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生活に食う事は不可欠である。「どうせ死んでしまうのだから生きている事に意味は無い」などと抜かす輩は今日の飯を食う資格が無い。「どうせまた腹が減ってしまうのだから食う事に意味は無い」などと言って何も食わなければ良いのである。腹が減ったらまたそのときに考えれば良い。とりあえず当座は今日食う飯の心配をしていればよいのである。明日明後日の心配は明日明後日すればよい。今日は今日の心配だけをすればよい。明日どうなるかなんて誰にも分からん。そうだ。今日死ななければ今日のところは心配する事など何もない。
しかしながら食にも美醜が存在する。腹が満たされるという第一義を前提に置いた上で、それを如何に文化的なものに昇華させるかというのが美食家の関心事である。これは考えてみれば人道に背いた極めて不徳義な行為である。今このとき腹が満たせる者は何も心配する必要は無い。その第一義をわざわざ卑しいものと貶めて、生きる行為そのものに優劣をつけようという企てである。優劣を競う者はその第一義を忘れる。腹が満ちればそれでよい。これは決して卑しい事ではない。生きる事の意味は生きる事によって満たされるべきであるからだ。食えればそれでよいのである。
とは言え健康管理上、栄養には気を遣うべきだ。まず甘いものはよくない。炭水化物も然りだ。糖質はインスリンの分泌を促して血糖値を極端に下げてしまう。これは脳内神経物質のバランスを崩すので、精神衛生上よくない。またタンパク質は充分に摂るべきである。脳の栄養素はブドウ糖であるが、甘いものを食わなくてもタンパク質でこれを補えるからだ。
先に述べた定義に則って考えれば、食文化は芸術というよりも技術工作の類である。その価値は味覚という感覚を以て感知する他なく、そこに意味内容は無いのである。従って食文化は極めて科学的に考えられるべきだ。
科学的なものは万人に理解できる。だが芸術はそうとも限らない。俺は元来芸術を愛している人間だが、とは言え何とも論理的説明のつかないものに、俺はほとほと疲れてしまった…。文学とは一体何なのか?




