185 プロローグ(王都編)
それから一週間後。
お父様が、お母様に手紙を渡しているところを目撃した。眉と眉の間にしわを寄せて封筒を開いたお母様だったが、すぐに泣き崩れた。おろおろしているお父様に、私は柱の陰から親指をグッと突き出した。
そしてさらに日は過ぎる。
赤ちゃんを抱いたエリスさんが、頻繁に我が家を訪れるようになった。私の家庭教師としてではない。お母様の悪阻を慰めるためだ。
お父様とお母様に、呼び出された日の事は忘れない。
いつもにもまして仏頂面のお父様は耳だけを真っ赤にし、お母様はニコニコしながら、まだ膨らんでいないお腹をさすって、私に弟か妹が来年の夏には産まれると告げたのだ。
これでオルシーニ伯爵家の跡取り問題はなくなった。もし私に何かがあっても、オルシーニ伯爵家を継ぐのは、従姉妹のフランチェシカではない。弟か妹なのだ。またしても未来が変わった。
そして年は明けて、四月。
私は十三歳になっていた。
今日は王立学園の入学式だ。
『前の人生』では、エンデ様ばかり追いかけて勉学もせず、オルシーニ家の悪評のせいで友達も一人もいなかった。
でも今回は違う。勉学では薬学の研究室へ入れば、かなりいい成績をとれるはずだし、友達はダンの妹・グレテルがいる。このために、レバンツでグレテルと賭けをしたのだ! ボッチ回避は準備万端である。
私は、身分ごとに並んでいる入学者席の、一番後ろにいるグレテルに笑顔で手を振った。
迷惑そうな顔でため息をつかれたが……。くすん。
グレテルの隣には、私の従姉妹、フランチェシカもいた。
相変わらず人形のような美しさだ。
『前の人生』では、平民であってもその美しさと魔力量の多さで、数々の男子生徒を虜にしていた。その母であるベアトリーチェ叔母様の再来のように。しかし最終的にフランチェシカが選んだのは、当時私の婚約者だったエンデ様だ。
嫉妬心からフランチェシカを傷付けた私は罰として勘当となり、私以外に跡継ぎのいなかったオルシーニ家は、血縁も近く魔力も豊富なフランチェシカを跡継ぎに据えるしかなかった。
今の人生では、私はエンデ様を好きでもなんでもないから、フランチェシカがエンデ様と仲良くなろうがどうなろうがどうでもいい。ただ、叔母様の素行で被害を被ったお母様のように、私にまで火の粉が飛んでこないことを祈るばかりである。
学園長の挨拶に続き、在校生の挨拶が終わった。最高学年ではないが、王太子である、第一王子だ。
そういえば、『前の人生』でこの挨拶は、生徒会長だったアリーシア先輩がしていたはずだ。アリーシア先輩が挨拶していないということは、リンドウラ修道院に長期間行くために、生徒会長にはならなかったということだろう。
私は最高学年生の席に、アリーシア先輩の姿を探した。
まっすぐ前を見ていたアリーシア先輩だったが、私の視線に気付いたエメラルドグリーンの蛇型従魔のリフが、アリーシア先輩に教えてくれた。アリーシア先輩は、こちらに笑顔で小さく手を振って、またすぐに正面に顔を向けた。
…………小さく手を振るとかって、友達っぽい!! やったわ!
私の足元に伏していた子犬が、首を持ち上げる。従魔のルーだ。
従魔として学園に一緒に通うには、従魔申請をしなくてはいけない。そうしないと、討伐されても文句はいえないのだ。しかしルーは、本当はショゴスという姿を変えることができる魔物である。ショゴスは御使いであり、錬金術師でもあるルイス様が創った魔物なので、ショゴスのまま登録をしたら魔物研究家が押し寄せてくる可能性がある。
なので、ルーは一般的な魔物の姿をしてもらい、学園生活中はそれで通すことにした。
どんな姿にするか、最初に考えたのは『前の人生』で一緒に暮らしていた時の、大型犬型の魔物の姿。嫌がらせや、暴力は防げるだろうが、私の目標は友達と仲良く過ごす平穏な学園生活なのである。大型犬の魔物姿では、怖すぎてグレテルとアリーシア先輩以外の友達ができないだろう。
次に考えたのは、隠れてついて来る時のような小さなクモの姿。でも見た目が悪い。容姿端麗、成績優秀、品行方正なアリーシア先輩も、従魔が蛇型というだけで、揶揄される事があるというのに、悪名高いオルシーニの娘ではなおさら馬鹿にされるだろう。
消去法として、レバンツの街で出歩いた時の子犬の姿しかなかったのである。ただし、これもこれで、子犬なのに何故か目つきが非常に悪く……。かなり残念な子犬なのだ。
でもミーシャは、目つきの悪い子犬のルーを「かわいい、かわいい」と言って、撫でたり抱っこしたりしている。こんな目つきが悪い子犬でも、犬好きにならかわいく見えるはず。ルーをきっかけにして、犬好きのお友達ができるかもしれないわ!
次に新入生の挨拶がある。それは第二王子アレックス殿下だ。一瞬目が合い、何かいわれるかと身構えたが、王子らしくキラキラとした学園生活の抱負を述べて、壇上を下りた。
そういえば、『前の人生』ではアレックス殿下もフランチェシカの取り巻きの一員だったわね。でもフランチェシカはエンデ様を選んだってことは…………っぷ。振られたって事ね! 仕方ないわ、あの性格じゃ! まあ、エンデ様も大概ですけどね!
これで入学式は終わりかと思った時、学園長から新任の先生の紹介があると告げられる。
「ここで新しい先生を紹介します。薬学と、魔法流動の先生です」
……薬学?
私が『前の人生』で学園に入学した時に薬学の先生が代わったりしたかしら? まあ、薬学は人気のない学問だから覚えていないだけかもね。どんな先生かしら……。
二人の先生が幕裾から、足音を鳴らして中央に歩いてくる。
一人は大きすぎる目、大きすぎる鼻、大きすぎる口、悪い顔色、そして背中の曲がった小さな体……。もう一人は、小気味の良い大股で歩く、異様に姿勢の良い女性。
あ……、あの二人は……。
「吾輩が、薬学を教える事になったラーツェ・リーである。以前は、御典薬の司をしていたである」
ラ、ラ、ラ……ラーツェ⁉
聞いてないわよ! ラーツェが新しい先生だなんて!!
「私が魔法流動を教える事になりました、スフィラです」
スフィラさんも、何をしてるんですか⁉
肩幅に足を開き、後ろで腕を組む。キリリとした姿に、感嘆のため息をつく生徒もいた。そのスフィラさんが、新入生の席を見渡して、私に目を留めた。
……嫌な予感。
「ヒィィィィィ! オ、オルシーニ伯爵令嬢!!」
「なんと、師匠がいるでありますか? どこ、どこ? どこであります?」
ぐいっと壇の端まで来たラーツェが私を見つけると、お尻をプリプリと揺らしながら「師匠~♡」と手を振った。
待って、こんな事をされたら……。
私は青ざめながら、グレテルの方に首を回した。
ところが、グレテルは他人行儀な顔をして、隣の席、そうフランチェシカに話しかけたのだ。
アリーシア先輩は? あ、リフがこちらにシャーって威嚇をしている! アリーシア先輩も、リフをなだめるばかりで、こちらを見ようともしない。
………………終わった。
どうやら今の人生でも、学園生活はボッチが確定したようね。
くううう! ラーツェとスフィラさんには、どんなお仕置きをしてやろうかしらね‼
これにて王都編は終了となり、次回より学園編が始まります。
学園編でも、なかなかユリアの思うようにはならないようで……汗
次の章が始まる前にまた少しお休みして、新連載「魔王になった妹は、俺の中二病ノートを聖書と崇める」を始めます。よろしければ、そちらも読んでいたら嬉しいです。
詳しくは、活動報告にて!