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廃墟と春の庭  作者: 石上あさ
5月2日
43/106

6-3:ホーム《そよ風の庭の不吉な風》



  ◇  ◇  ◇


 フォルテは未だにホーム内の人気者だった。

 小さい子どもは何にでも好奇心を示し、またその興味も移ろいやすい。遊ぶことが仕事なので〈わんぱく〉の関心が次第にフォルテから遠ざかってもおかしくはないと思いながら見守っていた彼だが、時の経つのにつれそれが杞憂かも知れないと思い始めていた。

 それと同時に、まだ新しい環境に慣れず容易に彼以外の人間に心を開こうとしなかったフォルテが、最も長い時間をともにする〈旦那さん〉よりも〈わんぱく〉のほうに早く親しみを覚えたらしいのを感慨深い思いで見ていた。

〈わんぱく〉も、ここに来た当初から今のように振る舞っていたわけではなかった。体中に痣を作ってやってきたころは、絶えず何かを恐れ怯えているような有様だった。いきなり奇声をあげたかと思うと今度は石化したように凍り付いたり、人の物を盗むとか隠したりということも多かった。

 そんなことはきっと本人は覚えていないだろうし、思い出さずともいいことだって生きていればあるものだと彼は考えている。ましてや〈わんぱく〉をそうせしめた悲劇に関して本人に落ち度はないのだから。

 その〈わんぱく〉も〈旦那さん〉や〈補助員〉、かつてここにいた〈先輩〉や妹、なによりも本人のまっすぐに伸びようとするしなやかな力によって明るい笑顔を取り戻して年相応に笑ったり駄々をこねたりするようになった。

 そういう記憶があるからかもしれない。夜中に離ればなれになった親犬が恋しいのか、ここにいない誰かに呼びかけるように、フォルテがケージの中で、くぅーん、と高く鳴くとひとりじゃトイレにもいけないのに〈わんぱく〉がその頭を撫でてやっているのをみることがあった。 もちろんそれだけでなくて、妹も〈ガリ勉〉も〈旦那さん〉も〈補助員〉も決してフォルテをおろそかには扱わなかった。そうした日々の積み重ねが目には見えない信頼というものを着実に結び、やがて目に見える様子にまで現れるようになっていった。

 少しずつ「待て」や「お座り」などの大事なやりとりもできるようになりそろそろちゃんと散歩の順番やルートを決めようという話しが持ち上がってきた。

「人通りとか車通りが少ない方が散歩しやすくはあるんじゃないかな」

「なるほど。だが田んぼに囲まれた道だと小さな虫が多いんじゃないか」

「あー確かに。自転車で帰ってるときとか歌ってると口の中に入ったりするよね」

 目の前の〈ガリ勉〉が眼鏡の奥で目を丸くするので

「――?え、こういう体験って俺だけ?」

「お兄ちゃんも自転車に乗りながら歌ったりするんだ」

 と妹が代わりに答える。

 そういう聞き方をされるとなんだか自分が恥ずかしいことをしているみたいに思えてきたので、つい、

「チャリ通してた中学の頃の話しだよ」

 笑ってごまかした。

「大丈夫だ。おれだってなんとなく歌いたい気持ちになることはある」

 自転車に乗るときも背筋をまっすぐに保ってそうな男がフォローになってるのかなってないのか分からないことを言う。

「・・・・・・ルートよりも先に誰が何曜日を担当するか決めとこうか。俺も建寛もバイトとか料理当番との兼ね合いもあるし」

 そこへ折よく誰かが帰ってきた。振り返ってみると、そこに立っているのは〈不良〉だった。

 誰にも物怖じせず堂々と接する〈ガリ勉〉が気さくに声をかける。

「おう、おかえり。ちょうど良かった。いま散歩当番の話し合いをしていたんだが、大河は月、水、金でどの曜日がいい?」

 しかし〈不良〉は〈ガリ勉〉の目を見ることもなく

「そんなことはしねえよ」

 とだけ言い捨てて去って行こうとするので

「しないってどういうことだ」

〈ガリ勉〉が立ち上がって問い詰めると、

「俺には関係ねえ」

 頑なな一点張りを決めそうな意図がありありと見て取れる態度をとる。ここへ来て台所で夜食を手がけていた〈旦那さん〉も加わって例のごとくやんわりとした調子でとりなすように言う。

「まあまあ。一応みんなで飼ってるからみんなで世話しようってことになってるし。毎日のことじゃなくて、週に一日か二日外に出るだけでいいから」

「そうだ。お前もよく散歩が好きで外に出てるじゃないか。ただ外に出るなら徘徊だが犬を連れていれば合法的だ。先生も散歩なら口出ししないし、これはお前にも利益のあることだ」

 手法を変えて相手の利を諭す方向に出る。

 その様子を見ながら、これは本来であれば言い出しっぺの自分が果たすべき役目だと彼は思った。思ったけれども、ガリ勉が進んで説得を買って出てくれた以上は余計な口出しをしないほうがいいだろうかと考える。

 なんだか大事な役目を人に甘えているようでなにか後ろめたさがあるものの数で責めれば追い詰めてしまい、余計にこじれてしまう気がして自分はどう話し合いに加わったものかと流れを窺う。

 妹とわんぱくがフォルテのほっぺたを引っ張ったりして遊んでいる声がダイニングテーブルについている彼の耳にも届いてくる。かたや彼の目の前では〈不良〉が

「てめえらで飼ってんだからてめえらだけでなんとかしろ」

という。ガリ勉は今日は比較的温和な態度をとる。

「まあそういうな。散歩に連れて行ったりしないと撫でたくてもなでられんのだぞ。どうだ撫でたいだろう」

 ソファの方を見やりながら問いかけるが反応はない。このままでは平行線だと思って今度は彼がキッチンの〈旦那さん〉に尋ねる。

「それぞれがなんらかの役割を共有して、協力して飼っていることにすればいいんですよね。

 だったら無理に散歩にしなくてもほかのことでもいいんじゃないですか?お風呂に入れてあげるとか、そういうのでも」

 言いながら自分でもこれは根本的な解決に近づく質問ではないなと思う。

 任された仕事が何であるかが問題なのではないだろう、〈不良〉にとっては。〈旦那さん〉は投げかけられた質問に、無力を恥じるような調子で答える。

「僕はそんなに嫌なら無理に今すぐってことにしなくてもと思うんだけど・・・」

 その先は聞くまでもない。〈専門家〉がそれを良しとしなかったのだろう。



 

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