアの方へ行ってこちらの方を見つめてくる。
(オレについてこいって言ってやがんのか?)
まさか。犬畜生にんな芸当ができるわけがねえ。頭ではそう思いながらも大河の足は光に誘われる夜の虫のように、ドアから漏れてくる光へふらふらと近づいていくのだった。




