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廃墟と春の庭  作者: 石上あさ
4月20日
40/106

5-17:ホーム《そよ風の庭の新しい家族》


  ◇  ◇  ◇


「ただいま」

 ドアを開けると、いつものように同居人たちから声がが返ってくる。

「おかえり」

「おかえりなさい」

「おかえりー」

「〈罪人〉兄ちゃん、どこいってたの」

 ソファに座ってテレビを観ていた〈わんぱく〉が遅い帰りになった理由を尋ねる。

「ああ、実はそのことでみんなに話があって――」

「わ!なにそのワンちゃん!」

 答えるよりも早くフォルテをその目に認めるやいなや〈わんぱく〉が歓声をあげる。弾けんばかりの好奇心を満面にあらわして、はしっこい動きで飛びついてくる。

「ねえ!飼っていいの?うちもわんちゃん飼っていいの?」

 瞳に星が瞬いているんじゃないかというくらい眩しい目で見てくる。彼の表情も言葉もすっかり頭に入らない様子で、心のすべてが彼の胸に抱くちっちゃな黒柴にくびったけだった。

「わ、かわいい!お兄ちゃんその犬どうしたの?」

 同じくソファでテレビを観ていた妹もすっかり興味津々だ。彼の方へと歩いてくるうちから、もう、トキメキの溢れてそうな顔をしている。2人と一緒に座っていた〈旦那さん〉も寄ってこそ来ないが立ち上がって遠巻きに眺めている。その顔に『あらあら~』と書かれているのが読める。

「ああ、実は怪我しているのを見つけてさ。ウチで飼えないかなって――」

「ねえ、抱っこしていい?」

「え?ああ、もちろん。気をつけて」

 もうフォルテのことしか見えていなさそうな〈わんぱく〉に気圧されてその子どもらしい小さな腕にそっと託す。

「わあ!かわいい~!」

 人間馴れしていないフォルテは怖がるんじゃないのかと思っていたがそうでもないようだ。よほど眠たいのか疲れてるのか嬉しそうとも嫌がってるともとれない顔をしている。すると今度は妹が、

「ていうことは、預かるとかじゃなくてずっと一緒に暮らせるの?」

「そのつもり。みんなが賛成してくれたらだけど」

「へぇ~・・・。ね、学、次は私の番ね」

 こちらも話が半分しかはいっていないという感じだった。このままだとフォルテを抱っこするには整理券を配らないといけなくなるかもしれない。

 ただ、いつもは〈わんぱく〉の前ではお姉さんらしく振る舞い、彼の前でも気丈な妹が久しぶりに年相応に屈託のない横顔を見せるのを彼は自分のことのように喜んだ。

 実を言えば、ふだん自分から人に働きかけることを極力抑えてきた彼なのでお披露目することに緊張がまったくないわけでもなかった。けれどこの新しい同居人ならぬ同居犬がこうも熱烈に歓迎されるのを観ていると、連れてきて良かったと嬉しくなってくる。

 そうして彼自身もフォルテとこれから暮らしていく未来が見えてくるような気がして久しく味わってない純粋な幸せつい頬がゆるみ、にまにましてしまう。

「ねえねえ名前なんにする?」

「そうねぇ、まず男の子か女の子か確認したほうがいいんじゃない?」

 と年少組がかわるがわる抱っこしたりなで回したりしている。

 慣れない環境にきたばかりのフォルテにあんまり構い過ぎるのはちょっとストレスになるんじゃないかという懸念と、ちびっ子たちの楽しげな盛り上がりに水を差したくないというせめぎ合いの中ではらはらしながら、彼は一応言うだけのことを告げる。

「その子、もうフォルテって名前をつけてもらったんだ」

 それを聞いた〈わんぱく〉は自分で名付け親になれないことにちょっとしょんぼりした目になった。が、子どもらしい柔軟さでまたご機嫌を取り戻して

「よろしくね、フォルテ」 

 お友達になる儀式のように前足をそっとつかんで握手した。

(さすが、小さい子は復活が早い・・・)

「おお、その子が例の」

 声がして振り向くと、〈ガリ勉〉が来ていた。奥のほうに〈専門家〉も見える。

「そ。フォルテっていう名前なんだ」

「な、もう決まってのか・・・」

「なんか、ごめん」

「いや、気にしないでくれ。フォルテ、いい名じゃないか」

(ああ、この様子だとたぶんすでに名前の候補を考えていたんだろうなあ・・・)

 何事にも勉強熱心な〈ガリ勉〉のことだから画数とか、母音の響きとかそういう姓名判断的なことも調べていたに違いない。いくらか申し訳ないが、そういう様子からも楽しみに待っていてくれたことが窺えて、ますます彼のなかで嬉しさと感謝の気持ちが強まっていった。

 そうして気だるげなフォルテを取り巻いてみんなが和気藹々とはしゃいでいる。

 しかし、そこへ――

「なんなんだよ、うるせえな」

 がさついた言葉と苛立たしげな声が団らんを一瞬にして凍り付かせた。

 振り返るまでもなくそこにいるのは〈不良〉だった。視界の端でわきゃわきゃはしゃいでいた〈わんぱく〉が急に固まったのが見える。妹も表情を硬くして身構えている。

 なにより、応対した人間が最悪だった。

「アナタの方こそなんなの。見て分かるでしょう。ここは捨てられたものはすべて受け入れるの。たとえ犬であっても」

 まずい。誰の目にも鮮烈な緊張が走った。

 さっきまでの〈不良〉は冬眠を邪魔された熊のごとく、音源に対して〈不良〉なりの仕方で反応したに過ぎないように彼の目には映った。それが今では愛する子熊を撃ち殺した猟師を見つけたような容赦ない凶暴性が〈不良〉の眼光に暗い光として灯っている。

 このまま〈専門家〉に話させてはいけないと思い、彼は咄嗟に割って入った。

「俺が連れ帰ってきたんだ」

 ぎろり、と鎌首がこちらを向く。憎悪が自分の眉間で焦点を結ぶ。構うものか。

「フォルテっていう名前なんだけど、怪我をしてるところを見つけてさ。うちで面倒見れないかなって。今ちょうどみんなの反応を見てたろころなんだけど・・・大河は、どう?」

 妹の腕の中のフォルテを抱き取って、〈不良〉に尋ねる。〈不良〉はぞんざいな一瞥を寄こしたあと、吐き捨てるようになにか言おうとして、

「・・・だめなの?」

 今にも泣き出しそうな〈わんぱく〉の呟きに遮られた。

 その上目遣いに〈不良〉は不意を打たれたように言葉を詰まらせた。

 まるで襲いかかろうと爪を振りかぶりながら飛びかかった矢先、足下に咲く可憐な花を踏みつぶそうとしていたことに気づいたかのような躊躇い。恐ろしさとその躊躇いのちぐはぐな隙間に、彼は大切なものを見いだした気がした。

 復讐に燃える孤独な森の王者はやがて答えを告げた。

「――好きにやってろ」

 苦々しく顔を渋めて、誰の目も見ずにそう言い捨てた。そうして自室へと引き返していき、不必要なほどの乱暴さでドアが閉められた。

 その反抗的な態度に憤りをあらわにしながら〈専門家〉が、お前も一緒に世話をするんだ、と後を追おうとするのを〈旦那さん〉が慌ててなだめすかす。

「まあまあ、ゆっくり話し合っていけばいいじゃない。あの子だって駄目とは言わなかったんだし」

 発言の後半に犬を飼える希望を抱いた一同が、じいっとこのホームにおける最高権力者の言動を見つめる。形勢の不利を悟った〈専門家〉は不機嫌の消えきらない表情の上に無理に笑顔を作ろうとして不自然に顔を歪めた。

「新しい家族が増えて嬉しいわ。」

 本心を隠した箱の上に「嘘」を書いた紙を貼り付けたようなことを言う。それでも、彼らの願いが叶ったことには変わりなかった。

 その後、〈専門家〉は肝心の家族に手を触れることなくさっさと2階にあがっていった。あとには微妙な沈黙が残された。しかしその中でも、〈わんぱく〉はただ純粋にフォルテと暮らせるということの嬉しさに頬ずりしていた。そうしてねんごろに話しかけていた。その愛らしい姿が周りの人間を気まずさの淵から救った。

(学にはこういう力があるから、やはり大したものだ)

 彼も改めて感心しながら、これからのことに考えを巡らせせる。

 これでようやく、スタートラインに立ったのだ。

 なにはともあれ、こうしてフォルテはこのホームに迎え入れられた。前途がただ単純に明るい道を示しているわけではないが、怪物の腹の中に居るような漠然とした暗闇に飲み込まれているわけでもない。

(ここから始まるんだ)

 そう言い聞かせ、人知れず胸の内で気持ちを強く持とうとする彼だった。



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