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06.熊と英雄

 キリスト教徒にとって熊は悪魔だった。

 いくつかの聖人伝では、熊は貪欲の象徴で、悪魔が模す姿の一つとして扱われており、森の中で徘徊して旅人や家畜を襲っている。

 例えば聖マメルティヌスの伝記には、修道院で飼う家畜を襲った熊を罠にかけて捕まえる話があり、聖ゲルマヌスの伝記ではモルヴァン付近の村で畑を荒らした熊を杭で殺す話があり、聖マクシミヌスの伝記には荷運び用の驢馬が熊に喰われる話がある。

 聖ガルスや聖コルンバヌス、聖ヴィセンテなどのように聖人たちはその聖性によって熊を従えることもあった。これは前述した列王記のエリシャの熊を意識したものだろうが、熊が人々の暮らしに対する脅威と見做されていたことも示す。

 庶民は犬を飼い、罠をかけて熊に対抗していた。


 実際のところ、熊は騎士たちだけでなく僧侶や農民によって狩られることもあったが、伝承において熊を討伐するのは英雄の役割である。

 ミシェル・パストゥローの「熊の歴史」によれば、シャルルマーニュはザクセン戦役の最中に大々的に熊狩りを行っていたという。その出典を確認することはできないが、聖アマルベルガの聖人伝にはアルデンヌで熊狩りをするシャルルマーニュが描かれ、その勝利によって彼が称えられたことに触れる。また武勲詩アスプルモンの歌では、シャルルマーニュの十二勇士ナイモンがアスプルモン山で遭遇した熊と戦い、剣で足を切り裂いて打ち破っている。


 そしてギベール・ド・ノジャンは、第一次十字軍の司令官ゴドフロワ・ド・ブイヨンがアンティオキア包囲戦の最中に熊狩りに興じたことを記す。

 ブイヨン公は森の中で軍勢を率いて熊を追っていたが、たまたま運の悪い者が熊の巣穴に辿り着いてしまい、襲われてしまった。そこで公が一人助けに駆け付け、剣を抜いて熊の頭に一撃を加える。公は熊の反撃を受けて脚に咬みつかれるが、剣を深く突き刺して討ち取ることに成功したという。


 ベオウルフに記述はないが、主人公ベオウルフの出自はイェータランド王で勇士のボズヴァル・ビャルキと時々結び付けられる。デンマーク人の事績によれば、彼がライレを訪れたときに森で出会った熊を槍で刺し殺している。

 ニーベルンゲンの歌では、英雄ジークフリートが猟犬を放って熊を追いかけて縛り上げたり、逃亡しようとした熊を剣の一撃で仕留めている。

 史料上においては、神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ1世(※In honorem Hludowici Christianissimi Caesaris Augusti Ermoldi Nigelli exulis elegiaci carminis)、カスティーリャ王アルフォンソ7世(※Chronica Adefonsi Imperatoris)やハンガリー王ラースロー1世(※Chronicon budense)、ポーランド大公ボレスワフ3世(※Chronicon Polonorum)らが熊狩りをしたと記録された。

 またベルン年代記には、その都市の由緒についてベルヒルト公が森で最初に遭遇して捕らえた動物である熊にちなんでベルンと名付けられたとある。

 一方、熊に負けることも稀に伝えられた。

 アストゥリアス王ファビラや、神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世は熊狩りの最中に死んだ。ガストン・ド・フォアは熊狩りを終えた後に死んだ。そしてドゥブニツァ年代記によればハンガリー王ラヨシュ1世は、ある日、普段通りに熊狩りをしようとしたところ、返り討ちに遭って大怪我をしたという。



 イングランドにもかつては熊が生息していたようだ。

 伝説上の王アーサーがウェールズ語で熊という意味であったという。ただ関連のある逸話は少なく、アーサー王物語群の中には、竜と熊が戦う夢をアーサーが見るというものだけがある。ただしアーサー王自身を表すのは竜の方であり、熊は討伐対象である。

 またガウェインと緑の騎士では、円卓の騎士ガウェインの勇壮さを示すものの一つとして、熊などと戦ったことに触れられる。

 同じく円卓の騎士であるメリアドールの物語には、騎士グラティアンと熊との戦いが描かれる。そこでは乙女を襲おうとする熊に対し、グラティアンは剣を抜き、熊の口腔に突き刺して打倒している。

 英雄たちは多くの場合に猛獣を剣で一撃して狩っているが、それは伝説的存在ある彼らが貴族たちの理想像だったからだ。


 ほかにバイユーのタペストリーには鎖に繋がれた熊が描かれている。これは熊虐め──鎖で杭に繋がれた熊に犬をけしかける娯楽だろう。賭博の対象であり、怪我をした犬は交代させて、熊が死ぬまで続けられた。熊が死ぬと解体されて皮が剝がされた。ギネ伯の年代記によれば、アルデンヌでは祝祭日ごとに熊狩りの見世物を行っており、その熊の食事のために市民のパンがオーブンから徴収された。そして熊狩りが行われなくなっても変わらずパンが徴収されて領主の手に渡っていたという。

 アーサーとその語源としての熊との関わりは、ケルト神話における熊の女神アルティオと結びつけられることもあるが、明瞭でない。


 遅くとも11世紀にはイングランドの熊は絶滅していた。それ以降は外国から連れて来られた熊だけが見られるようになる。例えばマシュー・パリスによれば、ロンドン塔ではノルウェー王から贈られた白熊が飼われていた。

 アルティナテ年代記によれば、熊は殴りつけて屈服させることで従わせるという。

またハノニア年代記などによれば貴族や修道院は熊を飼育することもあり、ときには石材を運ばせたり、積み上げたりなどしていた。



 11世紀から13世紀にかけての人口増加と開墾に伴い、熊の住処は急激に失われていく。フランスやスペインの熊は森から山へと徐々に移っていった。食性さえも変化したと言われることがある。

 農村はともかく市井の人々が知る熊は、鎖に繋がれたり檻の中に入れられて飼いならされたものになり、やがて貪欲な熊は怠惰の象徴に移り変わった。

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