最終話
天使たちが集まっていました。
カラスさんが
「まあだ、諦めようとしない、何としてもお養母さんの祟りにしないと、自分たちの顔が立たないからか、それとも死体が見たいのか殺そうとする」
と、言って、ひどく怒っています。
森の虫たちが声をそろえて言います。
「何とか助けたいものです」
「助けなければなりません」
「必要でもないカメラを持ってこさせ、バイクに普通車を激突させて、交通事故に見せかけ殺し、呪われて死んだ、お養母さんの祟りで死んだ。とするとはあまりにも身勝手すぎる。そのような事はあってはなりません」
「そうですよ、こんな残忍な事は、あってはいけないのです」
天使たちは怒っています。
「何とかして助けましょう」
黄色い蝶々さんが
「私が助けます」
「どのようにして助けるのですか」
と、カラスさんと蜘蛛さんが言いますと、黄色い蝶々が
「私がバイクの車輪の中に突撃します」
「それはあまりにも危険です」
「いや、やってみなければわかりません」
「バイクは風が強いので巻き込まれますよ」
「人の命を助ける時は、自分の命も投げ出す、覚悟でなくてはならないのです」
と、黄色い蝶々は怒りに震えながら言います。
「何も悪い事はしていないのに、言いがかりをつけては殺そうとするとは、人間ではない、私が命に代えて助けます」
と、黄色い蝶々は言いました。
他の天使たちも
「生き物を何と思っている人たちなのだろう、自分の命は人以上に大切に思っているが、自分の命が大切なら、人の命も大切に思う、これが人間だろう、黄色い蝶々さんの成功を祈るより他に何も出来ない、私たちです。どうか頑張ってください」
と、どの天使もそのように言いました。
「もう、時間です。私は行ってきます」
と、黄色い蝶々は死を覚悟で出発しました。
「どうかご無事のお帰りを、お待ちします」
「ご成功をお祈りします」
どの天使も心からそのように願い、心からそう言いました。
「有難う。では行ってきます」
黄色い蝶々は飛びました。
その道は狭くて、カーブの多い危険な道です。
人の気配もなく、自動車もあまり通らない山道です。
相手はこのような場所を選びました。
黄色い蝶々は、そのような場所でバイクが来るのを待ちました。
草陰に隠れていると、バイクがきました。
強い風が勢い良く、黄色い蝶々を襲います。
強い風に流されそうです。
羽を縮めてバイクに近寄ります。
人間の悪巧みを、あの蝶々さんが知っているとは、本当に不思議です。
殺しの車がいつバイクを襲うのかを知っています。
天使だから知ることが出来るのでしょう。
それに合わせて黄色い蝶々さんはバイクに突撃します。
タイミング良くバイクに突撃できるのは、人間の考えをすべて知っているということです。
人間の考えをすべて知って、初めてタイミング良く、突撃できるのです。
ちょっと間違えれば、蝶々さんもバイクの車輪に巻き込まれバラバラになるのです。
このタイミング良く仕事ができるというのは、相手の計画をすべてご存知ということになります。
黄色い蝶々はバイクに突撃しました。
私は黄色い蝶々に気づき
「あゝ、危ない」
と、急ブレーキをかけました。
「黄色い蝶々さんがい大丈夫?」
と、言いながら、私は黄色い蝶々さんが怪我をしていないか、もし、怪我していると大変と思い、用心しながらバイクから降りました。
その時です。
ものすごい勢いで普通車が矢のように飛んできます。
(黄色い蝶々さんが来てくれなかったら、この普通車と激突していたのです。黄色い蝶々さんに命を救われたことに気づきました)
黄色い蝶々さんは命を投げ出し、私を救ってくれました。
どの天使の仕事も天使の仕事は命がけなのですね。
私が蝶々なんか死んでも構わない、と思っていたら、私が死んでいたのです。
私は同じ生き物同士、仲良く生きる、これが私は好きだったので、私も生かされました。
黄色い蝶々さんにお礼が言いたくて、探しますがどこにもいません。
天使たちは仕事が終われば、すぐ姿を消すと、天使と出会ってから、そのように思わされてきましたが、黄色い蝶々さんもいくら探してもいません。
黄色い蝶々は、天使の溜まり場へと急いでいることでしょう。
皆が心配して待っているところへ。
私は大変な思いをしてカメラを義兄のところへ届けたのですが、カメラを見ても、むしろ、不機嫌でありがとうのあの字もなく、冷たい視線と態度でしたので、普通車のことは現状把握で、天から聞いたのではないのです。
黄色い蝶々さんの命を投げ出し突撃する姿は助けなければ、と伝わってきました。
私は神々のお力を感じ取りました。
世間ではゴキブリ人間の晒し者です。
大変な世間の中だったのですが、このような神々の愛を頂くことで生きられました。
正しく生きていれば神々の御手が伸びるのですね。
神々はいらっしゃいます。
相手は私を晒し者にして、ゴキブリの火あぶりで殺す自信があった。
それは私には噂の弱みがあったからです。
噂の弱みとは、私が十七歳の時に養子に行きましたが、養父と私が変な関係にあると養母が言い出し噂となり、そのことでいじめ殺すことが出来ると思って晒し者とした。
そのことについて吊るし上げられ、叩かれ、冷たい言葉を浴びせられ、あまりにも執念深く叩かれるので、殺しが目的なのではと思うのです。
それで養家での生活を書くことにしました。
実父が私を養家へ連れて行き、二時間ほどで帰りました。
私は実父を見送ってから、台所へ行くと、養母が魚を料理していました。
一月の寒い日でしたので
「お母さん、寒いので私が料理しましょうか?」
と、言うと
「お父さんがあんたには、何もさせてはいかん、と言わしたと」
その言い方が、冷たくとげとげしく罵るのです。養母が初めて私に声をかけた、言葉なのです。
養父と話してもいないので、嫉妬心とは思えないのです。
私はあけんとしていました。
養母はなかなか料理が出来ませんので、私はまた、言いました。
「お母さん、寒いので私がしましょうか」
と、言うと、包丁をポンと投げて置きますが、置き方が普通ではないのです。
殺気すら感じました。
養母は鼻を天井に向けて自分の部屋へ行かれた。
夕飯の時も何も話さず、ただ生きるために食べ物を流し込む、そのようなものでした。
夕飯がすみ茶碗を洗っていると
「汚い手で私の茶碗に触らないで」
と、言って、私が洗っている茶碗をもぎ取ります。
養母がガチャガチャ言わせて洗う音が、私の胸に悲しく響きます。
なぜ私は養母の茶碗を洗ってはいけないのだろう、と考えますがわかりません。
翌朝、私は早く起きて、朝飯の準備をして待っていますと、養父母共に起きてこられた。
養父は庭に出て行き、養母は台所に来られた。
私が
「おはようございます」
と言うと、私の頭のてっぺんから足の先までジロジロ見ます。
この家には、水道もなくガスもなく、水は井戸から台所に運び、ガスの代わりに薪で煮ます。
食事の準備も大変ですので、煙にむせりながら煮るので、顔がどうかしているのかな、と思っていると
「何さ、あんたが来ている洋服はジンケンピラピラ、お里が知れるわ」
と、鼻を天井に向けます。
ふうんとする態度はひどくバカにされたようで胸が痛みます。
洋服も母が養家で着るように、と布も悪くないのです。
それなのにそのように言って見下げます。
私が酒造元で働いていたので、女中、女中と言います。
「私の家の女中は良い女中だったけど、あんたは何さ」
養父は高齢でしたので子供は必要、養母はまだ五十代でしたので子供はいらない、養父母の間では、そのような経緯があったのかもしれません。
まだ、寒い夜のことです。
養母が喚き泣き出しました。
「あんたが寝る布団は、家にはなかとよ」
と、言って、取り上げます。
外は寒く雪が降っているのでは、と思うほど寒く、バスもない時間です。
私は部屋の片隅に、小さくなって座っていました。
すると養父が
「そんなにしていると、風邪をひくから、お父さんの足の方に寝なさい」
と、言ってくださるので、寒くてたまらない私は、養父の足の方に潜り込みました。
「和子さんはお父さんと毎夜寝るとよ」
と、人々に言う、養母は何としても私を叩き出したかったのでしょう。
私が盗んでもいない万年筆を盗んだ、と言い出しました。
「女学生が一番欲しがる万年筆が無くなった。ここに女学生は、あんた一人だよね。欲しがるような上等な万年筆だった」
私は見たこともないのに、盗んだ、と言います。
ぼんやりしている私は、叩き出そうとしているとは思わないのです。
養父母、同意のもとで、私を子供にと言われたと思っていましたので。
私の前に幼女でいらした子供さんも、いじめ叩き出したので、世間の目を気にし、何とか自分の顔を作って、叩き出すことを考えた。
それは養父と私が男と女の関係にある、とすることだった。
それで私に見合いをさせ、和子さんは結婚するのよ、だから、着物を買ってきたのよ。
と着物を人に見せる。
私には見せない。
そのように世間を作って、世間の人々が結婚すると思うように言う。
世間にそのように思わせておいて、養父に怒鳴っている。
「和子と私とどっちが大切か、和子を叩き出せ。和子を叩き出せ」
と、わめくのです。
私も大分我慢してきましたが、こうまで言われて、学校を出してもらった恩義はありますが、実家へ帰りました。
私が出ると、和子は結婚する前にお父さんのことがあるので、おりきれずに出て行ったのよ、結婚を目の前にして、と世間にはそのように思わせる、養母の顔作りです。
養母は毎日のように私をいじめた。
その度に養父は優しくいたわってくださった。
私は養父を実父のように思うように、なっていました。
養母にいじめられ、私は身心ともにカチカチに凍っていた。
養父は私が可愛かったのでしょう。
チュウをされた。
私の体の中に温かいものが全身を受け巡り、もう一度チュウを、と思った。
しかし、その場面を養母が見た。
養母は鬼の首でもとったように、騒ぎ出した。
「キッスしよった。それが証拠だ」
親子のチュウなのですが、ただそれだけで、私の一生は晒し者なのです。
私は八十三歳。この歳になって養母のマキの事を考えると、子供が必要ではないから、叩き出そうとしたのではなく、顔なのではと思うようになりました。
考え方によってはマキも気の毒な程顔一面に青ぼやけでした。
私は美人ではないのですが、少しだけ可愛いと言ってくださる人がいました。
その少しの可愛い私の顔を見ると、憎いいじめたく、だからあれだけのいじめをしたのではと思ったりしています。
この歳になる前で何が何だかさっぱりわかりませんでしたが、養母のいじめは顔だった。
養父は目がよく見えないので、青ぼやけは見えないのですが、それでよかったはずとも思いますが、養母の気持ちになれば、いじけたくもなるのかもしれません。
顔半分は青ぼやけでしたから。




