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この空の下、大地の上で  作者: 架音
二章・東方小国家群
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二-三 情勢

『行商人が財布を落とすと貴族が倒れる』という言い回しがある。


 かつて王国で起こった、とある貴族の没落に纏わる不可思議な話が元になった言葉だ。


 ある時旅の行商人がその貴族の領内で財布を落としたことに端を発する領民と在地商人、在地商人と行商人の対立、初期対応を誤ったことで発生した様々な錯誤の末に発生した市場での騒動が暴動に発展。その貴族の所領が西方交易の要所だったことにより、最終的に所領を召し上げられた上に東方辺境へと移封されたことが、王国徴税室の資料庫の中に残されている。

 なぜ徴税室などにそのような記録がと思うかもしれないが、問題の貴族が移封されたことにより発生した、各種租税の税率変更に関する協議に対する参考資料として、詳細が記録され保管されることになったと関連書類には記載されている。


 故事となった事件はともかく要するに、とある物事の原因を突き詰めていくと思いがけない事実に突き当たる、もしくは全く関係ない物事が、予想もできない事態を引き起こすこともあるという意味程度に考えればよい。


 その言い回しの成り立ちから考えるならば、現在の北部大街道周辺で発生している異変と状況は関係者の間ではある程度予想されていた事であり、前記の言い回しを用いるには意外性という点ではやや物足りないかもしれない。


 もっとも、小蛮種の被害増加などという現実の話を物足りないなどと評するような人間がそうそういるとは思えない所であるが。







「やはり原因は、一ヶ月前に発生した西方諸侯とヴォーゲン伯爵家との戦……と、考えていいか」


 国境から北部大街道を西に行くこと三ミルと二〇カーディ(約九〇km)にあるセザン屯所。その責任者であると同時に屯所特別編成の一個大軍四〇〇名(正規編成の一個大軍は五二〇名)の指揮官でもある大軍長、セルバンド=エルバンデル屯所統括官は、この一カ月余りの間に近郊農村及び大街道で発生した被害報告書の束を横目で見ながら溜息をついた。


「草食蜥蜴が多数失踪し、生簀の魚が消え、厩の馬が鱗を残して姿を消した……か。例年ならばほぼ一年かけて発生する被害だな」

「大街道の南側で確認されている被害はほぼ例年通りですので……大街道の北側に何らかの原因があるものかと」

「言葉を濁さなくてもいい。例の戦で妖精種が参加させた三万が全て灰になったことが原因なのだろう? 連中がいつそれだけの数を動員したのかにもよるが……恐らくだが影響が出始めたのはあの戦で三万が消え去る更に二巡り前あたりから、といった所か」


 セルバンド=エルバンデル屯所統括官はそう言うと、堅牢な造りの椅子を軋ませながら深々と溜息をついた。





 三万の兵。


 妖精種の総人口がどれほど存在するかを王国側では把握していないが、三万の戦闘要員を動員するためには、それなりの人口が必要とされる。


 例えば王国の基準で考えるならば兵として扱える者は、一七歳から四〇半ばまでの男性となる。


 国民の寿命がおおよそ五五歳前後であることを勘案するならば、それは全人口の二割前後となるだろうか。無論二割という数字は労働生産力について一切考慮せず、それこそ社会基盤全てを破壊することすら覚悟を決めて根こそぎ動員する場合の数字であるから、実際に動員を可能とする数字は更にその一〇分の一程度まで落ち込むことになる。


 要するに概算ではあるが三万の兵を、社会の維持を行ったまま無理なくひねり出すためには、おおよそその二〇倍。六〇万の人口を養えるだけの社会基盤が必要になってくる。


 もし人口がそれ以下の場合、必ずどこかで無理が発生することになる。


 それは農作物の生産量であったり、商品加工物の生産量の低下であったり、あるいは支配領域の治安の低下であったり。


 例年にはない、街道北側から大森林までの狭間で発生している小蛮種がその原因とみられる被害の頻発。それは、妖精種が大森林という自身の領域を管理する力を失いつつある可能性を示唆するモノの様にも感じ取れる。


 無論、直接的な戦いを行う戦力が不足したため、従来から続けられている嫌がらせの一環として王国にほど近い領域の小蛮種を、ある程度わざと放置して王国に侵入するように仕向けている可能性もあると思われるところではあるが。







「ともかく当面は街道の北側にも目を光らせるように……場合によっては第二氏族の方にも助力を乞わなければならないだろう……報告書は連名で送った方がいいか?」

「そうですね……発案者は国境兵団の団長の名をお借りして、東のレアン屯所の統括官殿と連名で署名するのが……出来るなら近隣の村落の長にも名義を出すように依頼する方がよろしいかと」

「自分達の生活が懸かってるんだ。断ることはないだろう……問題はきちんと上まで話が通るかどうか。通ったとしてもこの北部大街道の屯所に増援を送る余裕があるかどうかだが……」

「西方諸侯とヴォーゲン伯爵との戦の影響……ですか」


 沈んだ表情を浮かべて口を閉じた上官の何とも形容のしようがない表情を伺い、ミルクーフは言葉を漏らし、一ヶ月前に王国北部で発生した貴族間戦争の経過と顛末。それが書かれた報告書を読んだ際に感じた衝撃を思い返す。


 御三公であるハイラン公爵が率いる西方諸侯の非道な行い。どんな絡繰りがあったのか西方諸侯軍として参加した第一氏族三万とその末路。そして西方域における紛争でその名を上げた現代の英雄『万騎長ドゥルガー』の死。


 特に現代の英雄と評される『万騎長ドゥルガー』の死が確認されたことによりもたらされた、西方地域の動揺は酷いものだった。


 普段は王国各地を剣の腕を頼りに放浪しているヴォーゲン伯爵家の長男なのだが、不思議な巡り合わせというか、ある意味運が悪いと評すればいいのだろうか。西方域で有事が発生する時には、まるで何かに導かれているかのように西方に滞在している事が常であった。

 そしてその剣腕と人望……傭兵を操る手腕で有事を鎮めてきた人物であり、西方域の住人にとってはある意味王よりも頼りにされてきた、まさしく守護者であったのだ。


 その男が先の戦により命を落とした。


 結果起こったことは西方域の動揺と、過去何度も『万騎長』により駆逐されてきた蛮族の活性化である。

 

 幸い政治の全権をほぼ掌握している宰相が、王都に帰還した近衛将軍ケラス=リシ=メイフェルデン侯爵を近衛第二軍と第四軍を伴わせ、即座に西方へ派遣することにより西方の動揺は大きな波紋となり、王国全体を揺さぶる前に沈静化できた。


 だが国外の勢力である蛮族の勢いを削ぐまでにはいかなかったらしく、西方の国境付近では小競り合いが頻発するようになってきているらしい。それが噂ではないらしいことは、ここ最近増えてきている西方からの旅行者……西部随一の都市として名高い、学術と技芸の都市ベルゲンスタインに遊学していたと思われる他国の有力者らしき一団が、何組もこの屯所を通過していった事でも分かる。


 もし西方の蛮族と戦になったとしても、まず負けることはありえない。それでも現時点で直ちに北部大街道の屯所への増員を難しくする程度には余裕はないだろう。


「厄介な話だ」

「とりあえずは出来る事から始めましょう……そうですね、ヴォーゲン伯爵に援助を頼むというのはいかがでしょうか?」

「下手な貴族に頼むよりはましだろうが……あそこはそれこそあの戦の当事者だろう? そんな余裕があると思うか?」


 ミルクーフの提案に同意しつつも統括官は懸念を口にする。三万を灰にされた妖精種ほどではないとはいえ、ヴォーゲン伯爵領とて無傷であの戦を乗り切ったわけではない。

 その上で直接的には所領とは関係ない、王国の直轄地である北部大街道の治安維持のために兵員を供出するかと言われれば、確かに首を傾げざるを得ない。


「余裕はないと思いますが、ヴォーゲン伯爵領は北部大街道の恩恵を多大に受ける貴族領でもあります。大街道に小蛮種が現れ、物流が滞ることを嫌うことは考えられますから完全に脈がないとも言い切れないかと」


 いささか自信はないようだったが、副官の言葉にも一理ある。現ヴォーゲン伯爵であるガディウス=マーディ=ラ=ヴォーゲンは、あの万騎長の弟とは思えないほど一切の武勇の噂こそ聞かないが、領内を治め発展させる能力は国内でも有数であると言われている。

 数多くの特産品を産出するヴォーゲン伯爵領からしてみれば、北部大街道の治安が低下し、人の流れが滞ることを嫌がるだろうことは、確かにありえそうに思える。


「そうだな」


 セルバンド=エルバンデル屯所統括官は、ともかくできるだけの手を回すことを決断した。

 ヴォーゲン伯爵がどう動くのかはわからないが、ともかく協力要請を出しておくことは悪い事ではない。万が一動いてくれれば重畳というものだ。


「とりあえず俺の名前でいいから助力を乞う手紙を出してみるか。実際何かしてもらうには改めて王都にお伺いを立てなければならないが……伯爵が助力してくれるというなら、許可は貰えるだろう……もしくは宰相閣下が何かうまい手を考えてくれるかもしれん」


 そう纏めると、屯所統括官は副官に命じて墨と硯を用意させる。


 屯所一階に設けられている陳情受付に、息を切らした少年が飛び込んできたのは統括官が筆を執り、半ばまで陳情書を書き上げた頃だった。




      ◇      ◇      ◇      ◇      ◇




 アクィラ他二名の女性たちにとって、血の臭いはそれほど気になるものではなかった。


 少女自身、この世界に迷い込んだ当初に自分を捕食しようとした狼の“はぐれ”の血飛沫を全身に浴び、ハリツァイでは妖精種の襲撃を受けて自らの手を汚すことと共に傷を負い、自身の血の海に沈んでいる。

 その後戦場へも赴いたことから、否応なしに血の臭いには慣れてきてしまっている。


 ドゥリアとディーの二人に関しては言わずもがな。


 しかし少女達の手により窮地を救われた、見るからに文官然とした四名の青年達にとって血臭は顔を顰めさせるほどのものであるらしいことは、少女にも簡単に見て取れた。


 ――私も二ヶ月くらい前まではあんな顔してたと思うんだけど……


 そう考えつつも、男のくせに情けないなぁという容赦ない感想を同時に思い浮かべる。


 と、それと同時にアクィラはこの世界を初めて認識した時の事を思い出して、僅かに顔を顰めた。

 

 日常ともいうべきコンビニへの買い出し。その帰り道で何の前触れもなくこの世界に強制的に引き摺り込まれ、ようやく最近自分の身体であると認識しつつある幼い少女の身体へと変化した事に、満足に驚くこともできないままに巨狼――狼の“はぐれ”――に襲われ、その餌になりかかった所をドゥガに助けられた。


 ――……正直な所、最初から命の危険がクライマックスってのは、今更ながらどうかと思うけど……


 どう考えても、あの時は絶体絶命だった。あの時天文学的な確率でドゥガと出会わなかったら……今頃は見知らぬ不幸な同郷の人間のなれの果てである“はぐれ”の身体を構成する細胞の一つになっていた事だろう。


 ――考えてみればあれって十分トラウマになりそうな事態だよね……


 いくら命が助かったとはいえ、ドゥガと巨狼の戦いに至近距離で巻き込まれ、ドゥガが切り飛ばした巨狼から迸る鮮血の洗礼をいきなり受けたとのだ。今さらながらあれがトラウマにならず、悪夢すら見ることのなかった自身の心の強さに感心する。


 あるいは単に鈍感なだけだったのかもしれないが。


 少女はその自身の考えに思わず苦笑を漏らすと、軽く背伸びをする。その際僅かに胸の傷……心臓付近に鏃が埋まったままの傷跡が引き攣り、微かな痛みをもたらしたが、気に留めないままドゥリアの指図に従い死体を移動させている四人の青年達に視線を向けた。


 いくら血の臭いに耐性があるとはいえ、わざわざその根源である傭兵や小蛮種の死体に近寄る気は少女自身あまりない。下手に近寄って衣服に血痕が付いてしまった結果、ディーが持ち込んだやたらフリルが沢山付いた服や、無駄に露出が高い服を着せられる羽目になっては目も当てられない。


 だがしかし少女の身体に慣れてきたとはいえ、それなりに譲れない一線というものがあるのである。


 ともあれ、彼らに作業を任せておけば今日の所は服を汚すこともないだろう。


 こういう時だけは体の小さな少女であることを感謝してもいいかなと、若干黒い事を考えながら、少女は小さく欠伸を漏らした。







 命を落とした傭兵達の死体は、ドゥリアが生み出した横向きの“氷壁”の上に丁寧に並べられていた。


 いくら直射日光を避け、馬車の陰に並べたとはいえ季節は夏である。南方の海岸地帯よりはましとはいえ、このあたりでも気温はそれなりに上がるため、腐敗を食い止めるための措置だった。


「……どう思う?」

「……きちんと訓練を受けた方々でない事だけは判りますよぅ」


 ドゥリアの問いに、ディーは端的に答える。

 彼らの雇主であった青年達は今この場にいない。


 ――女性に死体運びの様な事をさせるのか?


 という無言の圧力に負けた彼らはいやいやながらも死体をここに並べ、飛び散った小蛮種の肉体の欠片を一カ所に集めさせられた後、ドゥガが適当な窪みに放った“水弾”により造り出した小さな水場で汚れた身体を洗っている。


「手の皮もそれほど丈夫そうではないか」

「というかこれ、遊び人の手ですよねぇ……どう見ても」


 傭兵が三人もいたというのに小蛮種に大した反撃もできず、手もなくやられてしまっていることを訝しんだ二人は簡単に死体を検分していたのだが、その手の平を見ただけでおおよその所を察したようだった。


 傍らに落ちていた剣と盾、要所を鋼で補強された革鎧を見れば一見腕の立つ傭兵に……素人ならば見えなくもない、かもしれない。多分。


「傭兵を騙って東方行きの旅に同行するとは、馬鹿なのか無謀なのか判断しかねるが……西の方がきな臭くなっているということか?」

「さあ……ただ、従兄上様が亡くなられていることは知られてるみたいですし、西方の貴族がこの間の戦で軒並み地力を低下させているわけですから、何か企てようとは考えますよねぇ……一応私の上司からは、近衛第一軍と第四軍が西方地域に派遣されたって聞かされてますけど……将軍様も一緒らしいです」

「あの方もつくづく休める時間が取れない方だな。それにしても……」


 ドゥリアは形の良い肉感的な唇を皮肉気に歪め、身体を洗っているだろう青年達の方に視線を送る。


「自身の命を預ける傭兵の吟味もできん馬鹿どもとはな……」

「正直よくここまで無事に旅してこられましたよねぇ」

「大街道の治安の良さだけは、王国が誇れる数少ない美点の一つだからな」

「ところで従姉上様……あの馬車の紋章をどう思います?」


 ディーの問い掛けに、ドゥリアはその整った容貌をわずかに顰めて嘆息した。


「テレセント大公国のクールグ侯爵家……そこの隠し紋だな」

「やっぱりそうですか~……するとあの中にいらっしゃるのは?」

「二年ほど前ベルゲンスタインに居た頃、クールグ侯爵家の四番目の息女が遊学に来たと聞いた事がある」

「……他国とはいえ大身貴族の御令嬢がわざわざ異国の、しかも西方国境付近の街に遊学ですか」


 一体何考えてるんでしょうねその侯爵様、という言葉を含んだ視線を向けてくるディーに対して小さく苦笑を漏らしながら、ドゥリアは肩を竦めて見せた。

 大身とはいえ所詮は他国の貴族のやることである。何らかの意図はあったのだろうが、推察するほどの情報を持っているわけではない。


「まあ問題があるとすれば……」


 ドゥリアは未だ呑気に水浴びをしている四人の若者に視線を向け、言葉を区切った。


大分間が開いてしまいましたが更新です。


暫くは仕事が忙しいので更新は……週一回できるように頑張りたいと思いますです。





兵力の動員数に関しては総人口に対して1~2%という比率を適用しました。

大体日本の戦国時代や欧州なんかもこれくらいの数値だったという事ですし、経験則から割り出された数字なので異世界でもまあ適用可能かなと。

普通に考えても人口の半分は女性ですし、男性のうちの半分は老人と子供です。

で、基本的に男尊女卑の中世的世界では社会を維持するための中枢部は男性が居座っているわけで、兵士として徴用できる人間は思ったよりも少なくなるのは道理という事です。


ちなみに大森林の西側を勢力範囲にしている第一氏族と第三氏族の総人口はおよそ45万ですので、あの3万人はかなり無理をして捻り出した戦力であるわけです。

第一部に登場した第三氏族の少女サリアの様な少女を戦力として組み込まなくてはならないくらい、無理をしていたわけです


それが一人残らず失われた訳ですので、結果はまあご覧のとおり。

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