悩む
道場内からは大きな音が一定のリズムで聞こえてきていた。
きちんと受け身を取っているとはいえ、痛みがないわけではない。
投げられるその回数、雄太は体に痛みを刻んでいた。
「なに雄ちゃん、葵一筋から心変わりしちゃったの?」
「……ど、どうしてそうなるんですか?」
貝塚忍は抵抗なく受け身一辺倒の雄太の様子にすぐに疑念を抱いていた。
彼女は葵や杏の従姉で、雄太に護身術を教えた張本人。
道場まで兼ね備えている貝塚家、雄太は葵の母親の姉の家に来ていた。
彼はここで週2回貝塚忍のお世話をしている。
部屋の掃除や休日前ならお夜食作り、そして話し相手もそのお世話条項に記載されていて、唯一雄太が葵のことを相談する相手でもある。
「顔見れば何となくそのくらいは、交通課舐めるなよー」
「わー、交通課すごいです」
隙を見せた瞬間、一瞬で背負われ雄太の体は宙を舞った。
「ちょっとは抵抗しなさい。男の子でしょ。そんなやわに鍛えたつもりはないぞ」
「ううっ……」
「杏に告られでもしたか? そいでデートしちゃったな?」
「……何もかもお見通しなんですね?」
「前に教えたよね、言葉の駆け引きだよー。特に葵がらみだと雄ちゃんは顔に出るんだよね」
「……」
忍はポニーテールの髪を揺らし、少し乱れた道着を直す。
出るとこはきちんと出て、引っ込むところは引っ込んだ忍の体系は女の子がうらやむ体系だ。
顔立ちも整っているので、雄太ですら向かい合った時や、不慮の事故により触れてしまった時などドキリとする。
そうなったら忍の場合は葵を持ち出して出来うる限りからかいを魅せるのだ。
「ちょっと、今倒れ際むねに触ったね?」
「さ、触ってないと思います。故意に触れません」
「うわー、こいつ言い切ったなー。腹立つう……葵に言おう。雄ちゃんは女の子の胸に触っても触ってないと主張するよと」
「申し訳ございません。触ったかもしれません」
そうこんな具合だ。
「じゃあほら、なにがあったか全部喋ってスッキリしなさい」
「はい……」
「師匠と弟子の仲。他言はしないよ」
相槌を打ち、話に聞き入っていた忍はここに来るまでの出来事を雄太が話し終わると、
「悩め、悩め、青春しなさいね!」
「……」
「ただし、良さは消さないように!」
「お、おっす」
静かな室内に雄太の返事が響いた。
☆☆☆
翌朝、マンションを出ると杏が待っていて、雄太は一緒に登校してしまう。
学校が近づいてくる。2人の周りには友達通しで登校しているであろう、先輩や同級生、1一人で登校する人の割合がやはり圧倒的に多い。
そんな中男女で登校した二人を周りはどう思っているのか雄太は気になった。
葵といるときや葵の背中を追っているとき、自分は周りが見えていない。
ただ瞳に映るのは、1人の女の子だけで、その人に好かれたいと思って自分は――
「んっ?」
「雄太君、どうしたの?」
「いや、なんか背後から視線が……」
「お姉ちゃんなら今日はもう登校していると思うけど?」
葵のことを考えていて、葵以外の視線を雄太が感じたのはこれが初めてだった。
それほど強く、異質な視線だった。
休み時間は杏に毎回のように捕まり、葵のところには行けずじまい。
葵の顔を見ないと雄太は安心ができないし、一日が始まった気がしない。
だがそれでも杏の自然な笑みは頭に残り、それは雄太を時間が経つごとに悩ませる原因になっていた。
それを言い訳にはしたくない――
昨夜、忍に言われたことも彼を悩ませる。
(自分の良さって一体なんだ?)
今朝は大失態を犯している。
目覚ましに気が付かず、お弁当作りを忘れた。
お昼を告げるチャイムが鳴る。
「雄太君、何もないの……」
「いや、今日は食べる資格なしなんだ。僕は我慢する」
「ダメだよ、ちょっと待ってて。当てにしちゃってたあたしが購買で買ってくるから」
雄太が返事をする間もなく、電光石火で杏は教室から居なくなった。
杏の優しさに触れるたびに、雄太の心は揺れてしまう。
何気なく窓の外を見ていると、教室内がざわめき始めたが雄太はそんなこと気にせず、顔の向きはかえなかった。
「ちょ、ちょっと……何かした、私?」
「えっ!」
今日始めて聞いた声に一気に悩んでいたことが吹っ飛んだ。
貝塚葵は至近距離でちょっと心配顔で雄太を覗き込んでいた。
「何もないなら、顔くらい見せなさい。気に、はなるから」
雄太が座っている前の席の椅子を引いて、葵はそこに腰を下ろす。
「先輩の方から来てくれるなんて……」
「習慣を勝手に変えないでほしいの」
「はいっ、すいません」
教室は違うし、少し状況も違うが、雄太は自然と笑顔になる。
だがこの時にはすでに3人の日常を壊す出来事は始まっていたのだった。




