6-4:ホーム《そよ風の庭の暴風雨》
するとこちらの話し合いに業を煮やしたように〈不良〉が
「お前らがなにしようが口出しするつもりはねえし、仲良しごっこに混ざるつもりもねえ」
言い捨てて去ろうとする。それを「ちょっと待たないか」と〈ガリ勉〉がとめる。
「お前にとっては不本意かも知れないが、先生がそう決めたんだ。仕方あるまい。もう一度考えてみてくれんか」
その言葉を受けて〈不良〉の顔にこれまでになかった侮蔑の色が籠もる。
「とんだお笑い草だな」
「なに」
「飼い犬が犬を飼おうとしてやがる」
それまで穏健派の態度をとっていた〈ガリ勉〉も、改まった服を脱ぎ捨てるように闘争の意志を瞳に宿す。
「おれたちを揶揄してるつもりなのか」
〈ガリ勉〉が挑発に乗り、敵意を携えて自分と同じリングに上がってきたのを悦ぶような、そうしてそれを嘲笑するような嗤いを浮かべる。けれどその嗤いの奥の洞窟には、ここに来たとき、いやそれよりもずっと前から火を絶やすことなく、それどころか日増しにより苛烈に燃え上がっていく何かに対する〈不良〉の憎悪と憤怒が隠されているように見えた。
「なんでもかんでもあんなクソ野郎の言いなりになって馬鹿みたいに尻尾振ってよ」
瞬間、〈ガリ勉〉のこめかみに青い静脈の筋が浮き上がる。
慌てて止めにはいろうとした彼を手で制して叩きつけるように言う。
「面白い言い分だな」
「ちょっと待ってくれ、建寛。頭に血が上ってる」
「少し黙っていてくれ」
てこでも動かなさそうな男が、蒸気機関車のようにこれと決めた道を猛烈に突っ走る鉄の塊とでも呼びたいこの男が、これほどの態度を示した以上は生半可なことではとまらない。必死に頭の中で打開策を考える彼をよそに〈ガリ勉〉は続ける。
「おれたちが犬ならお前は何だ。自分で稼ぎもせずに恩のある人を悪く言うのに施しだけは受ける」
表情には〈不良〉に劣らないだけの凄まじい怒りを滾らせている。しかしその押し殺した声はあくまでも厳格で、言葉にして相手に放つひとつひとつは理路整然と編まれていた。その形相と対照的な言葉がかえっていっそうその静かな怒気をいっそう底知れない恐ろしい物に見せるのだった。
気を呑まれまいとしているのか、単に痛いところを突かれただけなのか〈不良〉は手負いの虎のような獰猛さでいまにも食いかからんばかりに睨みつける。〈ガリ勉〉は涼しい顔でそれを受け止めながら、むしろその単純さをあざ笑うかのような皮肉さえ滲ませる。
「そうやって脅してみせれば誰でも言うことを聞くと思っているのか?ずいぶんとおめだたい脳みそをしているんだな。おれたちを飼い犬と言うなら、お前は所詮飼い猫だ。それも自分を虎とでも思い込んでいる愚かもののな」
どう考えても流れが良くない。しかし、打開策を考えているだけの時間はない。彼はいまにも掴みかかろうとしている2人の間に割って入る。
「ちょっと待ってくれ。・・・話を聞く限り、犬が嫌いってわけじゃななくて先生が嫌いで、その先生に従ってる俺たちのことも嫌ってるように聞こえる」
ここで安易に俺もあの〈専門家〉のことが嫌いなんだなどとは言わない。彼が嫌う理由と不良が嫌う理由は同じでないかも知れないからだ。知った風なことを言うな、あるいは、お前になにが分かる、と言われるのが関の山だろう。
彼はソファでじゃれていた2人と1匹がいつのまにか静かになってこちらを見つめているのを感じた。あの2人の前でこういう話はしたくない――が、仕方あるまい。どの道避けて通れる類のものでもないのだ。
「それをとやかく言うつもりはない。でも、協力してくれないとフォルテを手放さないと行けないことになる。知ってるだろう?先生がこのホームで決めたルールだ。
少数意見を大事にするためらしいんだけど、誰かひとりでも嫌だと言ったらその案は通らない。誰かひとりでもフォルテの面倒を見ないと言ったらフォルテを飼うこと自体認められなくなるんだ」
話すことによって時間を稼ぎながら、必死に頭を働かせる。
「それはてめえらの都合だろ」
〈不良〉の答えは案の定にべもない。
しかし、まだこちらとのやりとりを継続してくれてはいる。まだ望みの糸が途切れたわけではない。すると今度は〈ガリ勉〉が
「だがお前にも関係があることだ。お前の意志と責任で示した態度がみんなに影響を与えるんだ」
〈不良〉に行為の及ぼす影響と責任について説こうとするが刺さることはなく、
「オレの考えは変わらねえ。文句を言うなら自分たちの飼い主に言え」
今度は彼がそれに答える。
「それじゃ駄目だと思ってるから頼んでるんだ。話の通じそうな方に――」
言いかけて慌てて口を閉じる。
彼は自分の本音が意図せず漏れてしまったことに苦い思いを味わったが、それとは逆に〈不良〉の目にはさきほどの激しい感情とは別の光がちらついた。彼の言葉に興味を示したような、思いがけない物に出会ったような。彼はあえて言葉を繕わず、〈不良〉が自分から彼に問いを発すのを待った。あるいはその後のやりとり如何によってはうまく話を運べるかも知れない。
――と淡い期待を寄せた矢先のことだった。後ろで〈わんぱく〉が、
「ねえフォルテ飼えなくなるの」
妹に問いかけていた。今まで一度も見せたことがないくらい切なげに。
いつぞや大河が見せた、表情が彼の脳裏をかすめた。あの、可憐に咲く花を踏みつぶすのを躊躇うような一瞬の迷い。
まずすぎる、と彼は思った。
繋がりを育んで、やっと友情を深めていた友だちを引き離すこと。寄る辺なく親元から離れて血の繋がっていない人たちと暮らすことを余儀なくされた、まだ読み書きもろくに覚えてない幼子のその友だちまでもを引き離すこと。そのなかを引き裂こうとすることの意味が分からない〈不良〉ではないのだろう。――だからこそ、それが裏目に出た。
さきほど彼になにか思いもよらない物を見いだしたような光は消えていた。あの暗い洞窟の奥へと引き下がってしまったのだ。今、〈不良〉の瞳の中に再びあらわれたのは寂しい憎悪だけだ。
そうして再び闇の底に沈殿するような、自分以外のすべてを敵とでも見なしているかのような凶暴で暗いものが目の中に閃いた。それは刃物のように危険でガラスのように危うかった。
〈不良〉の方からすれば、彼らの言い分に与するのは即ち、専門家の敷いた規則に従いその軍門に下るに等しいのだろう。どうあっても頑として首を縦に振れないらしかった。
そうして光を失った、心に蓋をしたような目つきで唇を歪めた。自嘲するような乾いた笑みが浮かび上がる。
「ああ、そうだな。あんな犬っころいなくなりゃあせいせいする」




