その11 『キツネさん不在の日』
5月22日 金曜日。
今日は朝から清々しい天気です。
雲ひとつ見当たらない空、後ろからちょこっと手助け程度な風。
カバンの中にしっかりと存在感ありありな『例の赤い本』なんて気にならないほど。
そしてそれから。
私、本日から完全に「要請」が解かれました!
「おはよー」
「おはよう、小鳥」
下駄箱で会ったクラスメイトと挨拶を交わし、そのまま並んでおしゃべりしながら教室へ。
今朝早く、有希ちゃんから電話で「もう大丈夫」と言われた。
私にはそれだけでわかったしタヌキ様という情報源から解ってはいたので深くは追求しなかった。
それに追求したら有希ちゃん怒るよね。ツンデレな感じに。
とにかく終わったのだな、そう安心してたらうっかりいつもの登校時間を過ぎている事に気が付き
慌てて家を出た。 まぁそれも良い思い出でしょう。うむ。
本日使う教材を机の中に収めている途中、古文の教科書を忘れてることが発覚。
そうか。 昨日予習が終わってなかったから家に持って帰ったんだ。
何故ノートはあるのに教科書を忘れるのかはわからないが、仕方ない、教科書は誰かから借りることにしよう。
「ちょっとB組の子に教科書借りてくるわ」
「早く帰ってきなさいよ、あまり時間無いからね」
「りょーかい。」
早足でB組へ。
A~H組は同じ階にあり、横並びのため時間さえあればE組の私もこうしてB組へと
教科書を借りることも出来る。借りようとしているのは有希ちゃん。
「大丈夫」とは言われたものの直接顔を見て判断したいって気持ちと友人に言われた通り時間は
それほどない。
なら多少トラブってもそれを理由に逃げ出せる。 そう考えたからだ。
…巻き込まれるのは嫌だけど、友人を心配している気持ちはあるんだし…たまたまそっちが勝っただけ。そしてB組へ。
前後のドアは開けっ放し。そしてその中から聞こえてきたのは・・・
「「「おめでとー!!」」」
…。
祝っているなぁ。
考えることは止めにした頭でぼんやりとそう思った。
これで心配している気持ちより巻き込まれたくない気持ちがあっさり勝ちました。おめでとう。
教室を覗くのをやめた私はお祭り騒ぎなB組を野次馬している他のクラスメイトからA組の友人を見つけた。
この友人、水曜日に有希ちゃんが早退したことを知ってたりと中々な野次馬さんでして。
入学式で知り合った仲だけど愉快な友人です、えぇ。
見ているだけで巻き込まれないなんて、なんて羨まし過ぎるんだ、と言いたい。
心の叫びは押さえてA組の友人にこれまでのこと(見てきたこと)を説明させる。
友人によると。
有希ちゃんと君島トオルは二人並んで登校。→教室に入るなり君島トオルと有希ちゃんは手を繋ぎ(何気に恋人繋ぎ)高々と宣言→「真剣交際、してます!!」と。→事前に君島トオルがクラスの連絡名簿で登校時間と発表があります、と通達してて→クラスメイト達に盛大な祝福とど派手な宣言をくらった有希ちゃん→盛り上がったB組は有希ちゃんと君島トオルの席を教室の真ん中に並べてそこに座らせる→B組担任教師、花束で二人を祝福→真っ赤になった有希ちゃんとニヤケ顔な君島トオル→盛り下がることのないB組。
私が聞いた「おめでとう」も何度目かわからないとのこと。
何だ、B組ごと「ラブコメ化」したのか。
っていうか担任教師は混ざるな。
校則はないからって立場があるでしょうが。
ココロの安静のために突っ込みながら目をキラキラさせて語ってくれた友人に本来の目的である
古文の教科書を貸してくれ、と頼む。
いいよ、とあっさりおkしてくれた彼女から教科書を受け取り自分の教室に戻る。
エンドレスな祝福がBGMって…勘弁してほしい。
私、小鳥遊 小鳥は考え付いてしまいました。
学校では色々とあり過ぎて疲れたけれど前向きに考えよう、前向きだ。
ともかく、有希ちゃんと君島トオルのラブコメは一山越えたのだからしばらくは落ち着くはず。
ならしばらくは傍に近寄らない限り私は「何もない日常」なわけだ。
主人公やヒロインがいないのだ、イベントが起きることも無く巻き込まれることもない。
そうだ、そう考えればいいんだ。
平穏なのだ。
たぬき堂でのバイト中、そんなことを考え付いてしまいました。
「ヒナちゃん、何だか嬉しそうだね」
とタヌキ様に指摘されてから顔が緩んでいることに気が付く。
いけないけない…バイト中なんだから。
今日はタヌキ様というオーナーさんと二人っきりでのバイトなのだから。
本日もバイト。
正直なところあまりこの仕事にお金が発生していることに実感が無くて、
バイトというよりはお手伝いな感じが強いというのが私の感想。
キツネさんは本日お休みということで先程も書いたけどタヌキ様と二人。
やはり『オーナー』という人と一緒に働くとちゃんとしなければしっかりしなければと
多少なりと緊張してくる。
そしていつもより一時間ほど早く表のプレートを『CLOSE』にしてしまう。
緊張が更に高まる。
タヌキ様の前で紅茶を淹れる私。
手が震えるほどではないが手の動きをいつもより意識しまう。
頭の中とのズレが顕著で気にし過ぎてこれでは出したい味とは異なってしまっただろう。
でも途中で「すみませんやり直します」とも言える勇気も無くて、少し渋みが強いかもしれない。
本当はストレートで飲んで欲しかったが仕方ない、ミルクと砂糖も用意して…終わり。
「…確かにこれではストレートは厳しいかもしれませんねぇ」
「ですよねぇ、やっぱり」
私とタヌキ様は渋い紅茶を一口飲んでからお互いのティーカップにミルクを追加した。
一口。
…飲める。
お茶請けはタヌキ様が仕事仲間にもらったという「マカダミアクッキー」。
アーモンドと比べればマカダミアの方が好きなので、これは嬉しい。
クッキーだから香りと飲みやすさを重視した紅茶を淹れたかったが…しょうがないか。
たぬき堂の二人用のテーブルで向かい合いながらのティータイム。
キツネさんとも時々こうしたお茶請けがあると早めにお店を閉めてティータイムしていたらしい。
そして今回のお茶請けであるクッキーはキツネさんが好きだから内緒ね、と約束。
そうだろうなぁ…なんかいつも何かしらのクッキーを常備している感じはしてたし。
色々と私がタヌキ堂を知る前の出来事を聞いていたがミルクティーがなくなったのでティータイム終了。
残りのクッキーを頂戴した私は入れてあった袋にクッキーをしまって家族へのお土産とした。
帰り際。
最初から聞きたかったことを聞いてないことに気が付いて。
お疲れ様でした、と帰る前に聞くことにした私。
「そうだタヌキ様」
「何ですか?」
「なんで今日キツネさんは休みなの?」
「あぁ、言ってませんでしたね」
本日、本当はキツネさんとタヌキ様、二人で私の紅茶を見てもらう予定だったのだとか。
それにキツネさんが好きなクッキーもあったし…タヌキ様がもらったというのもそーゆーのが
あるからなんだろう。
「別に大したことではないんですけど、風邪気味で咳があるから本日はお休みさせて下さい、と
今朝連絡があったんですよ。 お客さんに風邪をうつしてはいけませんからねぇ」
キツネさんが風邪、ねぇ…。
「ま、それじゃあ仕方ないですよね」
「そうそう、ヒナちゃんも気をつけるんだよ?」
「はぁい」
そして深夜、私室。
寝る前に今日の出来事をこうして『例の赤い本』に書くことも習慣づいてきた。
…あんまり嬉しくもない習慣だけど。
けれどこうして毎日書いていけば白紙は減っていく。
全て埋めたら私はこの本から解放されるのだ。
なら書く習慣がついてもいいではないか…と思い込む。
『今日はたぬき堂でのバイト。 オーナーのタヌキ様と二人での仕事だった。
キツネさんは風邪でダウンだそうです』
今日は会っていないキツネさんの顔を思い出す。
…まぁ本には毎回名前がでてるし、会ってない感じはないんだけど。
けれど気になることがある。
昨日やってきた狸と狐の陶器製の置物。
セットのような扱いだが実は単品を並べているだけでして。
置いてある棚へと視線をやる。
そこには狸しかいなかった。
帰宅早々私室に足を踏み入れた私は違和感を感じた。
色々服や本や小物や本が多くてそれほど綺麗な部屋ではない。
どれかどこにあるか把握していれば良いや、な私は使ったソコに置きっぱである場合が多い。
なので何というか・・・固定的な汚さがあるのだ。
そこに感じる違和感。
キョロキョロとして探して、見つけたのは『狸だけ』。
昨日セッティングしたばかりの狸と狐を動かす理由も記憶も全く私には無くて。
夕飯の時に家族に聞いたところ…
母は「漬け物石に使ってないよ。 使うなら狸の方かな」
人のものを使うなよ。
父は「そんなサスペンスに出そうな凶器もらってくるんじゃない」
テレビの見過ぎだよ。
兄は「狸?狐? そんなのお前の部屋にあったっけ?」
あぁ昨日話した時いなかったんだ。
とまぁ結局「たぬき堂」でキツネさん欠席と同日に我が家の狐も行方不明で…。
日記を書きながら「いや、まさか…ねぇ」と不安が。
文を読み返す。
有希ちゃんと君島トオルのラブコメが一先ず終了したことをすっごくアピールしたソレ。
キツネさん不在のソレ。
狐が行方不明なソレ。
…え、続けて何かしらのイベント発生?
そんなことはない。そうさ、明日バイトでたぬき堂に行くんだ、きっとキツネさんも
一日休んで体調回復させていつも通りにいるはずさ。 なら問題はない。
そうとなれば早く日記を終わらせて寝てしまおう。 バイトなんだから。
…。
では、お休みなさい。
『何も起きません様に』
本日の日記に記した最後の一文を念じながら。
これで一旦ラブコメ編は終了です。 次回は異世界編です。
だって、ジャンルは「ファンタジー」ですから。