160 母と娘①
すみません。更新予約を失敗していました(~_~;)
人生をやり直してから数日間だけいたことのある王都屋敷。
あの頃は、現実なのか夢なのか分からない、ふわふわした気持ちだった。その中で、よくエンデ様との婚約を白紙に戻す決断をすぐできたものだと、我ながら感心する。
「お嬢様?」
どうやら居間への廊下を間違えたらしい。王都屋敷の執事長、セドリックが困った顔をしている。
貴族は客間か居間で出迎えるものと決まっているが、お父様もお母様も、こんな時くらいは玄関先まで迎えに来て欲しいと思うのは身勝手だろうか?
「なんでもないわ。ああ、セドリックが先導してくれないかしら?」
「はあ……。かしこまりました」
領地の屋敷に比べて、王都屋敷はそう広くない。すぐに居間の前に着いた。
セドリックがドアをノックする。
「お嬢様がお帰りになられました」
「まあ! 早く通してちょうだい!」
お母様の甲高い声が聞こえた。
「ただいま帰りました」
スカートの裾を持ち、片足を引いて挨拶をする。
「大丈夫だったかユリ……」
立ち上がって手を広げたお父様の声は、ソファーに座ったままのお母様に遮られた。
「早くこっちへいらっしゃい!」
「はい」
私はお母様の隣に腰を落とす。お母様はふわりと両手で私の顔を包み込む。
「いったいどうしてあなたが紫の塔になんか入れられることになったの?」
「それは……」
この件の表向きはラーツェ様の暴走だが、王様が絡んでいるようだ。どこまで話していいものか……。私は助けを求めて、お父様に視線を送った。
「アドリアーナ。ユリアも疲れている。そんな話しは後にしなさ……」
「あなたは黙っててください!」
お母様はぴしゃりとお父様を遮った。
そういえば、私の「我が家」は、いつもこうだったのを思い出した。
もともとお父様は強面で無口のため、何を考えているのかよく分からなかったが、それ以上にお母様がお父様の話を遮るので、いっそうお父様が何を伝えようとしてるのか分からなくなるのだ。
一方、お母様の方は私を甘やかしに甘やかした。私がエンデ様に一目惚れしたとはいえ、当主であるお父様の頭越しに婚約を決めてしまう程に。そんなお母様を『前の人生』の私は好きだった。しかし『前の人生』で私がエンデ様に裏切られ、エンデ様の浮気相手であり従姉妹のフランチェシカを私が魔法を暴走させて傷付けて、家を勘当された時には私をかばう様子もなく、ただフランチェシカの母でありお母様の実の妹のベアトリーチェ叔母様の事ばかりを気にしていたのだ。そのときに私のお母様に対する愛情は凍り付き、いまだにそのままだ。
そしてお母様は今の人生になってからも、やらかした。エンデ様との婚約解消は私が望んでしたことなのに、お父様が独断でしたことだとエンデ様に訴え、「既成事実」を作ってしまえばいくらお父様でも婚約させざるを得ないとそそのかしたのだ。それを真に受けて領地へやってきたエンデ様は私に暴力を振るおうとして、かばったヨーゼフを瀕死の重体にしてしまった。この件も元はといえば、お母様の甘言が引き金なのだ。そんなお母様を私が許せるはずがない。
「放して下さい、お母様」
「でもユリア……」
私の頬を包んだままのお母様の手から、すっと退く。予想していなかったのか、びっくりしたようにお母様は眉を下げた。
「紫の塔に入れられたのは、誤解からです。心配する必要はありません」
「でもユリア、あなたが紫の塔に入れられたなんて、そんな噂が立てばエンデ様だって……」
「エンデ様の話はしないでください。その名前は聞きたくもありません」
「まあ!」
お母様は上品に口元に手を当てて驚きを表現した。なぜかお母様の動作、一つ一つにイラっとさせられる。
お母様が黙ったことで、やっとお父様が割って入る事が出来たようだ。
「ユリア。アドリアーノはお前の身を案じていたのだ」
「そ、そうですよ! 貴族社会はなんといっても噂で評判が決まるのです。私はあなたの評判を心配して……」
「私には、お母様はご自分の評判が気になっているようにしか思えません」
「ユリア!」
お父様の怒声が飛ぶ。
こんな風にお父様と話したかったわけじゃない。なのに……。
どうしたことだろう。私の中身は、お母様の遥かに年上だというのに……、人生経験だっていろいろ積んできて人を許すことも何度もしてきたというのに……、なのにお母様に対してだけは何故か大らかな気持ちになれない。
「失礼します!」
私はいたたまれずに居間を飛び出した。扉の外で、セドリックにぶつかった。
「お嬢様……」
セドリックは確かにヨーゼフの甥なんだろう。私を心配する顔がよく似ている。
「大丈夫よ」
「しかし……」
「本当に大丈夫だから……。そういえばミーシャ達はまだ王都に戻って来ていないの?」
「はい。どんなに急いでも、あと数日はかかる見込みです」
「そう……」
こんな時にミーシャやヨーゼフがいてくれたら、たわいない話ででも気持ちが明るくなったのに……。
「お部屋に戻られますか?」
「そうね……。お願い」
「先導は必要でございますね?」
セドリックが冗談めかして聞いてくる。その表情がおかしくてクスっと笑ってしまった。
「ええ、お願いね」
「かしこまりました」
セドリックには冗談でも、私には本当に必要だったのだ。
自分の居室に戻り、セドリックが扉をしめて見えなくなると、私はベッドにバ――ンと飛び込んだ。
「もう……。何なんだろう? この気持ちのモヤモヤは」
枕をドスンと叩いた。
分かっている。このモヤモヤは、お母様と会ったからだ。姿形も性格も、記憶となんら変わらないお母様。それなのに、いやだからこそ愛しい気持ちと拒否したい気持ちがせめぎあう。
「う――!」
布団を抱きしめて縮こまる。
――ユリア。大丈夫か?
「ルー!!」
思わぬ声掛けにハッとした。そうだ。私は一人じゃなかったんだ!
「あのね、あのね……」
話をしようとして、何を言えばいいのか分からないことに気が付いた。まるで幼子のようだ。こんな自分がいるなんて、その事に驚いている。
その時、ドアが鳴らされた。
「ユリア、いいか?」
「お父様!」
-両親との再会
-すれ違う母子
-子ども返りのユリア